聖なる書物を読んで

現役JW29年目

2018年次総会 話と2019年の年句

2019-02-02 | エホバの証人
2018/10/6に行なわれた年次総会の第3部(最後)です。

●「準備は出来ていますか」(サンダーソン氏)
ダニエル11:41の「飾りの地(=霊的地所のこと)にも入り」とは、このところのロシアに生じた迫害に当てはまる。準備として、①組織の指示に従わなければならない。②パニックにならずエホバを信頼し自分で禁令にしない。③聖書や出版物(電子版含む)を安全に保管する。④互いに熱烈に愛し合う。

JW・ORGのニュースにロシアでの出来事ばかり扱われていたのは、この解釈を意識してのことだったんですね。偏ってるなぁと思ってましたけど、この組織の解釈が正しいと思わせる印象操作だったんですね。納得です。そしてますます、組織のイヤラシイやり方に嫌気がさしました。

●「彼らはわたしがエホバであることを知らなければならなくなる」(ジャクソン氏)
マゴグのゴグの攻撃は、大患難の最後の方。大患難を時系列に配した動画(国連が偽りの宗教を滅ぼす・・これはゴグの攻撃ではない。地上の油そそがれた兄弟たちのために、この攻撃は短くされる。エホバの組織だけが残り、一時的な平穏期間がある。諸国家の連合であるマゴグのゴグが、無防備な民を抹消しようと試みると、エホバの大いなる日の戦争=天の軍勢すべて(14万4千人含む)が、自然現象など用いて劇的に敵を滅ぼす。千年統治。最後の試み。楽園)。

★エゼキエルの書を扱った書籍「エホバの清い崇拝ついに回復される」発表。10年前に執筆委員会に指示。p238~240に新しい理解が表になってる。電子版は各章の紹介ビデオ付き。

終わりが近いことを信者に感じてもらおうと、必死ですね。涙ぐましい努力です。2つの世代の解釈のせいで、そのあたりが怪しくなっちゃって、信者が離れちゃってるからかな。
でも、書籍の発表は久しぶりなので、読むのが楽しみwです。英語版はこの日にもう読めるようになってるんですよね。日本語版はいつ出るのかな。もう4ヶ月経つのに、まだかなぁ・・・これじゃ、電子版の意味ないよねぇ・・・
以前は、エゼキエルの解釈本が出たら、それこそ終わりはもうすぐそこだと思ってたけど・・・今は、これもそのうち啓示の書みたいに、無かった事になっちゃうかもって予感してる。でも、今組織にいる年配の信者たちにとっては、信仰や希望を強めて最期まで組織のために奉仕し続ける助けになるんだろうなぁ・・・と思うとなんだか複雑な気分になります。

●「心配してはいけない。わたしはあなたの神である」(スプレーン氏)
来年の年句。(いずれものみの塔の研究記事になると思って、ちゃんと聞いてませんでした~)

時間を超過したことを司会者のレット氏が述べてましたが・・・集会に参加してたときは、時間が超過することがホントにイヤだったなぁ。時間になったら、話の途中でも終わらせるべきだよね。

エホバの考えを自分のものにしていますか

2019-02-01 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事。

まずは主題に突っ込みたい。神のお考えは人間の考えよりもはるかに上です。それを自分のものにするだなんて、まず無理です。傲慢です。不完全だからできないのではありません。完全であっても、神のお考えを自分のものにすることなんて、被造物である人間には不可能なんです。それを忘れたら、自分が神になっちゃいます。

なので、この主題の意図は、組織の考え(規則)を自分のものにするように、ということですね。

実際、組織の考え(規則)が神の考えであるかのように、誘導される記事になってます。

1~6節で、聖書を研究(質問の答えに線を引くだけでなく、)することで神の考え方が分かる、と述べておいた後、続く節から、聖書の記述を基に組織の考え(規則)を書いてます。(でもきっと、個人的に研究した結果が組織の考え(規則)に反するものだったら、受け入れてはもらえないんでしょうね)

7節で、イエスが貧しい家に生まれたことを強調しておいて、次の8節で、「エホバはわたしたちとの関係を一番大切に思っておられる」と述べた上で、お金や物よりエホバとの関係を第一にするよう圧力をかける(脅しの自問が2つ)。

(・・・イエスは「神への崇拝を第一にする家族」の中で成長したわけじゃないと思う。当時、神への崇拝を第一にする家族といったら、パリサイ人とかの家になるよね。そうじゃなく、純粋に神を崇拝する心と良心を持った、崇拝に関しては革新的な家族、という感じの方があってると思うなぁ)

9節で、他の者をつまずかせる者は海に投げ込まれる方が良い(マルコ9:42)、というイエスの言葉を使って、「イエスの弟子をつまずかせるなら、エホバは非常に不快に感じられるはず」と述べた上で、次の10節で、服装や身だしなみのことを持ち出して圧力をかける(脅しの自問が2つ)。

(・・・マルコの9:42でイエスは、イエスの弟子をつまずかせることに限った言い方ではなくて、イエスに敵対していない人たちに広く当てはまる言い方をしているんだよね。なのに、「イエスの弟子」って限定したらダメでしょ)

11節で、エホバは悪を憎む、と述べて、12節で、ラップダンス(なんじゃこれ。初めて知った)の例が出てくる。これは、14節と共に、脚注が言いたいがために出した例かな。

(・・・子どもも参加している集会で、こんな内容を討議するのは悪じゃないんかい。)

2つの脚注は、「状況次第」で「審理措置」という言葉を出すことで、ますます脅しをかけてる。ここまでくると、完全に脅迫記事だよね。イエスは、人を裁かないように、って教えてなかったっけ?

15節。シャデラク、メシャク、アベデネゴ(あれ?ヘブライ名にしないのはなぜ?)の話を持ち出しといて、「雇い主から偽りの宗教の祝祭のために寄付をするよう言われたら、どうしますか」と脅しをかける。

(・・・いや、この話、そんな細かいことじゃないから。そんなの良心で決めればいいじゃん。この話を出すなら、「偽りの宗教に入るよう言われたら、どうしますか」でしょ)

16節。勝手に決意しないでください。輸血も臓器提供も良心です。

(・・・血を避ける、というのは、命を粗末にしない、の意だと思うようになりました)

17節で、イエスが命まで犠牲にした話を持ち出し、18節で、仕事や教育のことまで犠牲にするよう圧力をかける。

(・・・イエスがそうしてくださったから、自分の命を貴重なものとみなして、仕事も教育も一生懸命取り組む、という考えの方が良いと思うけどなぁ)

以上、やっぱり残念な記事でした。これもマインドコントロールが目的なんだろうなぁ。