続 おほほ・・・のこだわり と chocobon's blog

小夏・ちょこぼんのらぶりーな是々非々

通行手形~その7~

2024-01-14 22:00:00 | 母とママと私
退院の日もなんとなく元気がない・・・
とはいえ 自室に戻り 妹や私と寿司を1人前ぺろっと食べ
「は~やれやれ」などと言っていると やはり普段の通りであります
ただ・・・夕方になり「お母さん トイレは?行きたくないのん」
「そうなんよ 長いこと行ってないよねえ」(病院で行ったきり・・・そろそろ8時間?)
なんだか変だなあと思いつつ 私はホテルへ戻りました

翌日 私も東京へ帰ります その前にちょっと母のホームに立ち寄ると
ケアマネさんが「昨夜は大変だったんです トイレコールが5回も6回も」
「へ?」・・・母に会えば 顔色も悪い
「のりちゃん・・・なんか 私 なんかしんどいのよね」と言います
そこから 診療所の看護師さんなどが様子を一生懸命診て下さったのですが
院長の「熱中症だろう ○○飲ませて転がしておけ」などというコメントには正直むかっとしました
転がしていても
血圧が更に180を超え 気分が悪くて戻しそう(でも戻さなかった)目眩がしている・・・などなどとなってくると
 「また脳梗塞の発作では?」と私は思い 「救急車お願いします」と言いました

揺れの激しい救急車の車内で「熱が38度あります コロナは?」と聞かれ
「ソレは判りません 昨日退院したばっかりなんです」と答え
ストレッチャーに寝かされている母の顔は「う~む 血は争えん おじいちゃん(故人)そっくりだ」
でした・・・とほほ この日の決着は夜9時 昼ご飯と夕ご飯は当然食べ損ねました


  二度と行きたくない 高所 恐ろしい~

救急のドクターのハズレ 此方も彼だけは今後回避したい

通行手形~その6~

2024-01-12 22:00:00 | 母とママと私

「徐脈にはペースメーカーだ」と診療所で嫌っちゅうほど言われてきたので
「どうします?」みたいな反応には 腰が砕けた
「どうする?(嫌と言え ホレ やりたくないと言いなさい ホレ)」
「・・・やります」
「え~」(すかっと先生と私)
「やるのん?」
「だってペースメーカー入れたら元気になるって言いますもん」

俗説だ いや真実かもしれんけど 人による 年齢による 既往症による
まあ 結果的にはそういうことを言いたいワケです
「あの~執刀といいますか(コレも手術だろう)どなたがされますか?(インターンの若いのの練習にされてはたまらない)」
「あ ボクがやります」
みたいなやりとりがあり あれよあれよと入院7日となりました
感染症対策でむやみと会わせてはもらえない

一日20分 面会室みたいなところで ぱっと会う
「元気?どう?」
「うん」
「はい バナナとジュース」
「うん」
ここまではヨカッタんだよ ここまでは・・・


 京都植物園 この日の記録18000歩超え

八代亜紀も逝っちゃった



通行手形~その5~

2024-01-10 22:00:00 | 母とママと私
川中美幸さんの名曲「二輪草」は実にいい歌です(彼女は性格もいい・面白い・スキ)
年末の演歌フェスでいい感じで聞き入っていたら サビの部分「二人~は二輪草~(ちゃかちゃかちゃ~ん)」
というのを 原ちゃん(男)が
「何!二人はウチムソウ~だってか!」と反応するので 呆れた 笑った
「二輪草だよ(なんでそんな風に聞こえる?) ウチムソウって相撲の技じゃないのん」
「そうだよ その通り・・・なんでそんな風に聞こえたんだろう 不思議だ~」
夫婦愛を歌う演歌は多い 「浪速恋しぐれ」「命くれない」「雪椿」などなど
内無双ねえ・・・ちょっと前に相撲ごっこをしていて ズボンのベルトのところを取って私が
振り回したのをずっと根にもっているに違いない ふふふ

