・正暦五年(994)二月二十日、
積善寺(さくぜんじ)の、
一切経供養の日の、
晴れがましさよ
こんな人生が私に、
待ち受けていようとは、
ちらとでも思ったろうか
関白・道隆の大臣が、
二月二十日に法興院の積善寺で、
一切供養を営まれる
法興院はそのかみ、
父君の兼家公が住まれ、
やがてここで出家して、
寺となさったところである
道隆公はこの境内に、
積善寺を移された
その供養には、
女院(今上の母君で道隆公の妹君)
も中宮も行啓されるので、
中宮は二月一日に内裏を出られて、
二条北宮へお移りになった
二条北宮は、
道隆公のお住まい、
東三条南院の隣で、
中宮のお里帰りの邸と、
新築された
行啓は夜
中宮が御輿で出られたあと、
女房たちがわれ勝ちに、
車に乗り騒ぐのが面白くなく、
私は押し合いへし合いの列から、
離れていた
中納言の君や、
宰相の君たちは、
上臈というので最初に乗って、
出発してしまい、
あとはやたら混雑する
右衛門の君も、
手がつけられない、
という感じで苦笑して、
「どう、
このあわてふためくこと
みっともないったら、
ありゃしないわ」
「命をまとに乗らなきゃ、
いけないわね」
私が笑うと、
右衛門の君は口をゆがめ、
「いいじゃない
乗る車がなくて、
御前へあがれないと、
お聞きになれば、
すぐさま、
車をさしむけて下さるわよ
あなたがいないんじゃ、
すまないのだから」
どことなく一点、
ちくりと嫌味をいうのが、
右衛門の君の癖であるから、
私も馴れている
残っているのは、
人のいい式部のおもとと、
動作の鈍い小左京の君、
この二人は人に押されると、
押し返す甲斐性がないため
私と右衛門の君は、
自尊心がありすぎて、
割り込めなかった
係りの役人が、
「これでおしまいですか」
といった
まだ残っているというと、
男は名を聞いて、
「いやはや、これは・・・
皆さまは疾うに乗って、
おしまいになりましたよ
いまは得選さんを乗せるところで
どうしてまた、
今までのんびりしていられたので?」
と当惑して、
急いで車を寄せてきた
「どうしてって、
あの騒ぎの中を、
目を吊り上げて突進しろ、
とでもいうの
あんたがちゃんとさばかないから、
こんなことになるんじゃないの
どうぞあんたが乗せたい、
得選さんをお乗せあそばせ
あたしたちはいちばんおしまいで、
結構よ」
右衛門の君は意地悪くいう
「弱りましたな
そういじめないで下さいよ
あなたがたのような女房の方が、
御厨子所の得選さんたちより、
あとになったとあらば、
私の責任問題ですよ」
役人は涙声
役人という人種は、
疫病を恐れるように、
責任をかぶるのを忌むのを、
今は知るようになっている
右衛門の君と、
くすくす笑いながら車に乗った
牛車の定員は四人
式部のおもとと、
小左京の君も一緒に乗り込む
うしろに続く車は、
実際御厨子所の采女のものだった
車は粗末で、
がたがたするし、
前後の松明の灯も、
いつもの女房車のように、
明るくなく暗かった
「なさけないこと・・・
こんな目にあうなんて」
泣き言いいの小左京の君は、
べそをかいていた
着いてみると、
私たちが女房の中では、
最後だった
右京や小左近などの、
若い女房が、
「まあ、
どうしていらしたの
中宮さまがお待ちかねよ」
とさがしていて、
「どうしてこんなに、
遅かったのよ
さっきからご機嫌ななめで、
いらっしゃるわよ」
と私たちを引っ立てて、
御前に連れていく
「遅いのねえ、少納言
死んだのかと思ったわよ
どうして遅れたの?」
私はお待たせした、
お詫びだけ申しあげた
理由をいうときは、
人を傷つけない趣向があれば、
ともかく、
とっさに思いつかないときは、
鉾をおさめている方が、
粋である
しかし、
右衛門の君は、
私と感覚が違うらしく、
冷静にお答えする
「無理と申すもので、
ございますわ
おしまいの車に乗りました者が、
どうして早く参れましょう
これでも御厨子所の得選が、
気の毒がって車を譲って、
くれましたのでございます
まあ、途中心細うございました
警護は少ないし、
松明は暗うございますし・・・」
「それは、
係りの役人の手落ちね
気の利かない者たちだこと
なぜ叱らなかったの?」
中宮は仰せられる
「ではございますが、
人を押しのけ、
足を踏んづけ、
袖を引っぱりあって、
われ勝ちに乗るなんてこと、
いたしかねますもの」
右衛門の君がいうと、
あてつけらしく、
さぞ、そばの女房たちは、
片腹痛く耳痛かったことであろう
「見苦しいことをして、
早く乗ってすましているのは、
よくないわね
それとなく定め通りに、
みやびやかにふるまうのが、
身分ある女房の、
することなのに・・・」
中宮は少しご不快の様子