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聖なる書物を読んで

現役JW29年目

使徒たちの活動23章

2019-01-15 | 聖書
パウロはサンヘドリンで弁明する。夜、パウロに主が現れる。40人以上のユダヤ人たちがパウロ殺害を誓い、陰謀を巡らす。それを甥がパウロに告げ、軍司令官に告げる。パウロは兵士の警護のもと、軍司令官の手紙と共に、カエサレアのフェリクスのもとに送られ、告訴人の到着まで、ヘロデの宮殿内で監視される。

今回は11節についてだけ。
「主は彼のそばに立ってこう言われた『勇気を出しなさい! あなたは、わたしに関する事柄についてエルサレムで徹底的な証しをしてきたが、それと同じようにローマでも証しをしなければならない』。」

最初にツッコミを。パウロはエルサレムで「徹底的な証し」なんてしてない。年長者たちに報告して、捕まって群衆に対して話し、サンヘドリンで弁明(とは言っても復活論争を起こ)しただけ。
他の訳では「証しした」「力強く証しした」「強く証言しぬいた」など。新世界訳は状況を考えず、とにかく「証し」となれば「徹底的に」をつけるという、繰り返しによる洗脳をねらってるかのような訳し方。

パウロの回心後に、主(幻)が現れた記述は3度目。1度目は第二回宣教旅行で、アジアでの宣教を許さずマケドニアへ渡るように、2度目も第二回宣教旅行のコリントで、ご自分の民がたくさんいるからそこに留まるように(1年半留まった)、そして今回ローマで証しするように、と。第三回宣教旅行のときは、主の霊はパウロのエルサレム行きを止めようとしていた(?)ようにも思える。
パウロはユダヤ人への証しにすごくこだわっていたのかもしれないけど、やっぱり異邦人への使徒だったんだなぁと思う。(例えばコリントで、パウロはユダヤ人に対して衣を振り払ったけど、アポロはユダヤ人を論駁した)
聖霊はいつもパウロを異邦人へと導こうとしているように思える。そしてローマでも、パウロが果たした役目は大きかった。

最終的にキリスト教は、ローマの国教になって世界中に広まった。

でもそれは、イエスの教えから離れてしまったキリスト教で。それでもイエスのことが伝わればよかったのかなぁ・・・

さて。
エホバの組織は、この背教したキリスト教が大いなるバビロンの主要部分で、真のクリスチャンが2世紀始まった頃にはそれに捉えられて、1919年だかに解放されたのなんだのと言ってる。大いなるバビロンとか1919年とか、この組織の独自の聖書解釈って、なんだかすごく表面的で的外れ(しかも悪霊的)だよね。

使徒たちの活動22章

2019-01-09 | 聖書
パウロはエルサレムのユダヤ人群衆に弁明する。

この後パウロは、23章はサンヘドリンで、24章はカエサレアでフェリクスに、25章はフェストに、そしてカエサルに上訴し、26章ではアグリッパ王に弁明している。(27,28章はローマへの旅)

1,2節。パウロはヘブライ語(アラム語)で語る。

3~5節。過去はこの道の迫害者であったことを語る。
聞いている群衆と同じ立場だったこと、より熱心だったこと。聞いている人の中には、当時のパウロを知っていた人もいたかもしれない。

6~10節。イエスが現われたこと、目が見えなくなり、言われるままダマスカスに行ったことを語る。
イエスの声はパウロだけが理解できた。神との関係は、組織を通してじゃなく、いつも個人的。

12~16節。アナニアによって視力を回復し、神に選ばれたことや見聞きしたことの証人となること告げられ、バプテスマを受けたことを語る。
「律法にかなった敬虔な人で、ユダヤ人からもよい評判のあるアナニア」と述べて、この道は律法に背くものではないことを伝えてる。

17~21節。エルサレムの神殿で祈りをしていた時に、自分が迫害者だったことを主に告げたが、主は「行きなさい。諸国民に遣わす」と言われたことを語る。

18~30節。「神殿」での出来事で「諸国民」という言葉に反応した群衆が、激しく騒ぎ出す。軍司令官はパウロの語った内容が分からなかったので、取り調べのためにむち打ちにしようとする。パウロはローマ市民権を使いむち打ちをのがれる。翌日サンヘドリンが召集される。
自白のためのむち打ちは、イエスが受けたものと同じ。金属片や骨が付いた鞭で、打たれてる途中で死ぬこともあったらしい。


パウロは自分の経験(見たり聞いたりしたこと)を話した。聞いている群衆は、かつてステファノの迫害をよしとしていた自分と同じだ。自分の回心に至った経験が、彼らの心を動かすものになれば、と。
でも、聞いていたユダヤ人は「諸国民」でつまずいちゃった。ユダヤ人の選民意識ってホント根強かったんだなぁ・・・

使徒たちの活動21章

2019-01-08 | 聖書
第三回宣教旅行終わり、エルサレムへ。

1~6節。エフェソスの年長者たちと別れ(無理に引き離しての意)、ミレトスを船出(たぶん借り切りの船)して、パタラでフェニキア行きに乗船して、ティルスに上陸。ティルスで荷揚げのため、弟子たちを見つけ出し7日間留まる。

ティルスは大きな市だったから、弟子たちを見いだすのは大変だったかもしれない。
ティルスの弟子たちが、「霊によってパウロにエルサレムへは進んで行かないように」と言ったのは、霊が「行かないようにと言っている」のではなくて、霊が患難が待ってることを告げるので行って欲しくなかった、ということだろう。でないと、パウロは霊に逆らうことになっちゃう。
ここでも、滞在時のことではなく、旅立ち時の見送りにスポットが当たっていて、別れが強調されてる。ルカたち同行者の胸中は穏やかではなかったのだろうな。

7~14節。ティルスからの船旅を終えてプトレマイオスで、兄弟たちに会い1泊。翌日、陸路でカエサレアへ行き、福音宣明者フィリポの家に滞在。ユダヤから来た預言者アガボ(11:28で大飢饉を預言した人)が、パウロの捕縛を預言する。

カエサレアは、初めて異邦人のコルネリオが改宗した場所。ここにパウロが来るのは少なくとも3度目。最初はエルサレムから逃れて、2度目は第二回宣教旅行の終わりに。

フィリポは、ステファノの殉教時に散らされたヘレニストの一人。サマリア、ガザでエチオピアの宦官に宣べ伝え、カエサレアに定住して家族を持ったのだろう。4人の娘たちが未婚で預言していたと記されているのは、それが特筆すべき事柄だったからだろう。フィリポも神からの特別の恩恵(組織風に言うと、特別の過分のご親切w)を受けていた。それはフィリポが自分で勝ち取ったものではなく、神の聖霊がフィリポに働いたから。パウロも同じ。すべては神の選びの結果。だからみんな、自分で自分の首を絞めちゃダメだよ~~。

