はぐれの雑記帳

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九重山を詠った短歌

2016年05月01日 | 山靴の歌
九重山 (1788m)  

九重山を詠った短歌
    くたみやま                      ほ
    朽綱山夕居る雲の薄れ行けばわれは恋ひむな君が目を欲り   万葉集巻十一二六七四   

 深田久弥が『日本百名山』で、「九重」の名の縁起を紹介する下りで、万葉集から引かれているのが、はじめの歌である。万葉集の巻十一の歌は、恋の歌であり、「くたみ」が「クサミ」「クスミ」となり「久住」と書かれて音読みになって「くじゅう」「九重」となると、深田久弥の「百名山」の説明にある。朽綱山という地名が突然でてくるのが奇異なのだが、九州では古くから知られていたのであろう。この歌は恋の歌で、「久住山にかかる薄雲がはれていくほどに、あなたへの恋しさがつのります」というほどの意味だ。遠くから眺めると、この九重山の山波のたおやかな美しさに相応しい。

    葦切の声響くあり草隠り久重高原を水しだゐて        宮 柊二

 宮の歌は昭和四十九年北原白秋の歌碑が豊後の地に立てられ、その除幕式に訪れた際の歌。現代も多くの歌が読まれているとは思うが、手元にない。北原白秋は明治四十年に、与謝野寛ら五人で周遊旅行をしているので、その折りに詠まれた歌が歌碑になったのだと思われる。

    夕焼の高窓みあげ南国の街に入りぬと角吹く馭者は      北原白秋

というのがあるが、町を特定できない。また歌集『桐の花』に「久留米旅情の歌」があるが、この時期のものと思えるが、詳しく調べないとわからない。

    九住山霧をむら濃に吹きはらふ峰越の風肌に痛しも      須田伊波穂

 須田の歌は、西千里ガ浜から久住山の稜線にでて、火口底から吹き上がる風に触れると、このことが実感しうる。天気が悪ければなおさらのことであろう。久住分かれの地点に立と火口底が荒々しく見えるが、私はいい天気に恵まれた。

    こよひここに泊ると張りし笹原の天幕めぐりて鳴くきりぎりす 田中俊介

 田中の歌は、秋の『坊ヶつる』に天幕を張ったときだときの感慨であろう。きりぎりすの鳴く月夜の草原に山男ひとりいる、という感がある。坊ヶつるは尾瀬を少し小さくしたような処であるという。「坊ヶつる賛歌」の歌は有名だ。
    
    大船の山根に凝りし雨雲のうごくともなく夕さらむとす    持田勝穂

 持田の歌は、九重山群の大船山を歌ったもので、「山根に凝りし」の表現が雨雲のいやらしさを言いえておもしろい。これも山中に泊まる歌であろう。持田は九州の山々を広く詠んでいるのだが残念ながらどんな歌人かわからない。久住山と並んでこの大船山は九重山を代表する山である。
久住山  
2000・5・2 牧ノ戸峠 13:00 久住山 14:15~14:20 牧ノ戸峠15:30  

 五月二日。朝八時半、長崎の大村を発って、日田市に立ち寄り、九重の滝ノ本高原に入り、食堂で昼食をとって、牧ノ戸峠に向かった。晴天で気持ちがよい。
今回は妻との九州旅行のなかで、私だけが山に登るため、この山を味わう余裕はない。今日は久住山だけを登ることで我慢することとする。
 峠の売店の駐車場に妻をおいて一人でむかう。登山靴は使わずにスニーカーである。ストックを二本使う。昨年の夏以来の登山となる。峠から西千里ガ浜まで一気に駆け登る感じでひたすら足を早める。星生山が大きく目の前にある。急斜面の登りがゆるくなると西千里ガ原の入り口である。じつに清々しい快適な気分になる。草原の道で、ここにまで来ると写真で見覚えのある久住山の姿を見ることができる。前を若いカップルが楽しそうに歩いている。この草原が久重の雰囲気なのだろうと思った。

     草千里わたる風のさわやかに若い二人は手をとり歩む

 西千里浜から眺める久住山は、その形状からしてすぐにわかった。『九重山は、山群の総称であって、その主峰は久住山』と、深田久弥は書いているが、現在では中岳が最高峰となった。しかし、深田久弥は言う、九重の山々のなかでも、『何といっても品のあるのは久住山である。殊に北側の千里浜と呼ばれる原から見た眺めた形は、精鋭で颯爽としていて、九重一族の長たるに恥じない』と。まさにその通りに、山頂からスパッと鋭角に切れ落ちて、荒々しく見える姿は、他の山とその山様が異なっている。

