むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

4、蜻蛉日記  ②

2021年06月28日 08時34分31秒 | 「蜻蛉日記」田辺聖子訳










・夫の兼家は蜻蛉の不満や恨みつらみを、
「まあ、まあ、まあ」となだめたりします。

本当にカッとして蜻蛉を張り飛ばしたり、
怒鳴りつけたりなどはしません。

女の人は男にかわされたりすると、
腹が立つタイプがあります。

蜻蛉にとって兼家は一回りも二回りも大きくて、
本気になってケンカをしてくれない。

そういうことでは蜻蛉と兼家はうまい組み合わせではなかった。
蜻蛉は兼家にケンカしながら彼に魅かれています。

そんなおり、姉が夫について遠い任地へ行くことになりました。
出発が近づいた日、姉の家を訪れて、
姉の着物と自分の着物を取替えます。

古代、着物をお互いに交換し合うというのは、
親愛の表現でした。

男が女のもとを訪れて、そのあくる朝、
お互いの着物を取り換える。
衣を交わす、だから「後朝」と書いて「きぬぎぬ」と言います。

昔の衣装ですから男女同じ仕立てです。

母に死なれ、姉は遠くに行ってしまい、
夫は来るか来ないかわからない状態。

この時代、男の足が途絶えたら次の男が通ってきて、
それは不道徳なことではなくごく普通のことでした。
全くルーズで自由でした。

物思いに沈みながら結婚生活が十年、十一年経っていきます。


~~~



・ある日、蜻蛉の家に来ている時、兼家が病気になりました。
兼家は、

「お前のうちでは不便なことが多いから、帰るよ」

と自邸へ引き上げてしまいました。
この時、兼家は心細がりまして、

「私が死んだら、あなたはどうするんだろう?」

涙ながらに語ります。

「私が先に逝くようなことがあれば、
あなたは独り身ではいるまいねえ・・・」

兼家の涙を見たのは初めてですから心細くなって、
蜻蛉も泣きます。

「もし、私が死んでも、
あなたはせめて喪の間は再婚しないで下さい」

本気で兼家は言うのです。

「かくて死なば これこそは見たてまつるべき限りなめれ」


兼家は死の恐怖におびえて、蜻蛉に本音を打ち明けます。
兼家を本当は心から愛している蜻蛉のよさを、
兼家はわかっていました。

死に直面した時、素直な愛の言葉として、
兼家の口にのぼってきました。

それが蜻蛉にもよくわかり、
悲しい中にも嬉しくて日記に書いています。

兼家が帰って行った先は、
自邸から時姫の邸へ移ったみたいです。

蜻蛉は日に二、三度手紙を書きます。
兼家の女房たちから返事が来ますが病状が思わしくないようです。


~~~


・泣いたり笑ったりお世辞を言ったり、
特におべんちゃらをふんだんにばらまくという、
素晴らしい美徳を王朝の男たちは備えていました。

男が泣いたり女をほめたり、
そういうことはなまじ言わないほうが男らしい、
というのは徳川時代、三百年の儒教道徳の弊害です。

平安時代の男の人は、
よくしゃべって、相手をほめて、よく泣きました。

兼家もその時代の男ですから、
病で心細くなったとき、蜻蛉に向かって、

「ここはいかに思ひきこえたりとか見る」


(あなたをどんなに愛していたことか)と言います。

少しずつ兼家の病気がよくなってきます。

「だいぶん病気がよくなったから、一度来てくれないか」

「時姫さまのところ、そんなところへはとても・・・」

蜻蛉は断ります。
兼家は何度も何度も言ってきます。

ある晩、とうとう迎えの車を寄こしたので、
蜻蛉は夫を見舞いに行きました。

時姫の邸といっても大変広い。
兼家が迎えに出てきてくれました。

辺りは真っ暗。
平安時代の暗さはわれわれが想像し得る以上の暗さでした。

「これは暗い、灯をつけよ」兼家が言います。

蜻蛉は自分が来ていることが時姫に知られるのは、
具合わるく断ります。

「いや、そんなに気をつかうことはない」兼家は言います。

この時代の灯は今の電燈のように前や上の方に置きません。
必ず物の向こうに置いて屈折した光で、
こちらをほのかに明るくする間接照明でした。

物の言い方もそうでして、
何によらずあからさまにすることを避けます。

真っ暗闇の中に兼家が灯をつけさせ、
また泣かせるセリフを言います。

「あなたが来たら一緒に食べようと思って・・・
精進落としの魚を食べようじゃないか」

これは蜻蛉のように頭のいい女の人がころっといかれてしまう、
男の可愛げです。

その晩は加持祈祷の僧も遠ざけて、
夫婦らしい一晩を過ごします。

蜻蛉はそれがうれしくて、
いつまでもそうしていたいのですが朝が来ます。

蜻蛉は、「こんなに明るくなって人目が恐い」
と言いますと、兼家は、

「まあ、いいじゃないか。朝食を一緒に食べよう」と言います。

この当時の朝ごはんは「かゆ」とありまして、
これは今のおかゆと同じものかどうかは不明です。

今のごはんだろうという人もいます。
何にしても米を水に入れて炊くのを「かゆ」といいます。

そんな風にして朝食を一緒に食べて、
そうするうちにお昼になります。

今度は兼家の方が別れにくくなって、

「じゃあ、一緒に帰ろうか。あなたと共に」

ごく普通の女の人なら、
「まあ、うれしいわ」と言うところですが、
蜻蛉はプライド高い女性ですし人の気持ちもわかります。

「時姫さまがどうお思いになるでしょう」と反対します。

「やっぱり、ここでも少し養生なすって、
体がしっかりなすったらおいで下さい」

兼家は蜻蛉を見送ってくれました。
そのさまを、

「いとあはれと見る見る」


とあります。






          


(次回へ)

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