ぽつぽつ ひとり言

見て下さって有難うございます。

懐かし  海外旅行の思い出話  シアトル1

2012-04-05 22:47:17 | 旅行

 2回目の海外旅行は大学4回生の8月中旬、 私と同じ学部の友人A子ちゃんが「叔母さんが

シアトルに住んでいるから一緒に遊びに行こう。」と言ってくれたので、 「行く行く!」って2週間

の旅に行っちゃいました。 

シアトルは日系人が多く住んでいる所と言う認識しか無かったので「一体どんな町かなぁ、 アメ

リカだから大きいんだろうなぁ。」と初めて行くアメリカにわくわくでした。 シアトル・タコマ空港に着

いたらA子ちゃんの叔母さんがでっかい車で迎えに来てくれていました。 広い立体駐車場を出る

時言ってしまった「わあ、 外車ばっかり!」(まぬけだねぇ。) バリ島ではダットサン(日産)が沢山

走ってたんでその印象が強く有ってつい言っちゃった。 アメリカの人はぶつけても平気らしくぼこぼ

こになった車がすいすい走ってた。 

叔母さんの家はシアトルからフェリーでオリンピック半島に渡り、 北へ行った所に有るポートタウン

ゼントと言う町から少し離れた森の中に有った。 そのあたりは外国人専用の居住地域でそこに住

んでいる人以外、 アメリカ人も立ち入ってはいけないのだそう。 その周囲はアメリカ人の避暑地

で沢山の人が訪れるほどの深い森林に囲まれかなり涼しくさらっと乾燥していた。 

叔母さんの家に着いて荷物を片づけたら探検、探検。 家のすぐ目の前は海。 内海なのであまり

波も立たず海面が淡々と静かで湖のよう。 でも海岸からすぐに海底へと深く落ち込んでいるので

泳ぐのは危ないらしい。 

海岸沿いや庭に自然に生えているブルーベリーの木に実がいっぱいなっていて、 自由に取って

良いとの事で食べてみたら結構酸っぱかった。 

A子ちゃんの叔母さんは若い頃通訳をしていてノルウェー人の船乗りだった男性と知り合い結婚

した。 ノルウェー人の叔父さんは母国ノルウェーに似ているこの場所に自分の手で家を建てた

のだそう。 「大工や電気工事を人に頼むと値段が高いので自分でやるしかないの。」と叔母さん

が言っていた。 「それにしても専門家じゃないのにこんな大きな家どうやって建てたんだろうか?」

とA子ちゃんとその苦労を考えた。 叔母さんが昼間働きに行っている間、 仕事をリタイアしている

叔父さんは、 大体毎日、 午前中ポートタウンゼントの町で友人とカフェでおしゃべりを楽しみ、 帰

りに夕食の買い物をして昼頃帰宅。 夕食作りは大抵叔父さんだそうで、 私達が着いた日は、 叔

父さんが腕によりをかけて昼頃からコトコト煮込んだ牛肉の煮込み料理だった。 ステーキ用の牛肉

を1枚切らずにそのままビーフシチューの様に煮込んだ感じ。 お昼からずっと煮込んでいたのでとて

も柔らかく美味しかった。 叔父さんの食べ方が面白くてびっくりした。 庭のブルーベリーを水と砂糖

で煮詰めて作ったジャムを牛肉にどっさりかけて美味しそうに食べ、 皿に残ったソースを後でお皿を

洗わなくても良い位にパンできれいにすくい取って口に入れた。 叔父さんはお茶目で「oops!」が口

癖、 しょっちゅう言うからこっちにも移っちゃった。 私達の部屋はゲストルームで、 ダブルベッドで二

人で寝たが夜中冷え込んで掛け布団の取り合いをしていた。 (そもそも二人共背が高くて布団から足

がはみ出る。) 毎日朝晩と雨や曇りの日はかなり寒くて、 軽く羽織る物は持っていたが叔母さんに付

いて町へ買い物に行った時、 もうちょっと厚手のカーディガンとセーターを2枚ずつ買い足した。 夜も

パジャマの上にそれらを重ね着して靴下を履いて寝た。(ストッキングも履いていたかもしれない)。 9