    久住山の岩峰切れ落ちてゆくさきにながれこむ風の音

 避難小屋の先が久住分れで、そこから見る光景は、硫黄山の山腹から噴煙が音をたてて噴き出し、火口底から茶褐色に荒んだ山肌で、草原とは対象的な荒々しさである。安達太良山の沼尻への景色と同様のもので、久重が火山である事を思い知らされる。深田久弥は、久重の原や温泉には触れているが、、荒々しい光景には言及していない。持田勝穂の歌に『眼下の谷底に沈む霧深したぎちの音もいまは聞こえず』というのがある。これは「久住わかれ」から見た火口の光景がかさなるが、天気は歌とは違って、まったくの五月の晴天。高原哨遥の気分だ。 

    硫黄岳はいまも白煙を吐く噴き出す音にたじろぎとまる

 山頂からの眺めは霞がかかって、祖母や阿蘇の峰々が霞んでみえないのが残念であったが、『坊ヶつる』や法華院温泉など、じっくりと味わってみたい山であることに間違いない。再び訪れてゆっくりと味わってみたい。秋が最適だと思う。駆け足で山頂に立つ。写真だけ撮ると、また慌ただしく山をおりた。本来ならこんな登り方はしたくないのだが、妻が登らないのでやむをえない。牧ノ戸の駐車場から長者ヶ原に、爽快な高原がひろがる。見返れば美しい山々である。
    ここのえ
    九重につらなる山のおおらかに若芽吹く高原 空ははてなく

湯布院町と大分の『鳥てん料理』と『だんご汁』
 飯田高原のドライブインで飲んだ牛乳は美味しかった。国道を湯布院にとり、その美しいひびきをもつ町のたたずまいにふれることに憧れていた。当初の予定にはなかったのだが、宿泊を大分にすることにしたので、立ち寄ることにした。由布岳の真下に町が広がっている印象をうけた。由布岳の特異な姿も捨て難い。
 駅前や観光スポットの一角は、清里や軽井沢の小型版みたいで、観光客は多くいたが、私たちの興味をひかなかった。観光地の池の近くに、土地の共同風呂があったが、駐車場がなく入れなかった。後で知ったが、男女混浴で、道端からのぞかれそうな風呂だという。残念ではあったが入らないでよかったかもしれない。町営の施設に寄ったが、時間外になってしまい、ついに湯布院では温泉に入ることはなかった。                       
  
   由布の峰希にこの朝雲無きを柳のかげの湯船より見る    与謝野 寛         
   雨を撒かねど雲を撒く夕風ありてうらさびしけれ      与謝野昌子

 湯布院について与謝野寛夫婦の歌があった。寛の歌はうらやましいかぎりだ。山岳短歌集にあげられている。長逗留したに違いない。さぞや昔はひっそりとした山中の温泉町であったことであろう。その情緒をもった、由緒ある温泉宿で泊まるのが、この町での過ごし方としては、正解なのだろう。由布岳を見ながらこの町をあとにして、別府、大分にむかった。
 大分には『鳥てん』という料理があるというので、街角でその料理の食べられる店を紹介してもらった。レンガづくりの大分銀行のある商店街の裏に「レンガ屋」というレストラン(食堂)を教えられた。客はいなかったが、『鳥てん定食』というのがあって、それを注文した。ご主人にきくと、「とり肉」のてんぷら料理なのだそうで、大分の家庭料理のようでもある。鳥肉につける下味がそれぞれ違うので、店によって味が異なるのだそうだ。唐揚げより柔らかく食べやすい。値段も安い。東京では出会ったことのない料理に満足した。
 ついでながら、レンガ屋の主人の奥さんの言うには、大分の名物は、この「鳥てん」と「だんご汁」で、道中あちらこちらで『だんご汁』の看板をみたが、どんなものかわからず、食べずにいたが、うどんを手でちぎって入れるものや、ひもかわよりもっと厚いものとかで、うどんの一種なのだそうだ。ちなみに熊本に入るとこれが『だご汁』と呼ばれて「ん」の字が抜ける。中身は同じだそうだ。熊本の山鹿でこの「だご汁」を食べたが、いわゆる関東でいう「すいとん」のことであった。その夜は大分の豊国健康ランドに泊まる。妻は初めて経験であったが、「塩のサウナ」なるものがお肌をすべすべにしてくれて、いたく気にいったとのこと。翌日は午前五時には大分をでることにして、仮眠室で休んだ。



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