はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

奈落の底から蜘蛛の糸

2012年08月30日 | 雑談
先日、歌舞伎俳優、市川染五郎さんが公演中に舞台のセリから奈落に転落して、救急車で都内の病院に緊急搬送されました。
頭と、右半身の打撲、手首の骨折だったそうですが、大事に至らなくて良かったなと思っています。
障害を背負うことなく復帰できそうですよね。
 
連日のニュースで「奈落」という言葉がたくさん使われていますが、私の中で「奈落」というと、とても恐ろしいイメージがあります。

”奈落の底に突き落とされる”・・・真っ暗な深い深い底の知れない穴に落ちるようで、考えるだけでも恐ろしい。
それが、今回のニュースで何度もその言葉が登場し、その度に何とも言えない暗い気持ちになりました。

奈落って、歌舞伎から来た言葉だったんだ!とその時思いましたが、実際は、仏教用語なんだそうですね。

ものごとのどん底や底知れない深い場所の意味から舞台や花道の地下のことを奈落というようになったそうです。

私が何故、そんなに奈落という言葉に恐ろしさを感じるのか。

子供の頃に読んだ芥川龍之介の「くもの糸」という話を思い出すからです。

【蓮池の下にある地獄の海にいるカンダタをお釈迦様は蜘蛛を救ったという理由で蜘蛛の糸を垂らして助けようとする。
でもカンダタは、自分の後を追って上ってくる無数の罪人を見て、慌て、こんなにみんなが上ってきたら蜘蛛の糸は切れてしまって、自分は助からないと思い、「お前達は、降りろ!降りろ!」と叫ぶ。
その途端に糸はプツリと切れて、カンダタは地獄の底に落ちる】
というみなさんご存知の話です。

子供の頃この話を読んで、暗い気持ちになりました。
自分だったらどうする?
仮にみんなと一緒に登ろうとした場合、他の罪人もみんな助かったんだろうか?
罪人がみんな上がってきてしまったら、お釈迦様はどうするつもりだったんだろう?
カンダタだけ助けて、他の人は落としたのかな?
だとしたら、私も今後、自分だけ助かろうなんて思ってはいけないんだろうな。
そんな立派な人になれるんだろうか?
などと考えました。
その時に、地獄の底=奈落の底=恐ろしい場所というイメージが埋め込まれました。

でも、この年になって思います。
「一部始終を見ていたお釈迦様は、悲しそうな顔をして、その場を立ち去りました。」
という下りがありますが、一体お釈迦様はどうして欲しかったんだろう。
どっちどうしても、カンダタは助からなかったんじゃないの?
お釈迦様の一時の気まぐれで蜘蛛の糸を垂らして、その結果を興味津々で眺めていた・・・そんな感がしてしまいます。
お釈迦様の慈悲深い顔を想像すると、その心の中が不気味に思えたりします。

私も、そんな風に皮肉に考えるような年齢になってしまったということかな?
でも、こんなことを書いて罰が当たるんじゃないかという心配も、心のどこかにあるんですよ(苦笑)


最新の画像もっと見る