はぐれの雑記帳

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バブルの研究(2)ビル・トッテン著「日本は日本のやり方で行け」

2020年02月02日 | バブルの研究
バブルの研究(2)ビル・トッテン著「日本は日本のやり方で行け」
2016-12-26 16:34:21 テーマ: 日本論
バブルの研究(1)で紹介したビル・トッテン氏は1941年生まれのアメリカ人で1972年日本で(株)アシストと言う会社を設立して、以来日本に在住。日本に帰化している。
1998年に書かれた「日本は日本のやり方で行け」で、日本とアメリカの関係はパートナーではなくて親分子分の関係になっていると指摘している。
前回、(1)で紹介された部分はp76~88の部分です。
「プラザ合意」の経緯とその意味を前回の部分で教えられた。日本は経済活動で得た利益をすべてアメリカ国債を買うように仕向けられ、自国の経済を犠牲にしてアメリカを支えさせられたということだった。これはある意味ねじ伏せられたに等しい。
●1980年代後半の日本のバブル
1985年 プラザ合意  1ドル=240円前後
1986年 1月 1ドル=202円
     9月 1ドル=150円台へ
1987年 10月 ブラックマンデーNY市場で23%暴落
      12月 東京の地価、前年対比76.2%上昇 バブルが始まる
1989年 12月 東証1部平均株価 3万8915円をつける
1990年 8月 湾岸戦争
     10月 株価52%暴落 バブル崩壊
●アメリカ世紀末バブル
1991年 ソビエト崩壊
1993年 クリントン大統領
1996年クリントン再選
1997年 7月 アジア通貨危機
1998年 8月 ロシアデフォルトを宣言 ロシア危機
     9月 ヘッジファンドLTCMの 経営危機発生 FR値下げ始まる。バブル始まる
2000年 3月 アメリカの上場株s木GDPの183%になる。
         ナスダック大暴落
●2000年代アメリカサブプライム・バブル
2001年 1月 ブッシュ政権
     9月 9.11テロ事件 株の大暴落
     10月 アフガン戦争 12月終結
2003年 3月 イラク戦争 5月 完了宣言
     6月 歴史的な超金融緩和政策となる
     12月 「アメリカン・ドリーム・頭金法」成立 返済能力の乏しい人たち向けのサブプライムローンが流行。住宅バブルにつながる。ダウの回復
2006年  住宅価格の上昇が頭打ち、バブルにカゲリが見え始める
2007年夏 サブプライム・ローン返済の地縁や不能が激増表面化
2008年 9月 リーマンブラザーズ破綻する。リーマンショック勃発。深刻な世界金融危機が発生 
(以上は徳川家広著「バブルの興亡」p272~276より引用) 
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ここで問題になるのは、1980年代の日本のバブルです。
ビル・トッテン著「日本は日本のやり方で行け」
日本の政治家はアメリカの手先か p39-42
 日本の政治家がアメリカの手先であるという証拠は、山ほど持ち出すことができる。たとえば、日本のバブル経済だ。一九八〇年代、バブルに浮かれた日本の景気は、元はと言えばアメリカの要求が生み出したものだ。
 当時、アメリカは経済が行き詰まっており、金利を下げて経済に刺激を与えたかった。しかし、アメリカが金利を下げると、資金はアメリカから逃げて日本に行ってしまう。そこで、日本も同時に利下げするように圧力をかけたのである。
 日本はいとも簡単にアメリカに同調した。金利が下がれば、当然、企業の投資意欲は増すはずだが、トヨタにしても松下電器にしても、すでに豊富な設備投資を行なっているのでさらに銀行から資金を調達しようとは思わない。
 そこで、金融機関に余った資金は、地上げ屋や証券会社に流れることになった。貸付先としてはリスクが高いが(その結果、当然のことに多くの不良債権がでいあがってしまったことは、ご存じのとおりである)、銀行も背に腹は代えられない。多少のリスクには目をつぶって、資金を流し込んだわけである。
地上げ屋は次々と土地を買収していき、証券会社は株式市場に投入した。その結果、土地や株は高騰し、実体のない利益が瞬く間に膨れ上がり、一部の金持ちや投資家たちはバブル景気に沸き立った。言ってみればこれは、博打打ちに金を回して、博打を奨励したようなものである。結果は見えていた。「常に勝ち続けることはできない」という博打の唯一の法則のとおり、バブルは崩壊し、それから日本経済は雪崩を起こしたように坂道を転がり落ちていったわけである。
 もし、政治家や大蔵省の官僚たちが、本当に日本のことを考えていたなら、アメリカから利下げの圧力がかかったときに、「アメリカの問題を解決するための利下げに、なぜ日本が同調しなければならないのか」と突っぱねることもできたはずである。
 しかし、日本はアメリカに追随した。なぜ、アメリカの要求に素直に従ったのか。それは、そうすることが自分たちの利益につながると踏んだからである。あるいは、突っぱねれば〝暗殺″にあうことを恐れたからである。日本の政治家たちは、田中角栄のロッキード事件をつぶさに見ている。アメリカからのリークによって日本の首相が逮捕されるという前代未聞の大疑獄事件に発展したロッキード事件のように、アメリカに逆らえば潰されると思ったのかもしれない。
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ビル・トッテン氏が言うのは、すでに定説となっていることのようです。
日本の1980年代のバブルは、アメリカからの圧力によって起きた・・・金余りが原因
もともとは1960年代のベトナム戦争の後遺症と、70年代の原油価格の大幅値上げによる石油危機が起こり、ドル不安を招く。アメリカの景気後退が先行した事実として起きた。戦争で金を使い過ぎて、金が実態経済に回らなくなって、景気が後退する。
実業への投資を促すために金利を下げたのがアメリカ、金を借りやすくしたわけだが、同時に資金が金利の高いところへ逃げてしまうから、当時金利のよかった日本に圧力をかけて、金利を下げさせたと言う。