ここでもアガボ(大飢饉の預言が成就したことで重んじられていたであろう)が、今回は目に見える形で、パウロの捕縛を預言する。しかも、ユダヤ人に縛られ異邦人に渡される、と具体的に。同行者たちもさすがに焦る。でもパウロは意志を変えない。
霊はなんで多くの弟子を通して患難が待つことだけ告げて、第二回宣教旅行でアジアでの宣教を許さなかったように、パウロの行く手を阻まなかったのだろう?
パウロは今までも、どこに行っても患難続きだったから、エルサレムで待っている患難にも立ち向かう心構えが出来てたのかな。そんなパウロの生き様を、同行してる弟子たちにも見てもらいたかったとか。
そもそも、パウロはなんでそんなにエルサレムに行きたがったのか?
救援金だけなら、同行してる弟子たちに届けてもらえばいい。なんなら、エルサレムから取りに来てもらったっていいだろうに。
最後の過ぎ越しを祝うためにエルサレムに上ったイエスみたい。あの時もイエスは起きることを予告してた。この時エルサレムはペンテコステだっけ。そう考えると、パウロには(神には)何か意図があったのかもしれないなぁ。ローマへの書簡でパウロは、自分がのろわれてでも同族を助けたいと言ってるし。エルサレムエルサレム、預言者たちを殺し自分に遣わされた人々を石打ちにする者よ・・・かぁ・・・う~んよく分かんないや。
でももしかしたら、神はパウロを通して、エルサレム会衆が変われるチャンスを与えようとしていたのかもしれないなぁ。33年のペンテコステから20年以上経ってるのに、いまだユダヤ教の律法やら割礼やらに囚われて変われないでいるエルサレム会衆に。でも彼らは変わらなかった。それで最終的に、70年に滅ぼされちゃったってことかなぁ・・・

15~40節。エルサレムへ立つ。カエサレアの弟子たちも同行し、ムナソンの家に案内(途中の宿かエルサレムでの滞在場所か?)。エルサレムに入ると喜んで迎えられる。

翌日、ヤコブの所へ行くと年長者たちが集まっている。ヤコブしか名が書かれてないのは、他の使徒たちがエルサレムにいなかったからかな。

パウロと同行者たちは、救援金を渡し、異邦人たちの間での神のみ業を語る。パウロの話を聞いて、彼らは神に栄光を帰する。でもね、彼らがパウロに言ったことは、「幾万(数が多い)といるユダヤ人信者は律法に熱心だ。しかしあなたについては、異邦人の中にいるユダヤ人にモーセ(律法)に背くことを教えていると聞いている。だから、誓願を立てた4人の者たちと神殿に行って、清めと費用の世話を見るように。そうすればあなたが律法を守っていることが分かるし、異邦人信者にはすでに守るべき律法(4つ)の事は伝えてある」ということなんだよね。
なんだかな。数自慢してるし。選民自慢に律法自慢してるし。異邦人はいいけど、ユダヤ人は律法を守らなきゃいけないみたいな。パウロはこの旅行中に、コリントやローマへの書簡で、ユダヤ人も異邦人も関係ないことを力説してるし、偶像に犠牲として捧げられたものは良心で決めるように書いてる。そのことがエルサレムに伝わっていたのか・・・
とにかく、彼らの言い方がなんかイヤだ。救援金は喜んで受け取ったんだろうけど。それに費用を世話するっていうのは、パウロにとって結構大変だったと思う。それをする人は尊敬されたらしいけど。まさか、騒動になるとは思っていなかった、と思いたいけど、裏で糸引いてたんじゃないのかな、とも勘ぐりたくなるよ・・・・・だって、この言い方って脅しみたい。パウロが断ったらたぶん決別だよね。いや決別どころか、背教者扱いされて結局捕縛かも。パウロはなんとか彼らを正しい道に導きたいから従った。律法を守ろうが守るまいが、パウロにとっては重要じゃないから。で、無事に清めの期間が終わりになったところで、アジアから来たユダヤ人に騒動を起こさせた・・・
なんてね。

パウロが言われた通り神殿に行き、清めの期間の7日が過ぎた時、アジアから来たユダヤ人たち(アジアでもパウロを迫害していた者たちだろう)が騒動を起こし、パウロは捕縛される。軍司令官に話す許可をもらって、パウロは群衆にヘブライ語(アラム語)で語り始める。

ルカは起きたことを淡々と書いてる。この騒動やパウロの捕縛に対して、エルサレムの年長者たちがどういう行動をとったかについては、全く何も記してない。だから良い方に考えることもできるし、悪い方に考えることもできる。どちらにしても教訓を引き出せるってことなのかもしれない。
ルカはこの騒動がいかに大きかったか、そしてパウロがこれをユダヤ人の群衆に語れる機会としたことに焦点をあわせて書いている。それ(エルサレムのユダヤ人たちに語ること)がパウロの、エルサレム行きの願いだったのだろうから。

種まき人の例え

2019-01-06 | 聖書
マルコ4:3~8、その解き証しの4:14~20に関して、田川建三氏の新約聖書訳と註1(マルコの福音書)から、興味深いところを抜き出しました。まずは新世界訳でのその部分です。

マルコ4:3~8(新世界訳)
3 「聴きなさい。見よ,種まき人が[種を]まきに出かけました。 4 そして,彼がまいていると,幾らか[の種]は道路のわきに落ち,鳥が来てそれを食べてしまいました。 5 また,ほか[の種]は岩地に落ちました。もとよりそこには土があまりなく,土が深くないのですぐにもえ出ました。 6 しかし太陽が昇ると,それは焼かれ,根がないので枯れてしまいました。 7 また,ほか[の種]はいばらの間に落ち,いばらが伸びて来てそれをふさぎ,それは実を生じませんでした。 8 しかし,ほか[の種]はりっぱな土の上に落ち,生え出て大きくなり,実を生じはじめ,三十倍,六十倍,百倍[の実]を結ぶようになりました」。