H市の医療センターは 母の卒中内科でお世話になっているので
更に 循環器科も追加となったわけであります
まず診察 すかっとした青年医師だった 紹介状をふむふむと見る
「先に24時間ホルダーで計測してもらいます」
「はい(だろうね まずはね)」
ホルダー付ける→一旦帰る→ホルダー取る(私がやった)→ホルダーの結果を持ち込む(私のみ行く)
更に数日後 また医療センターに受診・・・すかっと先生が語る
「全体的に心電図・・・大きな問題ないんですよねえ」
「え?あの~脈が弱いとか?(と聞いて 脅されてきたのだ)」
「あ~まあねえ 年齢的なものもありますから」
「・・・・・」
「ただねえ ホルダーは1ヶ所・・・18時45分 に 止まってます 心臓が・・・ここは?」
「あ それはトイレです(即答した だってそうだもん)」
「トイレ?」
「はい いきんでいたんだと思います」
「はっはあ そうですか 従来ならペースメーカーという方向になるんですが・・・この程度では・・・」
「ほへ?」
どうなってるのかな これは・・・


 働く紳士淑女の皆様・・・OBPパークにて

毎朝ジャージで歩きました 京橋→大阪城公園手前

 

通行手形~その4~

2024-01-08 22:00:00 | 母とママと私
のぞみ始発に乗ろうと 新横浜駅に着けば
次のひかりが入線して待機していた(新横始発みたい)朝6時前だよ 6時前
売店もまだ閉まってる・・・そもそも不眠症で 眠ることができない私は何かあるとほぼ徹夜
(なんとなく1時間くらいは寝たような気もするけど不明)
生命の保障なしだの気絶だの言われたら 気分は新幹線の中もえっほえっほと走ってる感じ

お医者って 好きなように言うよねえ
でもママさんの主治医だった小田原のMセンセはなんか人情味があった
センセも大阪出身で学校も当然大阪だったせいもあり 大阪人の私をなんとなく可愛がってくれた
ような気がする(気のせいかもしれん)
話がソフトで整然としていてイライラしてないし 格好もキチンとしている(ひげなんて生やしてない)
此方が変な返答をしても「まあ そんな風に考えない 気持ちは判るよ」なんて言ってくれたりする
もう一度会いたい・・・ちゃうか・・・変な話になってしまった

息せき切って駆けつけ 大阪の診療所で「循環器 紹介状書いたから 近日中に行くこと」
「はい」
「早めにね」
「はい(スグ行くがな)」
「今日明日だって判らないんだよ」
「・・・・・(何遍も言うな)」
みたいな会話が クールにあり H市内の医療センターへ予約の電話を入れました


 コレも大変よくできました

坂田利夫も逝っちゃった

通行手形~その3~

2024-01-06 22:00:00 | 母とママと私
そもそもコロナで 数年面会が出来なかった
ママさん(故人)の時みたいに ウエブ面会があれば参加もしたけど
そこは 個人経営の老人ホームでそんな親切はない
でもまあ 電話は出来るし 妹が2ヶ月に1度 病院に付き添い(コレはいいのだ)と称して
ホーム自室に出入りを許されていたので さほど不自由感は無かった

そこでコロナそろそろ解禁よ・・・というオフレが出てきたので 
制約なしで面会&出入りが自由になり 「ちょっとでも元気なウチに 会って 遊んでおこう」
考えて 3月に10日間ほど帰阪して Rホテルで鉄板焼き とか はり重ですき焼き とか
して数年の埋め合わせをしたのです(あれはアレで結構ハードだったわ)
やれやれと思って「ほなね~またね~」とバイバイしたら その晩にトイレでこけて身体を強打し
翌日家で連絡を貰った時は「あの人は悪魔に違いない」としみじみ思ったものです

そんなこんなのドタバタで「何故 こけるのか」「何度もやるのか」→老化です だと感じつつ
担ぎ込まれた診療所で心電図を撮ったら「おかしい 失神してると思う」と言われたワケです
「え~ 気を失って倒れてたのん?」これを青天の霹靂と言わず何という・・・


 よくできました

人体の神秘