日本のバブル時代のすごさ&バブル発生〜崩壊の理由をわかり易く解説
http://pepera.jp/story_of_bubble/japan/
と言うのを参考に。わかりやすい。
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私自身がバブルについての知識が足らないの、グダグダとお付き合いさせてしまっている。
問題意識は、日本のバブルと中国のバブルのの相違で、なぜ中国のバブルは日本のような現象にならないのかと言うことにあります。

バブルの原因は「金余り現象」で、その金が実体経済から離れて、「投資のための投資」に走ること、<博打打ちに金を回して、博打を奨励>することにある。

1980年代のバブル狂想曲は、アメリカの策略に乗せられて「金余り」を作りだして、それで「金」に替えるとか、国策ファンド企業を作るとか、このときに「金融国家」への体質改善を図っていくような政策を選択すれば、違っただろうが、「ばくち行為」に走ったことがバブルの発生を生んだと言える。

倉都康行氏の「金融vs国家」の中で、「資金」と「資本」の違いについて触れていて、「お金を売買する」行為について触れている。言い換えればお金はそれ自体の融通の中で「付加価値=利益」を上げることができることを、今まで「過小評価」されてきたと言います。
宗教などで「利子」を禁止するとか、悪とみなすような見方が、それにあたるでしょう。人はそれを道徳的な範疇で否定して経済行為の中に含めてこなかったという歴史的な経緯がある。共産主義はそれを否定する所から始まるような理屈だ。
<博打行為>は昔から、貨幣経済のあるところには必ずあったと言っていい。ただそれを「道徳的に排撃」することで、「ルール化」されてこなかった。つまり野放しにされていたのだ。
バブルの発生は、中国においても日本においても実態系x剤と離れて「金余り状態」になって、その余った資本が「投機」に向かうことで生じると言える。私はそう理解する。日本の場合、アメリカの圧力から始まったことだけど、金融機関を含めて日本中が「実態経済」を離れて、「投機」に集中した。明らかに政府のミスりーどと言える。
「資本」が付加価値を生むことを正当な経済行為と認めて、ルールを作ることが必要なのだが、当時も今もない状態と言える。