マルコ4:14~20(新世界訳)
14 「種まき人はみ言葉をまきます。 15 それで,道路のわきにみ言葉がまかれる者とはこういう人たちです。彼らが[それを]聞くとすぐ,サタンがやって来て彼らのうちにまかれたみ言葉を取り去るのです。 16 また同じように,岩地にまかれる者とはこういう人たちです。すなわち,み言葉を聞くとすぐ,彼らは喜んでそれを受け入れます。 17 けれども,自分に根がなく,一時は続きますが,その後み言葉のために患難や迫害が生じると,すぐにつまずいてしまいます。 18 ほかに,いばらの間にまかれる者がいます。これはみ言葉を聞いた者たちですが, 19 この事物の体制の思い煩いや,富の欺きの力,またほかのいろいろなものへの欲望が食い込んで来てみ言葉をふさぎ,それは実らなくなってしまいます。 20 最後に,りっぱな土にまかれた者とは,み言葉を聴き,好意をもってそれを迎え,三十倍,六十倍,百倍の実を結ぶ人たちのことです」。


そして田川氏の註です。

4,5,7節の「もの(=種)」は単数。それに対し8節は複数。これはこの譬話を読む上で要の点であるから(つまり「ほかのすべての種」といった感じ)、日本語では単数複数の区別を表現しにくいので、「ほかの多くのもの」と訳しておいた。つまりこの譬話は、いろんな種がいろんな場所に落ちたが、その中で運良く良い地に落ちた種だけが実を結んだ、などと言っているのではなく、たまたま運悪く変なところに落ちてしまった種も二つ三つないわけではないが、全体としては良い地に落ちて、しっかり実を結ぶのだ、と言っている。(新約聖書訳と註1 p199より)

14節以下段落の終わりまでは、伝承をほぼそのまま記したものであろう。・・・マルコの語彙ではない。他方、もちろんイエス自身が自分でこういう解説をつけ加えることはありえない。そもそもイエスはこの種のアレゴリー的な譬話の利用の仕方はしない。アレゴリー的解釈をイエスの譬話の理解に導入したのは、初期のキリスト教会である。(同 p208より)

15節以下各節でそうだが、「種」が個々の信者の比喩になったかと思うと(道のところに落ちた、石地に蒔かれた、等)信者自身は道やら石地やらで、そこに「言葉」の「種」が蒔かれたり、そうかと思うと、その種から芽を出す植物が信者であったり、比喩の仕方が一定しない。これはいわゆるアレゴリー的解釈の特色というものであって、もともとはそういうアレゴリーとして作られたものではない話を、無理にアレゴリー的に信者の「信仰生活」なるものの比喩に仕立て上げようというのだから、どうしても首尾一貫しないのである。これまた、このアレゴリー的解釈がイエス自身に由来しない理由の一つ。・・・・・譬話そのもの(3~8節)では「良い地」に落ちた種以外は全部単数だが、このアレゴリー的解釈では全部複数になっている。その点もこの解釈と譬話本体の趣旨が大幅にずれる点の一つ。(同 p209より)


聖書そのものに、こんなからくりがあったとは驚きました。
イエスはこの話で、神の創造された自然界の素晴らしさを賛美したのであって、信者たちに実を生み出すように圧力をかけたわけではないんですよ。そんなこと、よく考えれば分かることなのに、組織宗教の教えにだまされちゃってましたよ。こわいこわい。

使徒たちの活動20章(追記あり)

2019-01-04 | 聖書
第三回宣教旅行。マケドニア→ギリシャ(コリント)→(帰路)→マケドニア→トロアス→ミレトスまで。

1~3節。エフェソスでの騒動の後、マケドニア(フィリピ、テサロニケ、べレアなど)へ。さらにギリシャ(=アカイア)のコリントへ。3カ月滞在。陰謀(海へ投げられるかも?)のため、帰路も陸路のマケドニア経由で。

前章19:21でパウロは、マケドニアとアカイア(コリント)を回ってエルサレムへ行こうと決め、「ローマも見なければならない」と言っていた。各地を回って(遠回りをしてわざわざ)エルサレムに行くのは、各地で救援金を集めて困窮していたエルサレム会衆に届けるため。ガラテア2:16には「貧しい人たちのことを覚えておくようにとのこと」とある。エルサレム会議の時に言われたことを、パウロは守ったんだね。

コリント①16:1~3には「ガラテアの諸会衆に命じたとおり」寄付を取り分けておくように書いてるし、コリント②8~9章では、マケドニアの人たちが貧しくても寛大に寄付していることだとか、均等を図るんだとか、神は快く与える人を愛するんだとか、必死に書いてる理由はこれかぁ。(救援金という名の上納金?w)
結果、パウロはエルサレムで(年長者の言う事に従ったために)捕縛され、カエサルに上訴することによって、最終的にローマに行くことになったという・・・これを聖霊の導きと言っていいものかどうか。

ローマ書は、コリントに3カ月滞在中に書かれた。パウロは、これまでの宣教旅行でローマに行ったことは無かったけど、すでにローマには知り合いの弟子たちがたくさんいた。例えば、ローマから一時的に退去させられていたユダヤ人の、プリスキラとアクラはエフェソスからすでにローマに戻っていた。ユダヤ人だけでなくギリシャ人も、弟子となってからローマに移住したのだろう。パウロは、ローマの弟子たちに会いたかったんだろうなぁ。

4節。各地の弟子たちが同行しているのは、救援金ゆえかな。人数多い方が安全だしね。

5~6節。弟子たち(何人か分からない)はトロアスへ先に行く。ここで「わたしたち」表記になるので、フィリピに残っていたルカがパウロ(たち?)と合流したのだろう。「無酵母パンの期間」とあるけど・・・律法の名残?この期間は船が出なかったとか?・・で、出帆してトロアスで皆と合流し7日過ごす。

7~12節。トロアスで。パウロの真夜中にまで及ぶ話。3階から落ちて死んだ若者ユテコを復活させる。

7節。「週の最初の日・・・食事をするため(他の訳は「パンを割くため」。イエスを思い起こす食事?)に集まっていた」とあるけど・・・安息日?愛餐?集会?・・・まぁたぶんそんな形式的なものではなかったんだろうな。

パウロは、居眠りして3階から落ちちゃったユテコを復活させた。(ちなみに昔のエホバの証人2世は、子供であっても集会中の居眠りは許されなかったらしい。それって聖書的じゃないよね) 皆にとって「一方ならぬ慰め」となった、神の愛にあふれた出来事なのに。なんと『徹底的な証し』の本にはこうある。「パウロは、ユテコの死によってこの重要な機会が台なしになったり、だれかが霊的につまずいたりすることを望みません」だって。なにこの冷たい言いかた。ユテコの命より講演のほうが大事ってか。統治体の冷たさがよく分かる文章。自然の情愛を失くしてるのは世の人じゃなくて統治体だね。

(追記)

