『桜の森の満開の下』に対してのわたくしの不満は「真面目か!」に尽きます。
ファムファタールものとして上品なウェルメイドでありすぎて、あの傑作狂人コント『風博士』の安吾さんは何処?と文句のひとつもいいたいわけです。
なに教科書みたいな小説書いておるんだと!
しかし、つぶさに読んでいくと、さすが安吾先生、哄笑しながら執筆しておられただろう箇所が散見できる。
ペチャペチャとくッつき二人の顔の形がくずれるたびに女は大喜びで、けたたましく笑いさざめきました。
「ほれ、ホッペタを食べてやりなさい。ああおいしい。姫君の喉もたべてやりましょう。ハイ、目の玉もかじりましょう。すすってやりましょうね。ハイ、ペロペロ。アラ、おいしいね。もう、たまらないのよ、ねえ、ほら、ウンとかじりついてやれ」
女はカラカラ笑います。綺麗な澄んだ笑い声です。薄い陶器が鳴るような爽やかな声でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/72/fdeef959f957e31303e999dd049dac02.jpg)
昭和22年にあってすでに「ペロペロ」とは!!!
‥‥‥
問題は『桜の森の満開の下』の時代設定です。
これはテキストを見渡しても、きちんと書かれてはいません。
しかしなんとなく平安期だろうという、コンセンサスがありますね。
あえて未見の篠田正浩の映画〔1975〕でも12世紀あたりとなってます。
男は都を嫌いました。都の珍らしさも馴れてしまうと、なじめない気持ばかりが残りました。彼も都では人並に水干を着ても脛をだして歩いていました。白昼は刀をさすことも出来ません。市へ買物に行かなければなりませんし、白首のいる居酒屋で酒をのんでも金を払わねばなりません。市の商人は彼をなぶりました。野菜をつんで売りにくる田舎女も子供までなぶりました。白首も彼を笑いました。都では貴族は牛車で道のまんなかを通ります。水干をきた跣足の家来はたいがいふるまい酒に顔を赤くして威張りちらして歩いて行きました。
↑のような描写からしても、水干、牛車‥‥‥やっぱ平安時代じゃね?という。
しかるに↓
女は櫛だの笄だの簪だの紅だのを大事にしました。彼が泥の手や山の獣の血にぬれた手でかすかに着物にふれただけでも女は彼を叱りました。まるで着物が女のいのちであるように、そしてそれをまもることが自分のつとめであるように、身の廻りを清潔にさせ、家の手入れを命じます。その着物は一枚の小袖と細紐だけでは事足りず、何枚かの着物といくつもの紐と、そしてその紐は妙な形にむすばれ不必要に垂れ流されて、色々の飾り物をつけたすことによって一つの姿が完成されて行くのでした。
女房装束の描写はよいとして、笄、簪云々とありますが、実は平安期はまだ女性の髪飾りの習慣が一般的でなく、そもそも装身具としての笄や簪は存在していなかったのではないかという‥‥‥
つまり、やろうと思えば『桜の森の満開の下』は近未来SFとかにしてしまってもよいくらい、ファンタジックな世界観を持っているといえるのではありますまいか!
などといいつつ、せっかく平安期を舞台にした時代劇漫画を描ける機会を逃すことを、わたくし望まないのでありました。
つづく。
ファムファタールものとして上品なウェルメイドでありすぎて、あの傑作狂人コント『風博士』の安吾さんは何処?と文句のひとつもいいたいわけです。
なに教科書みたいな小説書いておるんだと!
しかし、つぶさに読んでいくと、さすが安吾先生、哄笑しながら執筆しておられただろう箇所が散見できる。
ペチャペチャとくッつき二人の顔の形がくずれるたびに女は大喜びで、けたたましく笑いさざめきました。
「ほれ、ホッペタを食べてやりなさい。ああおいしい。姫君の喉もたべてやりましょう。ハイ、目の玉もかじりましょう。すすってやりましょうね。ハイ、ペロペロ。アラ、おいしいね。もう、たまらないのよ、ねえ、ほら、ウンとかじりついてやれ」
女はカラカラ笑います。綺麗な澄んだ笑い声です。薄い陶器が鳴るような爽やかな声でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/72/fdeef959f957e31303e999dd049dac02.jpg)
昭和22年にあってすでに「ペロペロ」とは!!!
‥‥‥
問題は『桜の森の満開の下』の時代設定です。
これはテキストを見渡しても、きちんと書かれてはいません。
しかしなんとなく平安期だろうという、コンセンサスがありますね。
あえて未見の篠田正浩の映画〔1975〕でも12世紀あたりとなってます。
男は都を嫌いました。都の珍らしさも馴れてしまうと、なじめない気持ばかりが残りました。彼も都では人並に水干を着ても脛をだして歩いていました。白昼は刀をさすことも出来ません。市へ買物に行かなければなりませんし、白首のいる居酒屋で酒をのんでも金を払わねばなりません。市の商人は彼をなぶりました。野菜をつんで売りにくる田舎女も子供までなぶりました。白首も彼を笑いました。都では貴族は牛車で道のまんなかを通ります。水干をきた跣足の家来はたいがいふるまい酒に顔を赤くして威張りちらして歩いて行きました。
↑のような描写からしても、水干、牛車‥‥‥やっぱ平安時代じゃね?という。
しかるに↓
女は櫛だの笄だの簪だの紅だのを大事にしました。彼が泥の手や山の獣の血にぬれた手でかすかに着物にふれただけでも女は彼を叱りました。まるで着物が女のいのちであるように、そしてそれをまもることが自分のつとめであるように、身の廻りを清潔にさせ、家の手入れを命じます。その着物は一枚の小袖と細紐だけでは事足りず、何枚かの着物といくつもの紐と、そしてその紐は妙な形にむすばれ不必要に垂れ流されて、色々の飾り物をつけたすことによって一つの姿が完成されて行くのでした。
女房装束の描写はよいとして、笄、簪云々とありますが、実は平安期はまだ女性の髪飾りの習慣が一般的でなく、そもそも装身具としての笄や簪は存在していなかったのではないかという‥‥‥
つまり、やろうと思えば『桜の森の満開の下』は近未来SFとかにしてしまってもよいくらい、ファンタジックな世界観を持っているといえるのではありますまいか!
などといいつつ、せっかく平安期を舞台にした時代劇漫画を描ける機会を逃すことを、わたくし望まないのでありました。
つづく。