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鳥居を潜ると左手に
朽ちた手水舎がある。
舎が右側へ唐黷サうだが、上の枝に接触し、唐黷驍フを免れている。
正面を見ると、神社へ上がる荒れた階段があるが、正に野晒しと行った感じで、周りの樹木と相対し、良い雰囲気である。
傍らの藪に埋もれた石灯篭がある。
静まり返った林の中に「ぽつんと」灯篭が立ち、その間から上へ伸びる階段。
異世界へ通づる階段。
私は、子供の頃から、異なる場所、景色を見るのが好きだった。何故か癒された。
ちょっと寂しくて人気のない場所に癒される。一般の人が立ち入らない場所に興味がある。
この好奇心が無くなった時、老いるだろう。継続は力なり..
階段を上って行く。
損壊している箇所がる。
手摺があるので、掴まって行けば良いのだが、その手摺もゆらゆらしているので危険である。
近いうちに更に崩れるだろう。
お社が見えて来た。
到着。
木の階段は壊れていた。
基礎と壁がコンクリートなので、新しめの神社です。
社の中です。
もう山の神は鎮座していません。
右側にあるのは太鼓の様です。
祭りもあった様です。
周囲の景色
下ります。
階段の途中にある広場。
横から見たところ。
反対側は、池跡らしき場所があった。
また崩れている箇所を行く。
上に登るとグラグラした。
下りて来ました。
左側を見ると何かがある様だ。
鳥居の手前を左側へ行く。
何かが祭られている。
碑がある。
殉職者の供養碑です。
空っぽだった。
手前に賽銭箱がある。
出る事とする。
鳥居には、昭和32年11月3日と記載されていた。
鳥居の左手に道があるので、少し行ってみた。
側溝が続いていた。
石積の側溝である。
堰がある。
道がかなり険しくなるので、引き返した。
目ぼしい物はなく、側溝だけだった。
*廃社は、植物に侵食されて、中々良い雰囲気です。
潰れた廃屋が残っていますが、大した物はないです。
ブロックで塞がれた相当古い採掘坑跡が見られるのが貴重です。
職場の40代後半の人から貴重な話しを聴かせてもらった「鉱山が操業中止になってから、一時期、西部の町を模したテーマパークになって、カウボーイの人形が手を振っていたりしてたよ、だけどそれも短命に終わった、それから、選鉱場の廃墟がずっと残ってて、若い頃よく忍び込んだよ。あと殉職者の墓が沢山立ってなかった?あれ夜はけっこう不気味だな。(笑)」と言う面白い話が聴けました。
70代男性「ここら辺は、金が沢山採れたから、大仁、土肥金山等、幾つも金山があったんだ、徳川家の財源でもあったんだよ、付随して温泉も湧き出して、温泉街が出来たり、最盛期は随分賑わったんだよ。」
選鉱場の廃墟は、見事だったそうですが、既に解体されており、雛段状の遺構だけが残っています。
付随する廃屋も幾つか残っていた様ですが、殆ど解体されてしまった様です。
広大なので、今後も少しずつ調査を続けて行きます。
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鳥居を潜ると左手に
朽ちた手水舎がある。
舎が右側へ唐黷サうだが、上の枝に接触し、唐黷驍フを免れている。
正面を見ると、神社へ上がる荒れた階段があるが、正に野晒しと行った感じで、周りの樹木と相対し、良い雰囲気である。
傍らの藪に埋もれた石灯篭がある。
静まり返った林の中に「ぽつんと」灯篭が立ち、その間から上へ伸びる階段。
異世界へ通づる階段。
私は、子供の頃から、異なる場所、景色を見るのが好きだった。何故か癒された。
ちょっと寂しくて人気のない場所に癒される。一般の人が立ち入らない場所に興味がある。
この好奇心が無くなった時、老いるだろう。継続は力なり..
階段を上って行く。
損壊している箇所がる。
手摺があるので、掴まって行けば良いのだが、その手摺もゆらゆらしているので危険である。
近いうちに更に崩れるだろう。
お社が見えて来た。
到着。
木の階段は壊れていた。
基礎と壁がコンクリートなので、新しめの神社です。
社の中です。
もう山の神は鎮座していません。
右側にあるのは太鼓の様です。
祭りもあった様です。
周囲の景色
下ります。
階段の途中にある広場。
横から見たところ。
反対側は、池跡らしき場所があった。
また崩れている箇所を行く。
上に登るとグラグラした。
下りて来ました。
左側を見ると何かがある様だ。
鳥居の手前を左側へ行く。
何かが祭られている。
碑がある。
殉職者の供養碑です。
空っぽだった。
手前に賽銭箱がある。
出る事とする。
鳥居には、昭和32年11月3日と記載されていた。
鳥居の左手に道があるので、少し行ってみた。
側溝が続いていた。
石積の側溝である。
堰がある。
道がかなり険しくなるので、引き返した。
目ぼしい物はなく、側溝だけだった。
*廃社は、植物に侵食されて、中々良い雰囲気です。
潰れた廃屋が残っていますが、大した物はないです。
ブロックで塞がれた相当古い採掘坑跡が見られるのが貴重です。
職場の40代後半の人から貴重な話しを聴かせてもらった「鉱山が操業中止になってから、一時期、西部の町を模したテーマパークになって、カウボーイの人形が手を振っていたりしてたよ、だけどそれも短命に終わった、それから、選鉱場の廃墟がずっと残ってて、若い頃よく忍び込んだよ。あと殉職者の墓が沢山立ってなかった?あれ夜はけっこう不気味だな。(笑)」と言う面白い話が聴けました。
70代男性「ここら辺は、金が沢山採れたから、大仁、土肥金山等、幾つも金山があったんだ、徳川家の財源でもあったんだよ、付随して温泉も湧き出して、温泉街が出来たり、最盛期は随分賑わったんだよ。」
選鉱場の廃墟は、見事だったそうですが、既に解体されており、雛段状の遺構だけが残っています。
付随する廃屋も幾つか残っていた様ですが、殆ど解体されてしまった様です。
広大なので、今後も少しずつ調査を続けて行きます。
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苔の付き具合とかが時代を感じさせて、なんともノスタルジックな気持ちになります。
ここ素敵だよね、わりと新しい神社なんだけど、廃具合が良いよね。見所も豊富だし。
GUN物件楽しんで来てよ、あはは
明日は急遽仕事が無いから休めだって(笑)温めてあるどれかへ行こうかな^^