さて、ユテコのこの出来事に関しては、死からの復活と見るか、仮死状態からの治癒と見るか、どちらの見方もできるようだ。

13~16節。同行者たちは船(彼らだけの沿岸航行のための借り船かも。21:2まで)でアソスへ。パウロは一人陸路でアソスへ向かい、合流して船でミレトスへ。

ここでパウロだけが陸路を取ったのはなぜか。独りになって、エルサレムで待っているなわめと患難(23節)のことを考えていたのかな。パウロは、「自分の霊の中で」エルサレムに行こうと決めていた(19:21)し、「自分の行程(この時は救援金を届けることも含んでいただろう)」を全うする(24節)とも言っている。でもどの都市でも、聖霊(預言する者によって)がエルサレムで待っているなわめと患難(異邦人を連れて行くのだから、どうなるか予測はできただろう)を述べる。どうするのが良いのか、独りでいろいろ考えたかったのかもしれない。
そして、エフェソス(およびアジア地区)に寄らずに、ペンテコステまでにエルサレムに着けるよう急ぐ、という結論に達したのかな。ペンテコステにはエルサレムに異邦人がいっぱい来てるから、異邦人を連れて行っても目立たないだろうし、逆に宣教の機会にもなるだろうし。エフェソスは、アルテミス騒動から逃げるように出て来た場所だから、また行ったら何が起きるか分からないし。

17~38節。ミレトスで。エフェソスの年長者を呼んで話をする。(もう会えないことが分かっていた)

この訓話。特に新世界訳の訳語に関して、突っ込みどころが満載。とりあえず列挙しときます。
19節。「奴隷として」→付け加え。他の訳にはない。
20節。「家から家」→以前にも書いたけど、エホバの証人がやってる家から家の奉仕じゃない。「公にも」に対して「私的にも」の意味。
21節。「徹底的に証し」→単に「証し」あるいは「強く勧め」「はっきり主張し」「力強く証し」など。
24節32節。「過分のご親切」→「恵み」「恩恵」など
同上。「徹底的に証すること」→「証しする任務」「証しする役目」「証言するという務め」など。
26節。「あなた方に証人となってもらう」→「あなた方に断言しておく」「はっきりあなた達に言っておく」「あなた方に明言します」「証言しておく」など。(これはヒドイ。意訳にもなってない。なんだこれ。意味わかんない)
28節。「[神]がご自身の[み子]の血(をもって買い取られた神の会衆)」→原文では「ご自身の血で」・・・イエス=神と思ってる人の表現だよね。ルカはイエス=神だと思ってたのかなぁ。う~ん・・・
29節。「圧制的なおおかみ」→「狂暴なおおかみ」「残忍な狼ども」「獰猛な狼ども」など。
同上。「(群れを)優しく扱わない」→「容赦しない」「荒らしまわる」など。

33~35節。パウロは、誰からも貪ったりせず働き、労苦して弱い者を援助した、と述べてる。統治体をはじめべテルの人たちも巡回監督も特開者もそうすべきなんじゃないのかな。1世紀の型に倣ってるなんてうそじゃん。

第三回宣教旅行は、パウロにとって宣教だけじゃなく、エルサレムへ持っていく寄付集めの旅でもあったんだなぁということが、今回学んで分かりました。それは救援のためでもあり、同時に、異邦人とユダヤ人の一致の精神を示すためでもあったのかなぁと。そして、エルサレムには確かに統治体(の精神)があったとわかりましたw。

使徒たちの活動19章

2019-01-03 | 聖書
(お正月、遊んじゃったので更新遅れました。今年もよろしくです)

パウロの第三回宣教旅行。エフェソスでの約3年間の出来事。

1~7節。アポロはコリントにいた。アクラたちはエフェソスにいた。パウロはエフェソスで、ヨハネのバプテスマを受けたけど聖霊を知らない弟子およそ12人に会う。

彼らは、アクラたちに会う前のアポロと同じようだったのかな(アポロから聞いた可能性もある)。ヨハネのバプテスマを受け、イエスについても聞いていた。異邦諸国出身のユダヤ人たちか、ヨハネのバプテスマを受けた後、ユダヤから異邦諸国に来ていたユダヤ人だったのかも。この時はまだ、彼らはアクラたちには会ってなかったのだろう。パウロに会って、イエスへのバプテスマを受け、聖霊を受けた。

エホバの証人は、バプテスマを受ける時2つの質問に「はい」と答える。「イエスの名において」ではなく、1つはエホバに献身したか、そしてもう1つは紛れもなく「組織の名において」だ。そんなバプテスマは、全く聖書的ではない。

8~10節。エフェソスでのパウロの宣教方法。まず、会堂で3カ月。反対が起きて、ツラノの講堂で毎日2年間。結果、アジアに住む全ての者、ユダヤ人もギリシャ人もみ言葉を聞く。

これが「聖書学校の聖書的根拠」だと言えなくもないけど・・・どちらかというと、キリスト教会的説教を毎日していたようなイメージだよね。エホバの組織がやってるような、組織のための学校じゃないよね。

第二回宣教旅行の時には聖霊に阻まれて出来なかったアジアでの宣教が、今回は大成功となる。(ちなみに黙示録に出てくる7つの会衆は、おそらくこの時にできたアジア諸国の会衆と思われる)前章の21節「神がお望みならまた戻ってこよう」というエフェソスでのパウロの言葉が思い出される。

11~20節。神がパウロを通して行なわれた力強い癒しと悪霊払いの業。それに対し、悪霊払いをして各地を回るユダヤ人たちの中に祭司長スケワの7人の息子がいて、彼らはイエスの名を乱用したため悪霊に打ち負かされる。そのことがエフェソス中に広まり、恐れが生じ、イエスの名があがめられる。魔術の本を燃やす(銀五万枚の値)。み言葉は力を増す。

エフェソスは魔術で有名だった。なのでここでは特に、教えだけでなく神の業が強力に行なわれたんだね。スケワの7人の息子・・・ユダヤ人の中にも悪霊払いを生業にしてる人たちがいたってことなのかなぁ。そういえば、イエスが宣教してた時にも、イエスの名を使って悪霊を追い出してる人たちがいた(マルコ9:38)。あの時と今回とは悪霊の反応が違う。イエスが地上におられた時はまだ本当の意味で信仰が確立されてなかったけど、この時にはもうイエスへの信仰は確立されていたから、ただ単にみ名を用いるだけで本当の信仰をもってない彼らは、悪霊に負けちゃった(エフェソスの悪霊は強かった)のかな。で、人々は恐れ、上辺だけの信仰じゃなく、本当の信仰を表すために告白をし、魔術の本も焼いたってことかな。

