私の写真日記

私は喜寿近くになり50年勤め完全退職しました。これから健康寿命を伸ばし夫婦共々穏やかに楽しむ人生を願っています。

冊子にしてまとめて置くのも良い方法

2024年07月16日 | 自分のブログ

昨日、棚を整理していたら仕事関連で作成した各種冊子が出てきました。

23歳から72歳までの50年間、よく働いたと思っています。(思っているだけです)

その中でも、レポートや論文、資料、作成した月刊誌などは冊子にしてまとめていました。

その中の一部です。

ある事業に係わり、その新聞記事を冊子にまとめました。

具体的なことは申し上げられませんが、一つの事業が終結するまでに9年間かかりました。

毎日のように、新聞記事になって取り上げられました。

まとめると、超膨大な資料?にもなりました。よく働きましたよ。

ピーク時の3年ぐらいは家族とまともに夕食も取れませんでした。

それに関連する他の資料もこんな厚さになっています。

当時のことを知るものは私だけになりました。

この事業が土木学会のある部門で「昭和の土木史の一つ」として、3時間分の発表と資料作成を依頼されたこともあります。(他には東名高速道や黒四ダムもありました)

お受けして、いざその段階になった時に、新型コロナウィルスの発生で中止になりました・・・。

ある部署の月報も自分で作成し毎月15日に発行して、その部署に在職中だけでもこんな厚さになりました。

その間にも2000年問題?のカウントダウンもありましたね。

各大学でのゲストティーチャーも依頼されて、そんな資料も合わせると膨大になります。

この冊子は各部門で活躍する方の一人として、受け持った講義です。400人は入れる大教室でした。

ほとんどの大学ではゲストティーチャーとして90分授業ですが、アドリブでの講義です。

結局、23歳から60歳までをファーストステージとすれば、初期のバブル期はいわゆるヘッドハンティングもあり迷いましたが、最初の仕事を続けました。

そして、60歳から65歳までは関連事業での役員です。(セカンドステージです)

東日本大震災も発生し、その関連でも動き回り分厚い報告書もまとめました。

その記録集も有効に使われているようです。

これも毎月、自分で作成した会報です。

それ以外にもまとめた資料や論文もたくさんあります。

やがて、65歳の時にある企業から手伝ってくれないかと72歳まで通勤しました。(サードステージです)

年金をいただいていましたので、この時からボーナスが無くなりました。

地球温暖化のせいか?各所で地震や豪雨災害に見舞われました。

ほとんどの震災現場には行っています。

仕事としてはアドバイザーですが、ある大きな水害で被災した施設のことで後世の社員が参考になるようにとレポートと作成いたしました。

社員数5000人くらい(関連企業を入れると分かりません)ですが、これが社に貢献したとして「社長より貢献表彰」を受けたこともあります。

アドバイザーと言いながらも、だたの嘱託社員です。しかし、社内でのいろいろな要望もあり全国各地を飛び回っていました。中国の上海や青島なども2度ほど(ほとんど観光で)行かさせてもらいました。

月に何回も新幹線や飛行機利用の出張です。もちろん仕事はシッカリと行いますが、いわゆる反省会が楽しかったですね。

社員のみなさんようにと作成した資料です。「会社内の常識が社会での非常識」にも感じることもありましたので、言いたいことはずばりと気兼ねせずに申し上げ、不定期ですが意見に考え方、そして用語などを発信し続けました。それをまとめて冊子にしたらこの厚さになりました。

今でも、若手や中堅社員が困るとこの資料を参考にしていると聞いています。

一つのバイブル的なモノになったのでしょう。

何を申し上げたいかと言うと、資料等は必ず冊子にしてまとめるということです。

ファイリングではダメなんです。ファイリングはどこかのロッカーに納められて、利用されることはほとんどありません。冊子にすることによって、新たな使い道が出来るのです。

いま、考えればこれらの冊子が私の50年間働いてきた証になり、宝物になっています。

ペラペラめくるだけで、当時のことが思い出されます。

先輩の言葉です「ワーク ハード プレイ ハード」(よく働き、よく遊べです。)

良く遊び過ぎた感もあり、そのためか趣味も豊富になりました。

拙ブログでは、そんなお堅い話しはご紹介しいていませんが、こんなこともしていたのです。

 

yuki76


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2 コメント

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Unknown (sr1007)
2024-07-16 07:58:36
sr1007
中島みゆきさんの地上の星が聞こえました。たからかに。プロジェクトXですね。
まさに昭和の男そのものの働き方でしょうか。
日本が輝いていた頃その中心で働いていらしたんですね。
お疲れ様でした!

次のステージは?
楽しみですね。
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Unknown (うらら子さん←yuki)
2024-07-16 08:37:27
ちょうど、NHK朝ドラの「おしん」が放映されていた頃で、何かその苦労?がダブって見えました。
プロジェクトXのメンバーでしたね。
そう言われれば、昭和の男の仕事だったのかも知れません。
これはZ世代には分からないかと思います。

次のステージ?「喜寿過ぎれば人生花畑」とありますので、蝶のように楽しく舞っていたいですね。
その前に腸が持つかどうか心配です。飲み過ぎで・・!
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