竹村英明の「あきらめない!」

人生たくさんの失敗をしてきた私ですが、そこから得た教訓は「あせらず、あわてず、あきらめず」でした。

しずおか未来エネルギーに行ってきました。

2017年01月21日 | 地域エネルギー
今週は、1月17日に原発事故コスト託送料金上乗せ制度・・へのパブコメを済ませ、翌日18日に「しずおか未来エネルギー」の視察に行ってきました。「しずおか未来エネルギー」も、2011年の3.11福島原発事故後に続々と誕生した市民電力(ご当地エネルギー)の一つです。
冒頭の写真は「世界遺産の太陽光発電!」。え、「世界遺産と太陽光発電」じゃないかって。政界遺産には、この辺り一帯から見える富士山が登録されていますので、景色も世界遺産。だから世界遺産の景色としての太陽光発電なんです。
ここは清水エスパルスの本拠地、IAIスタジアム日本平。静岡市と清水エスパルスとしずおか未来エネルギーが協力し、市民のお金で発電所を作りました。
右のほうには桜の花が見えます。春になると、この桜が満開になり、桜と富士山と太陽光発電になります。その中を、多くのサッカーファンが清水エスパルスの応援にやってくる。なんという素晴らしい構図でしょうか。
しずおか未来エネルギーの代表取締役社長・服部乃利子さんは、最初からその構図をイメージしていたと言います。だから、とてもとても困難だった、このサッカー場への太陽光発電設置に取り組んだと。このサッカー場にやってきた子供たちが、活躍している太陽光発電も目にし、学び、次の世代のものにしてくれる。
未来永劫に渡って、再生可能エネルギーを広げ大きくしていくために、綿密な作戦があったのです。

しずおか未来エネルギーと日本平動物園

服部さんは、NPO法人アースライフネットワークの理事でもあります(前記事で「代表」と書いてしまいましたが、服部さんから訂正連絡ありました。失礼いたしました。)。このNPOは2004年に静岡県の地球温暖化防止センターの指定管理者になります。行政職員ではない、地球温暖化防止の担い手として、現在までこの仕事を確固たるものにしています。そして2011年、あの原発事故が起こりました。そこで、これは!と動き出し、静岡の老舗「鈴与商事」と一緒に「しずおか未来エネルギー」を立ち上げます。「鈴与商事」は、あの清水次郎長の末裔なんだそうです。

「鈴与商事」の応援を受けることで、「しずおか未来エネルギー」は最初から地域の金融機関を事業検討のテーブルに座ってもらうことができました。そして、行政との交渉?は服部さんの得意分野。
番町市民活動センター、日本平動物園、そしてIAIスタジアム日本平などへ次々と太陽光発電設備を乗っけていきました。今は、合計346kWの発電設備になっています。

まず最初に、日本平動物園に行きました。しずおか未来エネルギーの最初の発電所です。ここには、出資者の記名板が建てられていました。全て地域の木材で作る・・というのが、大切なコンセプトです。


太陽光発電への出資者の記名板

はじめて知りましたが、服部さんは、この動物園の運営委員長もしていらっしゃる。もう、我が動物園になっていて、シロクマもレッサーパンダもアムールトラも名前で呼んでいました。
ホッキョクグマ(シロクマ)のロッシーは泳ぐのが大好きで、何度もなんども水中ででんぐりがえりをしていました。


水が大好きなホッキョクグマのロッシー

動物園の中で太陽光発電が設置してあるのは、少し高台の管理棟の上です。来場者からは見えないのが少し残念と服部さんは言っていました。みんなに見える動物園の入り口とかに設置できたら・・とも。
でも、動物園への設置はとても大変なのです。飯田市、長野市、そして横浜市で私も経験しました。飯田市の動物園に設置した時には、まだFIT(固定価格買取制度)もない時期でしたので、基本的にそこの施設で電気を使ってもらうというビジネスモデルでした。
でも、動物は電気は使わないのです。さすが野生!そこで、飯田市動物園では、園内を走る子供用の汽車の電気に使いました。太陽光発電はその駅舎の屋根に取り付けましたが、その位置は動物園の真ん中。
太陽光発電の設置をしたことがある人ならわかると思いますが、余剰電力の売電をしようとすると、どこかの電柱に太陽光の電気を引っ張って繋がないといけません。確か直近の電信柱まで200メートルはありました。動物園は広いのです。
長野市の動物園では、ついに電信柱が遠すぎて断念。横浜では、なんだかハズレの休憩所のトイレの上なんていうロケーションになってしまいました。
服部さんも最初は、動物園入り口のちょっと盛り上がった植え込みに設置しようとしたそうです。ところが、ここは日本平。一帯全部が自然公園となっていて、草木の形状を変えてはいけないのだそうです。つまり野立ての発電所は不可。既築の建物の上しかダメということで、管理棟の上になったそうです。