19節。この聖句は、悪霊的な物品を処分する、という規則の根拠としてよく引用される。それは、悪霊の影響を受けないため、だと言われている。でもこの記述をよく読んで考えると、(処分したのは)イエスへの信仰の表明のため、なんじゃないかと思われる。しかも「魔術を行なっていた者たち」の話だし。組織の聖句の適用の仕方は、やっぱりオカシイ。
20節。この聖句も、処分したからみ言葉が力を増した、みたいに言われる。これじゃ、み言葉が悪霊より弱いみたいに聞こえるよね。そうじゃないと思う。「このようにして」っていうのは、大勢が真の信仰を表すことによって、ということだと思うよ。

23~41節。銀細工人デメテリオが利得のために騒乱を起こす。「偉大なのはエフェソス人のアルテミス」。群衆によってガイオとアリスタルコが劇場に連れ込まれる。パウロは弟子たちや委員らに止められる。記録官が群衆を静め、説き伏せ、解散させる。

37節。「神殿強盗でもなければ我々の女神を冒とくするわけでもないこれらの者」。パウロは他の宗教を冒とくすることなく「この道」を伝えていた。偽りの宗教の世界帝国=大いなるバビロン、とか言って他の宗教を冒とくするのは、聖書的じゃない。それに31節では、パウロは弟子ではない「委員たち」とも親しかった。世の人(この言い方好きじゃないけど)と親しくしたっていいってことだよね。

この騒動の後に、パウロは(先にテモテとエラストを派遣していた)マケドニアに旅立つ。
コリント①はエフェソスで書かれたものなので、たぶんこの騒動が起きる前に書かれたのだろう。
コリント②はマケドニアから書かれたもの。マケドニアに行く途中のトロアスで、コリントに派遣していたテトスと合流する予定がずれて、マケドニアで合流した後、テトスからの報告を受けて書かれたもの。

使徒たちの活動18章

2018-12-28 | 聖書
パウロの第二回宣教旅行後半、第三回宣教旅行(52~56年頃)始め。

コリント→エフェソス→(エルサレム?)→アンティオキアへ戻る。そしてまたガラテア、フリギア地方へ(その間のエフェソスでは)。

1~4節。パウロはコリントに。ローマを追放されたユダヤ人のアクラと妻プリスキラの家に滞在。共に天幕作りの職。会堂で議論。

コリ①2:1~5を見ると、アテネでの宣教が失敗したので、哲学的論調を捨て、単純にイエスの死と復活を語るという方針に変えたことが分かる。

5節。シラスとテモテが合流(べレア以来かな)。パウロはみ言葉に専念する。

テサ①3章を見ると、テモテは合流前にテサロニケに遣わされ、そこの様子をここでパウロに伝えたことが分かる。テサ①の手紙はこの頃に書かれた(テサ①3:6)。多分テサ②の手紙もこのすぐ後に書かれた。

6~8節。ユダヤ人の反対ゆえ、衣の塵を払ってギリシャ人へ向かう。会堂に隣接したテテオ・ユストの家を宣教の拠点(宿はアクラ家)とする。会堂司のクリスポと家の者たち、さらに多くの者が信者になる。

コリ①1:14によるとクリスポは、パウロがバプテスマを施した2人のうちの1人。

9~11節。主の幻。「恐れず語り続け、黙ることのないように。私が共にいる。危害を加えようとする者はいない。この町には私の民が大勢いる」。1年6カ月(第三回宣教旅行のエフェソスに次ぐ長期滞在)腰を落ち着け神の言葉を教えた。

パウロはどこに行っても、ユダヤ人や異邦人からの迫害続きだったから、ここでも迫害が起きるのではないか、早く次の場所へ行った方がいいんじゃないか、と思ってたんだろうな。コリ①2:3にも「私は、あなた方のもとに行った時、衰弱していて、非常な恐れと不安があった」と書いてる。でも、主の幻によって強められた。

12~17節。(やっぱり迫害きたよ)ユダヤ人たちがパウロを裁きの座に引いて行き、執政官代理のガリオに訴える。ガリオは取り合わず追い返す。ユダヤ人たちは会堂司のソステネを打ち叩く(パウロの身代わり?)。

コリ①1:1に書かれてるソステネと同じ人なら、パウロの身代わりになったのかも。

13節。新世界訳の「法に逆らい、神を崇拝する点で人々を別の宗旨に導いている」。他の訳では「律法にそむいて神を拝むように、人々をそそのかしています」「律法に反して神を敬うよう人々を説き伏せています」「法に逆らって神を敬うよう人々に説いています」など。・・・意訳過ぎる新世界訳。

律法を重んじる形式主義のユダヤ人にとって、パウロの教える自由な信仰は目障りだった。
実害がない限り、宗教問題を政治外に置いたガイオは正しいと思う。ピラトもそうしたかったんだろうな。

18~22節。パウロは、プリスキラとアクラ(順序が逆なのはプリスキラの方がクリスチャンとして目立っていたから?)と共に出帆(帰路)。ケンクレア(コリント外港)で誓いのために髪を剃り、エフェソス(アジア地方最大の港町)で彼らと別れる。エフェソスの会堂で議論。「神がお望みであれば、またもどって来よう」と言って船出し、カエサレア、(エルサレム)、そしてアンティオキア会衆へ戻る。

パウロの誓い(ナジル人)は、いつ、何のため、に行なわれたのか分からない。民数記6章には、誓いの終了時には、エルサレムの神殿で捧げ物をして髪を剃り燃やすことになってるので、なぜ、ケンクレアで? そこで誓いをしてエルサレムで終わらせたのか?(「エルサレム」へ上って、と書いてある写本があるのは、この矛盾を解消するため?)まぁ、パウロにとって律法は終わってたから、どこで髪を切っても良かったんだろうな。誓いもしようがしまいがどっちでも良かったんだろうし。ちなみに誓いの内容は、持病のため、あるいはコリントでの成功のため、などの説あり。

ガラテア人への手紙はこの時期に(コリントかエフェソスかアンティオキアで)書かれた。

23節。第三回宣教旅行始め。第二回と同じルートをたどり、ガラテアとフリギア地方(デルベ、ルステラ、イコニオム、アンティオキア)の弟子たちを強める。

24~28節。パウロが去った後のエフェソスに残ったプリスキラとアクラは、アポロに会い、彼に神の道を開示する。アポロはアカイア(コリント)へ行き、貢献する。

25,26節。新世界訳の「エホバの道を口伝えに教えられており・・・神の道をより正しく解き明かした」。他の訳では「主の道に通じており・・・さらに詳しく神の道を解き聞かせた」「主の道を受け入れており・・・もっと正確に神の道を説明した」「主の道をよく学んでおり・・・もっと詳しく神の道を開示した」。
ここの「主」を「エホバ」に置き換えるのはダメだよね。主の道というのはイエスの教えのことで、神の道というのはイエスによる神の救いのことなんじゃないかなぁ・・・

