『霧深き宇治の恋』

田辺聖子さん訳の、
「霧深き宇治の恋」上、下
(平成五年)新潮文庫

6、蜻蛉日記  ④

2021年07月06日 08時37分50秒 | 「蜻蛉日記」田辺聖子訳










・養女のことで蜻蛉はつてをたよって、
その娘を欲しいと申し出ると、母親はたいそう泣いて、

「ここまで育てた子供を手放したくないけれど、
こんな山の中で女の子を育てていても仕方がない。
京の邸で育てて頂けたら父親にも会えるだろうし、
この子の将来を考えたら淋しいけれど、
その方がいいかもしれない」

ということになった。

いよいよ女の子が京に来た。
この話はしばらく夫にはしないでおこう。

ところがまんの悪いことにこういう時に兼家は来る。
いろいろ誤魔化していたがとうとう養女の話をする。

「あなたの子にして下さいますか」

「そうしよう。早く会わせろ」

十二、三才という年よりずっと小柄で幼げに見える。
田舎に貧しく住んで・・・
でも、とてもいじらしい様子で可愛い。

「いい子じゃないか」

兼家はびっくりし蜻蛉も嬉しい。

「いったい、誰の子だね?隠さずに言えよ」

「まあ、やかましいわね。あなたの子じゃありませんか」

と教えると兼家はびっくりし、
その子のことはずっと気にかけていたらしく、

「よかった、こんなに大きくなって・・・」

と泣きます。
侍女たちももらい泣きし女の子も悲しくなって泣きます。
972年のこと。

兼家はまた冗談を言います。

「おれはね、もうここには来るまいと思ったんだけど、
こんなことなら来ずにいられないじゃないか」

それからというもの、兼家の手紙には必ず、

「小さい人はどうしているかね」

が付け加えられていた。


~~~


・蜻蛉は幼い娘に習字や歌を教える。

兼家は時姫の娘と同じような年ごろだから、
一緒に裳着(もぎ)をしようと言う。

時姫との間に出来た娘は二番目の詮子。
この娘は後に円融天皇の女御になり一条天皇を生む。

裳着とは女の元服で、十二、三才、
つまり初めて月の障りを迎えると、
めでたく一人前の女になったというので、
お歯黒をつけ髪を上げて裳をつける。

裳というのは女の正装の後ろの部分につける、
腰の後ろから当てて前に紐で結んで、
これに唐衣をつけると女の正装になって、
十二単衣の装束になる。

それを時姫の娘と一緒にやろうと、
兼家は気を配ってくれる。

蜻蛉も生きる希望がわいてきたのか、
ここの描写にはやわらかみが加わります。


~~~


・王朝の世は失火、放火、共に火事が多かった。

ある時、友人に誘われて清水寺へ参ってお籠りしていますと、

「西の方で火事らしい。燃えています」

お寺からはかなり遠いのでお供の人が冗談を言いまして、

「あれは唐土(中国)で燃えているんですよ」

それでみんなは何も思わなかったけれど、
どうも蜻蛉の家のお隣の邸らしい。

もしや類焼してはいまいかと蜻蛉は胸が早鐘を打つようになった。
残してきた小さい女の子と息子のことを思って、
夢中で帰ってきた。

幸い家は無事だった。
隣家の人が避難して来ている。
道綱が適切な処置をとってくれており親として嬉しく思った。

そして、一番に考えたのが、
「あの人、見舞いに来た?」ということです。
兼家は来ない。いよいよ愛情が冷めたのかしら。

夜遅くなってようやく兼家が見舞いにやってきて、
蜻蛉はやっと心が落ち着いた。

本当に兼家は忙しいのによくやっている。
通うところは蜻蛉の所だけではないし、
自分の本邸も別にあります。

兼家は気がつくが男手でおおざっぱ。
彼を支える妻がいない。
あちこちに通う妻はいるが心配りする女性はいなかった。

現実では兼家の見舞い品は、

「いとあやしければ見ざりき」


粗末なもので蜻蛉としては、
もっとちゃんとしたものをくれたら、と思う。


~~~


・道綱十八才、恋人が出来た。

相手に一生懸命歌を贈るが返事はつれないものばかり。
息子はとうとう母に歌の添削をしてもらう。

息子はまた相手方の返事を母に見せる。
蜻蛉は何度か代作をしますが、向こうから来る返事は、
どれもこれも素っ気ないものばかり。

結局、道綱の恋はどれも実を結ばず、
女にふられっぱなしでした。

とうとう道長夫婦(時姫の三男)が世話をして、
道長の北の方の妹と結婚しました。

しかし、その妻とも死別。
後、二~三人の妻を持ったが最後は、
源頼光という新興武士の娘の婿になった。
これは家柄のない侍階級なので、公家からはバカにされた。


~~~


・そうしているうち、
夫の一番下の弟の遠度(とおのり)が、
蜻蛉宅に手紙を送ってくるようになった。

養女にした娘を妻にしたいらしい。
遠度は三十五、六、考えれば息子も娘もそういう時代です。

翌、973年、蜻蛉は三十八才、
王朝の女はもう老いの入り口でした。

兼家は四十五才、働き盛り、
男の方は今も昔も変わらない。

二月三日の昼、兼家が来た。
来たのは嬉しいが昼に来たというのが気にくわない。

老けこんだ顔を光のもとで見られたくない。
その時、夫は蜻蛉が染めた衣装を身につけていた。

夫からはよく仕立て物を頼まれていますが、
蜻蛉は裁縫や染色などの女の手仕事に長けた人で、
夫の着ている着物は美しい桜がさね。

桜がさねとは、
表は白で裏はワインカラー、
くっきりと地紋が浮き上がって美しい。

蜻蛉はわが身を見ると着古したよれよれ衣装。

「いと憎げに人はあり」


(ああ、こんなオバンでは愛想を尽かされてもしょうがないわね)

蜻蛉は身の衰えを肯定するまでになった。
その歳月の重さが感じられる。






          


(6  了)

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