自然公園法と河川法と小水力発電

さて、動物園をあとに、IAIサッカースタジアム日本平に向かいました。
ここも「日本平」なので、自然の形状変更はダメ(うーむ、サッカースタジアムはできるのに・・。)ということで、駐車場の通路に屋根をつけることにしました。いきなり太陽光はダメなので、まず既存の建物である屋根をつくった・・。
その次に、屋根の上に太陽光発電を載せる許可をもらって、発電パネルを置いたそうです。しかも、電信柱は相当に遠く、坂道を500メートルほど下ったところにありました。だから、ここの接続負担金(送電線と太陽光発電をつなぐ工事の費用。通常、電力会社から一方的に請求される。)は相当に高かったようですし、遠いので発電側から電信柱域までの間のロスも大きいようです。
でも、そんな苦労を乗り越えて完成したのが、冒頭の「世界遺産の太陽光発電!」なんです。

再生可能エネルギーには、さまざまな法令の壁があります。
今、だいたい見えてきていますが、当初はやってみないとわかりませんでした。
飯田市で、公共施設の屋根に太陽光パネルを乗せようとした時の最初の壁は、「目的外使用」でした。公共施設の屋根の上は看板だとか携帯電話の電波塔だとかに貸す時は「目的外使用」になります。その契約は通常は1年か2年。でも太陽光発電事業で採算を撮るには、当時20年は必要だったのです。20年の目的外使用許可なんて聞いたことがないというのが当時の状況でした。「前例主義」の行政としては、前例のないことをするのは大変な勇気を必要とするのです。
これを突破できたのは、飯田市長の英断でした。政策投資銀行出身の市長さんは、長くドイツに赴任されていて、ちょうどドイツで再生可能エネルギーがどんどん普及するのを目の当たりしていた方でした。それが、太陽光発電に20年の目的外使用を出す大きな根拠になっていたのだと思います。

静岡では「自然公園法」の壁。
このほかにも各地で、建築基準法の壁や農地法の壁などなど、いろいろ現れています。
その一つが河川法、こちらは小水力発電への壁です。

今回の視察目的の一つは、しずおか未来エネルギーが計画をしている小水力発電の現場を訪ねることでした。
まだ、全く影も形もありませんが、予定地が決まってきたということです。
静岡市はとても広く、北側は山梨県の南アルプス市に接しています。山深い中山間地がそこにあります。そういう地域は、実は小水力発電の可能性が最も大きいところ。そこで、その地域の皆さんを連れて、神奈川や山梨の小水力発電を見て回ったそうです。で、小水力発電がつくられていた川のようなところが、どこかにないですか・・と聞いたところ、清沢という地域の方が「あるよ」と言いてくれたとか。
そこで、地域の人と勉強会を重ねながら、安倍川という川の上流の清沢(藁科川と言うらしい)の水量調査を開始。その結果、水量はそう多くはないが落差が100メートルもあり、150kWくらいの発電所が作れるということになったとか。ただ、小水力発電は9割が土木工事で、その大半は送水管の工事。中山間地の道は狭く、生活道路でもある道を長く塞いで工事することは難しい。
いくつかのルートを検討しながら、じっくりと地域の人と話を重ね、地域にメリットを出せるような事業のあり方を探しているということでした。丁寧な、地域の皆さんにも配慮した、模範的な進め方だなあと思いました。

ここでも、本当は河川敷を使って、すーっと送水管を引っ張れれば、工事も簡単で安上がりにできるのに・・と思ったら、河川法でそこは手をつけてはいけない、もしくは、どんな災害でも壊れないようなものにしなければいけないという決まりがあるということで、触れないのだそうです。
それで、右手の山の中を工事して、急斜面に送水管をはわせるか、生活道路を掘り返して送水管を埋めるしかないということになったとか。この小さな沢は過去に暴れたことがあるらしく、かつて数家族が土砂に埋まったという鎮魂の碑が、沢のほとりに建てられていました


清沢の鎮魂の碑

そんな暴れ川で、山から直径1メートルもありそうな石(岩というべきか)がゴロゴロ流れてくるらしく、川底は巨大石でいっぱいでした。それを鎮めるために、何段にも渡って「砂防ダム」がつくられ、残念ながら、魚が遡上する道は全くありませんでした。こういう山間部の治水のあり方も今後課題になるかと思います。今回の小水力発電は、この砂防ダムのずーっと上で水を取るという計画です。


小水力発電計画地の何層にもなる砂防ダム

今は一番の渇水期で水がほとんど流れていません。
この辺りは、水が伏流するそうで、水の浸み込みやすい、つまりは崩れやすい、そんな土地なのかなと思います。
そんな伏流水の出口がどこにあるのかな・・なんてことも思いながら山を降りました。
山間部の谷間は、どこもかしこも茶畑になっています。段々畑の茶畑で、機械化など難しい人間の手で茶を積み加工する、昔ながらの方法が、綿々と続いている、それでまだ継続していけるという文化が根付いた、そんな静かな山村という風情でした。(静岡市内なんですが)
各地で起こっているように、だんだんと農業後継者がいなくなり、限界集落化する前に、ぜひ地域の資源(水)を生かして、若者が定住できる村へと進化して欲しいなと思いました。それを助ける、再生可能エネルギー事業でもあります。





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