27節。新世界訳の「親切に迎える」。他の訳では「受け入れる」「歓迎する」など。

28節。新世界訳の「ユダヤ人の誤りを熱烈な態度で公にまた徹底的に証明し」。他の訳では「公然と、ユダヤ人たちを激しい語調で論破した」「公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せた」「公にユダヤ人を積極的に論破し」など。
他の訳だと、アポロの雄弁さが伝わってくる。新世界訳だと、アポロがまるでエホバの証人みたいだw。

アポロのコリントでの活躍は、会衆にアポロ派が出来るほどだった(コリ①1:12,3:4~6)。

使徒たちの活動17章

2018-12-27 | 聖書
パウロの第二回宣教旅行半ば。(テサロニケ、べレア、アテネ)

(おそらくルカはフィリピに残り)パウロ、シラス、テモテら一行は、テサロニケ(マケドニア最大の港町)へ。

1~3節。テサロニケには会堂があり、そこで3度の安息日に聖書をもとにして、イエスの受難と復活を説明・解説する。ここの動詞は「陳列する、従来閉じられていたものを開いて人の前に並べる」の意味なので、新世界訳の「関連した事柄を挙げて証明」は意訳。
パウロは後に、テサ①2:2で「御存じのように、我々はすでにフィリポイ(フィリピ)において苦難にあい、屈辱をこうむってきたけれども、我らの神において勇気づけられて、多くの競争においてあなた方に神の福音を語ったのであった」と書いている。

4,5節。大勢が信者になったので、ユダヤ人の妬みを買い、ヤソンの家(パウロたちの宿家)が襲撃されるが、パウロたちは居なかった(偶然か避難したかは定かでない)。

6~9節。訴えの内容は、社会秩序を乱したことと、カエサルへの反逆。キリスト教への迫害は、ほぼこの2点。イエスへの訴えと同じ。
ヤソンたちから保証金を取って釈放。新世界訳の「十分の保証」とか「やっと去らせた」は大げさな意訳。
このいきさつゆえに、テサ①2:18でパウロがテサロニケに2度も行こうとしたのに「サタンが妨げた」という表現になったのかな(迫害が続いていたので、パウロが戻ったらますます大騒ぎになる)。

夜のうちにパウロとシラスは、べレアに送り出される(半強制的だったのかも)。
べレアでも会堂に行く。

11節。新世界訳の「気持ちがおおらか」。他の訳では「善良」「素直」「立派」「生まれが良く」など。もとは「素質(たち)が良い」のような意味。
新世界訳の「きわめて意欲的な態度で」。他の訳では「心から」「非常に熱心に」「非常な熱意で」「非常に積極的に」など。もとは「乗り気になって」のような意味。
新世界訳の「そのとおりかどうか~注意深く調べたのである」。他の訳では「果たしてそのとおりかどうか~調べていた」「果たしてそういうことなのかと~検討した」など。「注意深く」という語は意訳のための付け足し。

12節。多くが信者になったが、その後、べレア会衆がどうなったかは、記録が無いので分からない。消滅したのか、模範的で迫害も問題も特になかったので、パウロの書簡も必要なかったのか。

テサロニケからユダヤ人たちが追って来たので、シラスとテモテを残し、パウロはアテネに(警護されて?)送り届けられる。
アテネで二人を待つ間に、会堂やアゴラ(市の中央にある広場)で論じ合う。

16節。新世界訳の「内なる霊はいら立つようになった」。他の訳では「心に憤りを感じた」「心が怒りに燃えた」「憤慨した」「自分の中で霊が刺激された」など。

アレオパゴス(軍神アーレスの丘)に連れて行かれ、話す。

20節。新世界訳の「耳慣れない事柄を持ち込んでいる」。他の訳では「異なる事を我らの耳に入れる」「なんだか珍しいことをわれわれに聞かせている」「なんだか妙なことをわたし達の耳に入れている」「奇妙なことをわたしたちに聞かせている」「我々の耳に何か風変わりなことを聞かせておいでである」など。

21節。アテネの人たちが聞きたがった理由。時間を持て余してる裕福な人たちが、パウロの目新しい話に興味をもっただけ。知識を求めてるだけで、神を求めてる訳じゃない。

22~31節。アレオパゴスでのパウロの話。組織では、この話し方が宣教の模範とされてる(共通の土台を築く、聖書になじみが無いので聖書を用いないでその内容を話す、聞く人が認めている名言を用いる、など)。ところが実際には、幾人かの信者を得ただけで、結局アテネに会衆はできなかった。聞く側に問題があったともいえるだろうけど、ここでの宣教は失敗に終わってしまった。で、この後に行くコリントでは、パウロは反省して宣教の仕方を変えている(コリ①1:18~2章あたり・・・言い訳?w)。
ここでの教訓は、どんなに知識を駆使して上手に話しても、聖書(神の聖霊)を用いない宣教は失敗に終わる、ということなんじゃないかなとw。

27節。新世界訳は分かりにくい。他の訳は「それは、彼らが神を何とか手探りで探して見つけようと求めるようにさせるためなのです」「こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった」「これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです」など。

28節。新世界訳の「わたしたちは神によって命を持ち~」。他の訳では「われわれは神のうちに生き」「我らは神の中に生き」「神の中で私たちは生き~」など。

31節。新世界訳の「任命したひとりの人」。他の訳では「お選びになったかた」「定められたひとりの人」など。

使徒たちの活動15~16章(追記あり)

2018-12-18 | 聖書
エルサレム会議と、パウロの第二回宣教旅行前半(フィリピまで)。

15章1~35節。救いに割礼が必要かどうかの論争を解決した、エルサレム会議(49年頃)。
15章36節~18章22節。(バルナバと決別して)パウロの第二回宣教旅行(50~52年頃)。
16章。ルステラでのテモテ同行。アジア地区での宣教を聖霊によって禁じられ、マケドニアに渡って来て欲しいという幻をトロアスで見て、そこから船出してマケドニアへ渡る。フィリピでルデア家に、占いの悪霊に付かれた下女、そして投獄されて地震が起き牢番の家に。


15章。
1,2,5,24節。アンティオキア会衆で割礼の問題が起きたのは、ユダヤから来た人たちが「割礼を受けないと救われないよ」と言ったからで、もともとは割礼の問題なんてなかった。(パウロはガラテア2:4で「忍び込んで来た偽兄弟が、イエスによる自由をつけねらって奴隷化するため」と言ってる)
エルサレム会衆では、元パリサイ派の人たちが異邦人にも割礼と律法を強いようとしてた。だから、エルサレム会衆できっちりとこの問題に片を付ける必要があった。(組織が言うように、重要な問題を統治体が扱って答えを出した、ということとは違う)

