・夫の兼家は蜻蛉の不満や恨みつらみを、
「まあ、まあ、まあ」となだめたりします。
本当にカッとして蜻蛉を張り飛ばしたり、
怒鳴りつけたりなどはしません。
女の人は男にかわされたりすると、
腹が立つタイプがあります。
蜻蛉にとって兼家は一回りも二回りも大きくて、
本気になってケンカをしてくれない。
そういうことでは蜻蛉と兼家はうまい組み合わせではなかった。
蜻蛉は兼家にケンカしながら彼に魅かれています。
そんなおり、姉が夫について遠い任地へ行くことになりました。
出発が近づいた日、姉の家を訪れて、
姉の着物と自分の着物を取替えます。
古代、着物をお互いに交換し合うというのは、
親愛の表現でした。
男が女のもとを訪れて、そのあくる朝、
お互いの着物を取り換える。
衣を交わす、だから「後朝」と書いて「きぬぎぬ」と言います。
昔の衣装ですから男女同じ仕立てです。
母に死なれ、姉は遠くに行ってしまい、
夫は来るか来ないかわからない状態。
この時代、男の足が途絶えたら次の男が通ってきて、
それは不道徳なことではなくごく普通のことでした。
全くルーズで自由でした。
物思いに沈みながら結婚生活が十年、十一年経っていきます。
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・ある日、蜻蛉の家に来ている時、兼家が病気になりました。
兼家は、
「お前のうちでは不便なことが多いから、帰るよ」
と自邸へ引き上げてしまいました。
この時、兼家は心細がりまして、
「私が死んだら、あなたはどうするんだろう?」
涙ながらに語ります。
「私が先に逝くようなことがあれば、
あなたは独り身ではいるまいねえ・・・」
兼家の涙を見たのは初めてですから心細くなって、
蜻蛉も泣きます。
「もし、私が死んでも、
あなたはせめて喪の間は再婚しないで下さい」
本気で兼家は言うのです。
「かくて死なば これこそは見たてまつるべき限りなめれ」
兼家は死の恐怖におびえて、蜻蛉に本音を打ち明けます。
兼家を本当は心から愛している蜻蛉のよさを、
兼家はわかっていました。
死に直面した時、素直な愛の言葉として、
兼家の口にのぼってきました。
それが蜻蛉にもよくわかり、
悲しい中にも嬉しくて日記に書いています。
兼家が帰って行った先は、
自邸から時姫の邸へ移ったみたいです。
蜻蛉は日に二、三度手紙を書きます。
兼家の女房たちから返事が来ますが病状が思わしくないようです。
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・泣いたり笑ったりお世辞を言ったり、
特におべんちゃらをふんだんにばらまくという、
素晴らしい美徳を王朝の男たちは備えていました。
男が泣いたり女をほめたり、
そういうことはなまじ言わないほうが男らしい、
というのは徳川時代、三百年の儒教道徳の弊害です。
平安時代の男の人は、
よくしゃべって、相手をほめて、よく泣きました。
兼家もその時代の男ですから、
病で心細くなったとき、蜻蛉に向かって、
「ここはいかに思ひきこえたりとか見る」
(あなたをどんなに愛していたことか)と言います。
少しずつ兼家の病気がよくなってきます。
「だいぶん病気がよくなったから、一度来てくれないか」
「時姫さまのところ、そんなところへはとても・・・」
蜻蛉は断ります。
兼家は何度も何度も言ってきます。
ある晩、とうとう迎えの車を寄こしたので、
蜻蛉は夫を見舞いに行きました。
時姫の邸といっても大変広い。
兼家が迎えに出てきてくれました。
辺りは真っ暗。
平安時代の暗さはわれわれが想像し得る以上の暗さでした。
「これは暗い、灯をつけよ」兼家が言います。
蜻蛉は自分が来ていることが時姫に知られるのは、
具合わるく断ります。
「いや、そんなに気をつかうことはない」兼家は言います。
この時代の灯は今の電燈のように前や上の方に置きません。
必ず物の向こうに置いて屈折した光で、
こちらをほのかに明るくする間接照明でした。
物の言い方もそうでして、
何によらずあからさまにすることを避けます。
真っ暗闇の中に兼家が灯をつけさせ、
また泣かせるセリフを言います。
「あなたが来たら一緒に食べようと思って・・・
精進落としの魚を食べようじゃないか」
これは蜻蛉のように頭のいい女の人がころっといかれてしまう、
男の可愛げです。
その晩は加持祈祷の僧も遠ざけて、
夫婦らしい一晩を過ごします。
蜻蛉はそれがうれしくて、
いつまでもそうしていたいのですが朝が来ます。
蜻蛉は、「こんなに明るくなって人目が恐い」
と言いますと、兼家は、
「まあ、いいじゃないか。朝食を一緒に食べよう」と言います。
この当時の朝ごはんは「かゆ」とありまして、
これは今のおかゆと同じものかどうかは不明です。
今のごはんだろうという人もいます。
何にしても米を水に入れて炊くのを「かゆ」といいます。
そんな風にして朝食を一緒に食べて、
そうするうちにお昼になります。
今度は兼家の方が別れにくくなって、
「じゃあ、一緒に帰ろうか。あなたと共に」
ごく普通の女の人なら、
「まあ、うれしいわ」と言うところですが、
蜻蛉はプライド高い女性ですし人の気持ちもわかります。
「時姫さまがどうお思いになるでしょう」と反対します。
「やっぱり、ここでも少し養生なすって、
体がしっかりなすったらおいで下さい」
兼家は蜻蛉を見送ってくれました。
そのさまを、
「いとあはれと見る見る」
とあります。
(次回へ)