華麗なる腑抜けの世界

倦怠感溢れる日々を称揚しつつ

朝鮮人のメンテリティー

2006-06-29 10:37:39 | 社会
 昨日、家族を北朝鮮に拉致された韓国人が訪朝し、永きに亘り離れ離れになっていた家族との対面を果たした。韓国では「拉致被害者」という表現を用いず、「離散家族」と読んでいるらしい。国が二つに分かれたところで、やはり同民族であり、朝鮮人(大韓民国と北朝鮮民主主義人民共和国)特有の「ウリ」(わたしたち)の力学が働いているようだ。日韓拉致被害者のつながりなどは、朝鮮人間の強く、そして閉じた同胞意識「ウリ」の前では、あまりに脆弱に過ぎる。韓国人拉致被害者家族は今回の面会に充足し、日本との連携などどうでも良くなったのではないか。あるいは、今回のイヴェントにより、韓国は北朝鮮びいきになり、日本に対する敵愾心を更に持つようになるのではないか。

 「ウリ」は、閉鎖的、排他的であり、ある種の選民意識を帯びたものでもあるそうだ。また朝鮮語「ナム」(他人)には、他者への無関心や不信感というニュアンスが強いらしい。そしてかの民族は、日本に対する「ハン」の感情を持っている。「ハン」とは「恨」という字を当てるらしいが、「恨み」の他に、「憧憬」の意味をも含むものらしい。フランス語のルサンチマンに近いかもしれない。朝鮮人にとって、日本人とは憎たらしくて、羨ましく、何としてでも見下したいよそ者なのであり、日本人がいくら死んだところで別段構わないのである。
 

 そういった朝鮮人のメンタリティーを最大限に利用し、金政権はまたも巧みに日本を虚仮にしたのである。

 敵を知り、己を知れば百戦危うからずである。「敵を知る」という点で、日本という国はいささかツメが甘いのではないか。相手国の客観的データ(数字)だけではなく、民族が保ち続けてきたものの考え方をも加味しなければならない。そして何より、気違い相手にいい人過ぎる、呑気な己の姿を見直すべきではないか。


[推薦図書]小倉紀蔵『韓国は一個の哲学である』(講談社現代新書)
      小倉紀蔵『歴史認識を乗り越える』(講談社現代新書)

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