月には雪が降り始めるそうなのでシアトルの8月は秋なんだね。 叔母さんが住む地域の外の道路を

A子ちゃんと散歩した時、 私達の手よりも大きな白っぽい椎茸みたいなきのこを見つけ、 持って帰っ

て叔母さんに見せると「それがアメリカの松茸なのよ。 まずいから誰も食べないの。」と言われた。 

確かにちょっと力を入れたらバラバラになって崩れてしまったし、 あの良い香りは全く無かった。 

 叔父さんと叔母さんが毎日の様に行くポートタウンゼントと言う町は小さな港町でビクトリア様式の歴史

の有る建物が残る素敵な所だった。 町中にメープルシロップの様な良い香りが漂っていたが、 それは

町に大きな材木屋さんが有ったので多分そこからカエデ等を切った匂いが流れて行ったものだと思う。 

叔母さんは私達を甘やかさず、 町に連れて行く度「私は用事を済ませて来るから後はあなた達で考えな

さい、 2時間後にあそこのカフェで会いましょう。」と私達を置いてさっさとどこかへ行ってしまう。 私達に

色んな経験をさせる為だが、 初めは戸惑った。 何しろ英語が出来無いんだから面白そうなお店が有っ

てもびびって入れない。 町なかをうろうろしてウインドーショッピングで終わり。 でも次からは英和辞典

と紙とボールペンを携え、 話して分からなかったら紙に書いてもらったりこっちも書いたりして何度かそう

する内に買い物にはすっかり慣れていった。 それと現地の人がどうやって買い物をしているかを見て真似

すればいいんだと言う事に気付いた。 でもそれでは済まない事も有りまして・・・。 

 ある日、 叔母さんの勧めも有り、 シアトルの北のカナダへ二人だけで日帰りバス旅行に行ってみようよ、

と言う事になり、 朝早く叔母さんの車で町の旅行会社の前まで連れて行って貰い二人で予約しに行った。 

ハローと言いながら笑顔で店に入り椅子に座って若いきれいな女性の店員さんに・・・・・はて、 なんと言お

う? そこで取り出したのは母が貸してくれた「8カ国同時通訳本」。 それは海外旅行先の色んな場面で困

った時に使う質問等を8カ国語で書いて有る本。 それを店員のお姉さんから見えないように机の下に隠し、 

二人であちこちページをめくっては聞きたい質問を探し出して書いて有る通りに話し、 「今日日帰りでカナダ

までバスで行きたい。」事までは分かって貰えたんだが、 その後の細かい事が我々には難し過ぎてさっぱり

ちんぷんかんぷん。 机の下の「8カ国同時通訳本」にもさすがにそんな事は載っていない。 すると店員のお

姉さんが「さっきから何を見てるの? ちょっと私に貸して!」、 と言う身振りをしたので、 だめだめと二人し

て首を振ったら、 「いーから、 早く見せなさい!」と立ち上がった。 渋々手渡すとパラパラっと読んでいきな

り膝を叩いて大笑いしながら本を持って店の奥の部屋へ行ってしまった。 奥で誰かと話してると思った瞬間、 

どっと笑い声がして太ったおじさんと共にお姉さんが戻って来た。 二人共もうおかしすぎて涙が止まらないよ

うで、 奥でもまだ誰か居て笑ってる。 「その本返して下さい。」と手を伸ばすとやっと返してくれた。 我々は

立ち上がり「さようなら。」と日本語で言い店を出た。 私達が去ってもずーっと笑い続けている彼らの声が、 

店から離れても聞こえてた。 「きっとあの人達家族や友達に言うよね。」 「うん、 絶対言うね。」私達はそう言

いながらうなだれてカフェに向かった。 先に来て待ってくれていた叔母さんに旅行会社で笑われた事を告げる

と呆れていた。 朝早くから連れて来てくれたのに本当に申し訳なくて。 情けなくて、 もどかしくって。          



最新の画像もっと見る

コメントを投稿