バブル崩壊の原因とは・・・
問題はなぜ、日本はバブルが崩壊したのか。
「日本のバブル時代のすごさ&バブル発生〜崩壊の理由をわかり易く解説」
1989年、大蔵省の操り人形と称されてきた澄田日銀総裁が退任。
「株に手を出したことがない」と周りに自慢していた日銀生え抜きの三重野(みえの)さんという人が日銀総裁に就任した。
当時日銀は大蔵省の言いなりで、日銀総裁を大蔵省の人から選ぶのが普通だった。
そんな背景から、日銀でずっと働いてきた三重野さんが総裁に選ばれるのはすごい珍しいことだった。
この三重野日銀総裁・・・実は「バブルが日本経済に悪影響を与えている」と、ずっと一人で言い続けてた人なんだ。
というのも、土地の価格があまりに高くなりすぎて、普通のサラリーマンではとてもじゃないけど家を買うことが無理な状態になっていたからなんだ。
三重野さんは日銀総裁になると早速バブルをしずめようと・・・
今まで「金利をわざと低くすることでみんなが借金をしやすくして、(借金をして)株を買ったり不動産を買ったりしている人を応援する方針」を180度変えて、89年5月と12月、日銀は2回も金利を上げたぺぺ。
金利を上げて借金の利息を増やすことで、株や不動産を借金してまで買ってる人の目を覚まそうとしたんだぺぺ。
ただ、金利を上げた直後は何の効果もなく、みんな株に夢中のままだったぺぺ・・・
日経平均はその年の年末、史上最高値38,915円87銭に達した。
ただ年が明けた90年1月末になると、日経平均株価は最高値から2000円下落・・・
ついに雲行きが怪しくなってきたんだぺぺ・・・
大蔵省のバブル潰し。「銀行の不動産向け融資を減らす」という規制で地獄に・・・
1990年3月、当時大蔵省銀行局長を務めていた土田 正顕(つちだ まさあき)さんが、土地の価格を落ち着けるために、「企業にお金を貸す以上に不動産で儲けるためのお金を貸してはいけない」という内容の「総量規制(そうりょうきせい)」と呼ばれる決まりを作ったんだ。

ここで大事なことは、バブルを潰しに日銀と大蔵省が明確な意思のもとに行動したことだ。

・・・・新自由主義を推進したのがロックフェラーだとしても、バブル化とバブル崩壊を仕掛けたのもロックフェラーだというのはあまりにも短絡的です。日本における金融政策の要を握るのは日本銀行ですが、日本銀行は伝統的にロスチャイルドの支配を受けているとされています。従って、新自由主義政策に乗じて、バブルやバブル崩壊といった「金融資本主義の罠」を仕掛けたのは金融資本主義の錬金術に精通したロスチャイルド勢だといっていいでしょう。
(日本の戦後産業史-2-1970~1990年:しかけられたバブル経済)
bbs.kyoudoutai.net/blog/2012/03/1261.html -

と言う見方もできるけれど、まずは三重野日銀総裁が、決意したことが需要なのだ。と言うのも、中国では真逆であって、「潰さない」と言う方向で全力を傾けているように見えるからだ。
バブルの研究(3)でいよいよ本題に入れるかもしれない。問題は中国なのだ。
日本はバブルを終わらせることを自らの手で始めた。そのは池にロスチャイルドrの金融勢力が動いていようがいまいが、問題ではなくて、日本の意思でバブルを終わらせようとしたことが大事なのだ。
つまり、バブルの発生はアメリカの策略に日本が乗ったがためであるけれど、その終焉は自ら決断したことなのだ。
中国はリーマンショックの後に自ら金余り状態をt繰り出してバブルを起こしたが、バブルを終わらせようとはしない、または「できない」という事情が日本との相違なのだ。
日本は自らバブル潰しが「できて、中国はなぜ「できない」かと、言う疑問が湧く。でも答えはたぶん簡単だろう。日本は「産業先進国として成り上がっていた」のに対して、中国は「成り上がっていない」からなのだ。中国は社会的基盤・経済的基盤が出来上がっていないうちに「バブルになった」のだ。
日本は60年代、70年代に「成り上がった」上で「バブル」が引き起こされたのだ。これは太平洋戦争を仕掛けられたのと同じ構造であり、終わらせたのも同じ構造による。その後についてのハゲタカファンドはGHQの日本占領と同じような構造なのだ。
その後、ハゲタカ・ファンドは自爆する。
日本はしたたかに生き残る。トッテン氏の「日本は・・」を取り上げるのは、更にその先の生き残る「新保守主義」の議論に話をすすめたいからです。まだこのブログは続きます。
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