大学の野蛮ウラの巻

うっほほ~いウラ日記

吉備は山の中です

2016-03-12 23:12:34 | 歴史
意外な事実を知る。
ボヘミアンで有名な葛城ユキがフォークソング歌っていたことを・・・
ハードロック路線は、その後らしい・・・・
木曽は山の中聴くと知床旅情みたいでいい旅行ソングじゃないか
こんばんは、あんぱんです

前の会社の先輩と後輩の3人で吉備路へ旅行に行った。
姫路から先輩の運転する車で総社市へ入る。総社市には国分寺や造山古墳など古代では一大拠点だったことが推察される場所である
昼についたので、まずは、腹ごしらえ。ダメもとで手打ちうどんよこたへ。人多かったが運良く一席空いていた。釜あげうどん定食食べる。

長いうどんがたくさんあり、うどんのツユにつけて食う。旨しだ。セットでカレーかカヤク飯選べるのでカヤク飯にする具沢山の釜飯文句なしである。しかし総社市の市民性なのか正午には、たくさんいた客が12時半にはガラガラになっていた。本当に疑問である。

そして、鬼ノ城に向かう。ここは、白村江の戦いの後に唐や新羅に備えて作られた山城と言われるが謎が多いのだ。

途中すごい山道に、お地蔵さんが所々にあった。駐車場は綺麗だったが売店や自販機はない。まさに吉幾三先生のオラさ東京さ行くだみたいな感じだった。しかも門まで結構山道なんだよなあ。そして出てくるのは大きな土塁と西門である。入ると中は平坦な土地でなく小高い丘みたいな構造であった。そこから瀬戸内海がギリギリ見渡せる雄大な光景が見られた。
次に向かうは、備中高松城。豊臣秀吉が水攻めにした場所である。当時は沼地が多かったらしいが現在では田んぼの他に民家が結構あった。

小さな資料館があり、当時、小舟上で大勢の前で切腹した清水宗治の栄誉を称えていた。たしかに毛利との講話で一番揉めたのは清水宗治の切腹についてだからなあ。
近くの和菓子屋では宗治饅頭なるものが売られていた。先輩が買ったので分けてもらいました。手に皮がついてしまうのは難点ですが、まあ上手かった。あと駐車場に変なバイクが止めてあった。ダサい浅めのピンク色も強烈だがぬいぐるみとラッパが付いていたぞ。今時、こんなバイクあったなんて感動して写メとった。


次に吉備津神社か最上稲荷に行くか先輩が迷いますが後輩とボクはどっちでもいいので委ねます。結果、大鳥居が高松城から見えるので最上稲荷に行く。

稲荷の麓に車止めて参道を歩く。駐車場が箱に300円と書いてあるだけの青空式に懐かしさを感じる。英賀保の500円駐車場を思い出した。だが参道沿いの店がシャッター商店街になっていた。夕方になりつつあったが土曜日だよ……諸行無常の感がした。辛うじて営業している土産店では柚子煎餅を自前で作っているので柚子煎餅と柚子饅頭買う。柚子の歯応えがいいなぁ。柚子饅頭の柚子は関係なく餡が好き。普通にこし餡の饅頭でもよかったかも……
稲荷自体は、疎らに参拝客いたが土曜日と思えば少ない。でも建物は、立派だった。結構、西播の人が寄付しているような。
そして、土産を買いに道の駅に行きます。先輩は総社の消防カレーが欲しいからです。
最初のスポットは国分寺の前だが結構小さな道の駅でアイテムが少なかった。俺は、なぜかチラホラ見かけた羊羮を土産に買い、安富牧場のソフトクリームを買う。

まあ取り立てて違いはないと思ったがな。先輩は国分寺に行くか聞いたが後輩が、やや体調不良なのと引き上げる時間を過ぎてしまったこととを理由に断る。正直、遠目から見れたし、モチベ下がってたからなあ。代わりに先輩は、もう一ヶ所道の駅に行き奇跡的に消防カレーを見つけた。ボクも馬車馬王子用に購入した。そして、帰路へ。姫路出た時は10時半で姫路駅に帰った際は18時半。約八時間の旅。でも姫路まで片道2時間くらいかかる俺は半日だがな。その後、20時過ぎまで姫路おでんで一杯やっていた。生姜醤油がわからんというかポテトとタコのコロッケがうまかったので…
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