むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

蜻蛉日記  最終章

2021年07月07日 09時21分13秒 | 「蜻蛉日記」田辺聖子訳










・「蜻蛉日記」は、まだ研究が行き届かない部分があり、
決まった解釈が絞られていない箇所がたくさんあります。
女の一生という意味に近しい日記ですが・・・

ただし本文は「源氏物語」よりもっと難しくて、
多分、次から次へ書き写しされているうち、
間違いも出てきたのでしょう。

そのうち、作者は三十九才の大晦日を最後に、
はたと筆を止めてしまっています。

その一年半くらい前から夫は完全に訪れなくなっていた。
夫、兼家はそのころ政権の座をめぐって、
ライバルとすさまじい角逐を演じていた。

夫の心が離れてしまって、
書き続ける気力も失せた感じでぽっと筆を置いた。
でも、蜻蛉はその後二十年近く生きていた。


~~~


・もう通って来なくなった兼家だけれど、
息子、道綱にはやさしい父親であった。

蜻蛉の父が、

「そちらの邸を処分してこちらへ来ないか」

とさそってくれ、その通りにしようと思った。
父の邸はそのころの町からみると北のはずれの方。
今の立命館大学の辺り。

それで兼家に黙って引っ越しても悪いと思い、
手紙で知らせ、返事が来たが実に冷淡なもので、

(あ~あの人の心はもう冷え切ってしまったのだ)

そう思ってさっさと転居してしまった。

転居してみると大変景色のいいところで、
山が近く、川も流れていて心もなぐさむ。

兼家からは本当にそれっきりになってしまった。

道綱もやはり母と一緒にこの邸へ移って暮らしている。
そうこうして暮らしているうち、あきらめも出てくる。

兼家の腑に落ちぬところは、
姿も見せず手紙も寄越さないのに、
仕立て物だけは頼んでくる。

全く自分本位でこんなことをすれば女がどう思うだろう、
という風な気持ちはない。

蜻蛉は突っ返す元気もなくて言われるままにしてやる。
ついには頼むという手紙さえなくて、
蜻蛉を仕立て屋と思っているらしい。


~~~


・年も明けて974年、
作者は三十九才、兼家は四十六、息子は二十才の青年。
兼家は影さえあらわさぬ。

「その後 夢の通ひ路絶えて 年暮れ果てぬ」


この年、息子の道綱が出世して右馬助になったと、
珍しく兼家から知らせがあった。

息子が世の中に出た時の世話は父親にしか出来ない。
兼家が道綱のことに一生懸命になってくれるのが一番うれしい。

道綱が勤めた右馬寮の長官、右馬頭(うまのかみ)は、
道綱にとっては叔父に当たる兼家の異母弟の、
遠度(とおのり)という人で上司に当たる。

その人が蜻蛉の養女に求婚して家へ来るようになった。
この遠度という人は三十五、六で大変な美男。

娘の方に求婚していた遠度自身、蜻蛉に求婚していた感がある。
蜻蛉の方が三つ、四つ、年長です。

遠度はしげしげとやって来る。
兼家が「四月くらいに結婚すれば・・・」
と言っていた四月が来る。

蜻蛉は困って、兼家に「どうしましょう?」と手紙を出す。
兼家の関心は蜻蛉だけでなくこの少女からも離れてしまっている。

「四月が忙しいというのなら、
八月くらいと言っておけばどうだね。
聞けば遠度はあなたに言い寄っているそうではないか。
世間のうわさではお前に惚れてるって話だよ」

(まあ、いやな・・・)
と、初めてそういううわさを兼家から教えられて、
蜻蛉はびっくりする。

「いまさらに いかなる駒かなつくべき
すさめぬ草と かれにし身を」


(いまさら、この年になってどこのもの好きが、
私に言い寄るというんでしょう。
馬だってこんな枯れ草を食べるもんですか。
私はもう世を逃れた身ですわ)

この馬は兼家にかけているみたいです。
あなたにさえ見捨てられている私が・・・

しかし、遠度と蜻蛉の間に、
娘の縁談という口実で文通や会話が交わされる。

八月も近づいたころ侍女たちは不思議なうわさを聞いた。

「まあ、あきれた話じゃありませんか。
右馬頭さまは人妻を盗み出してある所に隠れ住んでいるらしいですよ」

蜻蛉はびっくりしてしまう。

そうこうしているうちに、
夫の兼家と大そう仲の悪い兼通という兄が、
今、夫をしのいで威勢をふるっていて、
その人から恋文が来た。

蜻蛉の父は昔気質の人なので、
そんなにえらい人から歌をもらったら、
返事をしないと失礼に当たるというので返事をした。

蜻蛉はそれを武器にして新しい人生を開く、
というような意志はない。

兼家との間が絶望的であれば、
兼通に乗り換えてみてもこの時代はいいわけです。

このころは、経済的援助も兼家からは切れていて、
父に頼っている。

彼女の性質として希望の持てなくなった兼家との縁を、
細々とつないでいて、そんなことが彼女に、
「蜻蛉日記」を書かせた原動力かも知れません。

そんなこんなで遠度との仲はそれっきりになってしまった。


~~~


・ところが今度、その年の八月、もがさ(天然痘)が流行った。
作者はかからなかったけれど、最愛の道綱がかかってしまった。

これは大変、ということで兼家に手紙を送った。
これがまた冷淡な返事。

兼家も自邸に病気の子を抱えて、
自分も怖いので見舞いにも来ない。

やっと九月の声を聞いて道綱は死地を脱し、
蜻蛉はうれしくて仕方がない。

その頃、兼家から便りがあって、

「病人はどうだね。
いやもう忙しかった。
こちらの病人は治ったけれど道綱は治っただろうか」

この年、974年の天然痘は有名。

そして更に嬉しかったのは、
病が治った道綱が十二月の賀茂の臨時祭の係りに選ばれて、
行列の先頭に立つことが決まった。

これを見に蜻蛉は車を仕立てて見に行く。
向こうに美々しい兼家一行がいる。

何といっても道綱は兼家の息子の一人なので、
人々にちやほやされている。
それを見て蜻蛉は大変嬉しい。

十二月の終わり、
蜻蛉は正月に着る息子の衣装を調えるのに懸命になり、
大つごもりの晩は悪鬼を払うために桃の弓で門を叩くのですが、
その音が夜更けて聞こえた・・・

そこでぽつんと日記は終わっている。






          


(「蜻蛉日記」におつきあいくださってありがとうございました。
お立ち寄り下さった皆様に心から感謝いたします)

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