先週の土曜日、6月5日は勘九郎の一周忌でした。
勘九郎がいなくなってしまってからの一年、勘九郎の事を思い出さない日はないと言っていいくらいでしたが、一周忌の日は特にずっと勘九郎のことばかり思い出していました。
前日の朝までいつも通り散歩に行っていたのに、翌朝目を覚ましたら息をしていなかった勘九郎なので、しばらくの間、勘九郎がいなくなったことが信じられず、日が経つにつれて、じわじわと勘九郎の死を感じてきたように思います。
生まれつき身体が弱くて、生後2か月足らずで私の家に来てから、ずっと「体の弱い犬」という印象で、薬と通院は欠かせない勘九郎でしたが、それが当たり前の生活になっていました。
16歳10か月、その割には長生きしてくれたのではないかと思う反面、亡くなった日の前後の事を思い出すと、もしかしたらもっと何かできたのではないか、そうすればもう少し長生きしてくれたのではないか、という後悔もあります。
でも、何をどう考えてもいなくなってしまったので、仕方ないなと思います。
性格の良い犬だったので、晩年はおとなしすぎてあまり存在感がなかった気がしますが、それだけに今になって愛おしさが増しています。
現在は、はなとの生活ですが、はなもアジソン病、肝硬変、口腔鼻腔ろうを患っているので、あまり安定した日が続くことはありませんが、それでも、はななりに頑張って生きているんだろうと思います。
たぶん、我が家の最後のペットになると思うので、少しでも長く一緒にいられるように・・・と思っています。