ガラテア2:1~10には、パウロ目線でのこの時の出来事が記されている。
啓示によって、バルナバとともにテトスを伴ってエルサレムに上った。主だった人たちに個人的に、異邦人の間で伝えている福音を提示した。ギリシャ人だったテトスも割礼を強制されなかった。福音の真理がとどまり続けるために、屈服して譲歩など一時もしなかった。主だった人たちは、私には無割礼の(ペテロには割礼の)福音が託されているのだと認識した。などなど。

続く11~14には、後にアンティオキアで、ヤコブから送られてきた割礼組への恐れのために、ペテロが、ユダヤ人が、またバルナバまでが偽善に加わったとある。ってことは、この会議の後もまだ、エルサレム会衆の割礼組は、分裂をもたらす原因になっていたんだねぇ。(統治体が送った人たちが各会衆を分裂させてる、というのは今に当てはまってるかもw)

3節。新世界訳の「転向」。他の訳は、ほぼ「改宗」。

14節。新世界訳の「ご自分のみ名のための民を」。他の訳は「御名を負ふべき(御名に、彼自身に)民を」「御名を負う民を」「御自分のために一つの民を」「ひとつの民をおん自らの名へと」「御自分の名を信じる民を」「彼の名に適う民を」など。

20,29節。「偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を避ける」。これは、今でも有効なクリスチャンが避けるべき4つの明文化された規則だと思ってたんだけど・・・・・違うことが判明。(組織が輸血に関してこの聖句使ってたから、そう思い込んじゃったのかも)。

これは、この会議がユダヤ人側の完敗にならないように、(本当は割礼も律法もいらないことは分かってるんだけど)異邦人にも守って欲しい律法を4つ、これだけを守ってもらえれば、週ごとに律法の朗読を聞いたり律法を宣べ伝えたりしているユダヤ人(21節)を躓かせないですむだろう、という配慮であり、ユダヤ人と異邦人の分裂を防ぐ役割もあった(割礼は受けてないけど律法は守って、いわばユダヤ人化してるよという)のではないかと。だからパウロはこの決定を、第二回宣教旅行で行く先々の会衆に伝えた(16:4)んだろうと(本音は不本意だったんじゃないかなぁ)。

考えてみれば、後にパウロは、偶像に犠牲としてささげられた物など食べることに関して、良心の問題としてる(ローマ14章、コリント①8章、10章など)。もし、絞め殺されたものや血抜きされてない肉も普通に売ってたのだとしたら、淫行以外は良心の問題ってことだよね。

エルサレム会議は、結局のところ、一時的に割礼の論争を解決しただけなんだよね。それは、ガラテアで割礼(律法)の問題がまた浮上してることからもわかる。(組織は、これは「統治体の決定」だ、と言ってありがたがらせようとしてるけどw、言うほど重要な会議でも決定でもなかったということかなw)

24節。「わたしたちが何の指示も与えなかったにもかかわらず」。言い訳? 責任逃れ? こういうところは統治体っぽいw。

29節。新世界訳の「あなた方は栄えるでしょう」。他の訳は「善し」「それでよろしい」「よろしい」「よいのです」「よろしいのである」など。(印象がだいぶ変わる)

34節。新世界訳は無し。「シラスは留まることに決めた」という文が、40節とのつじつま合わせのために付け加えられていたらしい。

35節。ガラテア2:11~14の出来事(ペテロの偽善)は、この期間に起きたのだろうと思われる。

(追記)

36~41節。第二回宣教旅行もパウロが言いだしたこと。使徒や年長者(エルサレムの統治体)が指示したのではない。彼らは諸会衆を強めたりはしてるけど、宣教に積極的に出かけることはしてない。(ところで・・・エルサレムの統治体って言うけど、メンバーは誰だったんだろ? パウロやバルナバやシラスはメンバーじゃなかったのかな?)

バルナバはマルコとキプロス島へ。パウロはシラスと陸路でキリキア(タルソスがある)へ。それぞれまずは故郷へ。バルナバが出てくるのはこれが最後なので、神はパウロを祝福されたとする見方もあるけど、書いてるのがルカだからパウロを追うことにしただけかも。


16章。
1~3節。デルベからルステラへ。パウロはテモテに割礼を施させる。パウロにとっては割礼も無割礼も関係なく、福音を受け入れ易くすることが最も大事なことだったから。

4,5節。ここだけ読むと、組織の言うように「統治体からの指示に従ったとき、諸会衆は繁栄した」、だからどんな指示であっても従順に従おう、って勘違いしちゃうけど、上記のように会議の流れをちゃんと把握した上で読むなら、出された決定が、異邦人を割礼主義から守るものであり、ユダヤ人への和解策でもあるので、会衆にとって良い働きをしたんだということがわかる。

文脈を無視して都合よく解釈するのは、この組織の悪い癖。

パウロたちは、アジア地区での宣教を聖霊によって禁じられ、トロアスへ。

10節。「わたしたち」表記になったので、ルカが加わったことが分かる。17章では、また「彼ら」表記に戻っているので、ルカはフィリピに残ったのかもしれない。

トロアスから出帆してマケドニアに渡り、フィリピへ。

13~15節。会堂が無かったことから、ユダヤ人が少なかった(ユダヤ人への蔑視があった?)ことが分かる。
ルデアと家の者たちの改宗。

19~24節。異邦人からの最初の迫害。宗教の妬みでなく利害が絡んでた。パウロとシラスの殴打と投獄。

25~34節。地震。牢番と家の者たちの改宗。

35~40節。釈放される時、パウロは自分たちがローマ人であることを明かす。改宗したルデアや牢番たちが、不当な扱いを受けないように。ローマ市民権を、迫害から逃れるためではなく、仲間の無事のために使った。

当初パウロは、諸会衆を回った後、アジアに宣教にいくつもりだった。でも聖霊によりマケドニアに導かれた。そして、異邦人の地で最初の、異邦人によるフィリピ会衆設立。迫害と共に。後にフィリピ会衆が示した愛と寛大さ。パウロにとって愛すべき会衆になった。最初に信者となったルデアの寛大な霊の影響力も大きかったんだろうなぁ。(文章ヘタですみません)

使徒たちの活動12~14章(追記あり)

2018-12-12 | 聖書
今回はあんまり十分調べられませんでした。なので概要だけ。

12章は、エルサレム会衆への、ヘロデ・アグリッパ1世による迫害。

使徒ヤコブが剣で殺され、ペテロは投獄されるが、夜にみ使いによって救出される。ペテロはマルコの家に行って報告し、別の場所へ(エルサレムから出て姿を隠した?)。その後、ヘロデはカエサレアで、和を求めに来たティルスやシドンの民の前で、神に撃たれて死ぬ(44年)。

13,14章は、アンティオキア会衆での、パウロの第一回宣教旅行(47年~49年頃)。

13章。バルナバとサウロはマルコを伴ってキプロス島(バルナバの故郷)へ。そこでは、執政官代理セルギオ・パウロが改宗する(一緒にいた呪術者バルイエスを盲目にする)。呼び名がサウロからパウロとなる(9節)。キプロスを出てパンフリアのペルガ(港町)へ行く頃には、主導権はバルナバからパウロに(13節)。マルコはペルガからエルサレムに帰る。ペルガから内陸(ガラテア諸都市)へ向かい、ピシデアのアンティオキアの会堂で、パウロが(イスラエルの歴史からイエスの復活までのことを)話す。永遠の命のために正しく整えられた者(永遠の命へと定められていた者)がみな改宗する。ねたんだユダヤ人たちが迫害を起こしたため、足の塵を払ってイコニオムへ。

14章。イコニオムでも会堂で話す。大勢が信者となるが、ユダヤ人たちとは対立する(市が二分)。かなりの時を過ごして証し(しるしや異兆も)するが、石で打たれそうになりルステラ(テモテ)へ。ルステラでは、生まれた時から足なえの人を癒したことで、バルナバをゼウス、パウロをヘルメスと呼んで、二人に犠牲をささげようとしたので、パウロが(生ける神について話して)それをやめさせる。アンティオキアとイコニオムからユダヤ人が追ってきて、パウロを石で打って市の外に引きずり出すが、翌日にはデルベ(ガイオ)へ向かう。そこでも大勢の弟子を作り、その後戻って、ルステラ、イコニオム、アンティオキアの弟子たちを強め、年長者を任命し、主にゆだねる。さらに戻ってパンフリアのペルガでも語り、アタリアから出帆してシリアのアンティオキア会衆に戻り、神が彼らとともになして下さったこと、神が異邦人に対して信仰の扉を開いて下さったことを報告する。


12:15「彼(ペテロ)のみ使いだろう」。人には各々に守護天使がいると考えられていた・・・?

12:17「ヤコブと兄弟たちに報告してください」。この頃(44年)にはすでに、イエスの兄弟ヤコブが会衆の柱的存在になってたことが分かる。

(追記)

12:25「エルサレムで救援の仕事を十分に果たしてから帰途につき・・・マルコという者を一緒に連れてきた」。11章からの続き。
飢饉が起きたのがクラウディウスの時で45年頃だとすると、まだ飢饉が起きる前にそれを見越して救援のために、ユダヤ各地を回ってエルサレムにも来たってことかなぁ。だとしたらスゴイなぁ。(洞察ではこの救援は46年頃となってるから、飢饉が起きてからと解釈してるってことだね)
ペテロが獄からみ使いに連れ出されてマルコの家に行った時には、まだマルコは居たのかな。マルコはイエスが捕縛された時まだ10代だったらしいから、第一回宣教旅行の時は20代後半かな。

13:10~12「エホバの正しい道」「エホバの手」「エホバの教え」(新世界訳)。原文はエホバじゃなくて主。主に置き換えて読むと、エホバじゃなくてイエスだと分かる。
ここでパウロは、呪術者「バルイエス」(「イエスの子」の意)に対し「悪魔の子」と言って激しい口調で責める。で、一時的とはいえ盲目にしちゃう(癒すのではなく)んだよね。この人は、見えるようになった時、パウロのように回心したのかなぁ・・・

13:39「無罪と宣せられなかった」「無罪と宣せられる」(新世界訳)。他の訳では「義とされ得なかった」「義とされることのできなかった」及び「義とされる」。

13:43「神の過分のご親切」(新世界訳)。他の訳では「神の恵み」「神の恩恵」。

13:44~49「エホバの言葉」4ヶ所(新世界訳)。他の訳では最初は「神の言葉」あと3ヶ所は「主の言葉」。

14:3「エホバの権威のもとに」(新世界訳)。他の訳では「主に基づいて」「主によって」「主を信じて」「主を頼みとして」など。(この節にも「過分のご親切」とあるが、同上)

14:22「多くの患難を経て神の王国に入らなければならない」(新世界訳)。他の訳はおおむね同じなんだけど、田川訳が興味深くて「多くの患難を通ってこそ神の国へと入ることができるのだ」。これだと力強い励ましとなる言葉だよね。(なぜこう訳したのか、いずれ註を読んで確認します)

14:23「信ずるエホバに」(新世界訳)。他の訳では「信じるにいたった主に」「信じている主に」。
ここでパウロは、各会衆に年長者(他の訳では長老)を任命している。聖霊がそうさせたのか、パウロの個人的・人間的な判断だったのか。書いてないから分からないけど、後者だとしたら、単なる人間の組織に成り下がって(言い方悪くてすみません)行ってもしょうがないよね・・・年長者じゃなく、主にゆだねたのはいいことだけども。

14:26。新世界訳だと分かり辛い文。「そこから出帆してアンティオキアに向かった。彼らはその地で、[今や]十分に成し遂げた業のため、神の過分のご親切に託されたのである」。なんだかわからないよ。
他の訳で読むと分かり易い。例えば、新共同訳は「そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である」、田川訳(最近気に入ってる訳)は「そこからアンティオキアへと出帆した。彼らはその地で神の恵みによってこの仕事に委ねられたのだが、(今や)その仕事を果たし終えたのであった」。実に分かり易い。そういうことかぁ。


●書かれてある通りに訳すことってやっぱり大事だと思う。それを基に解釈すればいい(色んな解釈があるとしても)のであって、こうだと決めつけて訳すのは著者に失礼だよね。書き手がエホバという言葉を用いなかったのなら、そこにはそういう著者の意図があるのだから、そのまま訳すべきだよね。それをどう解釈するかが大事なんじゃないのかなぁ・・・
ということで、新世界訳は、読むだけでエホバの証人の教義に染まってしまう気がします。気を付けましょう。

●パウロの宣教旅行は、アンティオキア会衆から始まってる。少なくとも第一回目は、エルサレム会衆(組織の言うところの統治体)は何にも関わってない。全く無関係。聖霊がパウロとバルナバを宣教旅行に行かせた(14:26上記)。つまり、組織の言うところのエルサレムにあった統治体は、第一回宣教旅行に関しては全く役立たず(言い方悪くてすみません)だったってことだね。