むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「8」 ⑥

2024年10月04日 08時04分21秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・もう夜は遅くなっていて、
疲れて眠くなり、
そのまま眠ってしまった

翌朝は早春のうららかな日

起きてみると、
この新築の二条邸は、
どこもかしこも、
檜の匂いがただよって、
すがすがしかった

木肌は白くすべすべして、
念を入れた凝ったつくりである

新しい御簾が青々と、
かけわたしてあり、
中宮の御張台の前の、
獅子や狛犬も得意に、
収まっている

定子中宮の父君、
道隆関白さまが、
隣の東三条院から、
こちらへお越しになる

関白さまは今年四十二、
見れば見るほど、
目鼻立ちのととのった、
どっしりした美男子で、
いらっしゃる

中宮の御前で、
関白さまは何かと、
話しかけられるが、
中宮の応酬のめでたさ、
親しみ深くそれでいて品よく、
なつかしい程のよさ

こういう方も世間には、
おいでになるのよ、
と私は久しぶりに、
則光や浅茅を思い出す

関白さまは、
いつお見上げしても、
にこにこしていられる方

それはそうだろう、
ご自分は最高の位にのぼられ、
ご子息はそれぞれ高官で、
勢いをふるっていられる

姫君たちは、
後宮でときめいていられ、
まして長女の定子姫は、
臣下ではなく中宮の御位

天下は関白さまの、
お心のまま

そのご満悦が、
おのずとお顔に、
でるのかもしれないが、
もともと明るいご気質らしく、
冗談がお好きで、
女房たちには、
評判がいい

ただ私は弁のおもとから、
道隆公は大酒なさる、
お癖があると聞いているので、
そのせいか、
いつも微醺を帯びて、
いらっしゃるような気が、
してならない

絶え間なく飛ばされる冗談も、
かるい酩酊のせいのように、
思われる

関白さまは私たちを見て、

「宮は何のご不満も、
ございますまい
こんなに大勢の美人を並べて、
据えられるとは、
うらやましい限り
ごらんなさい
みな、とびきりの美人で、
いい家の姫君たち
よくいたわって、
召し使えなさいませよ
この宮は、
ひどいケチで強欲で、
いらっしゃることを、
ご存じかな
私はこの宮がお生まれになってから、
一生懸命お仕えしてきましたが、
いまだに何の見返りもない
おさがりの衣一つ、
賜ったことがないのですからな」

私たちは笑う

この二条邸は、
ご実家のすぐ隣なので、
姫君たちもおいでになるが、
むろんお顔は拝見できない

几帳越しにちらと、
お体つきだけ見えるのである

中宮の妹姫は、
三人いらっしゃるが、
みな去年御裳着を、
お済ませになっていた

中の君の妹姫、
三の君は去年、
帥宮敦道親王を婿と、
なさっている

この方はまだ十三、四、
お体つきは大きくて、
中の君より大柄に見えた

そういえば、
関白さまの北の方、
貴子の上もこちらへ、
お渡りになった

弁のおもとも従って来ており、
久しぶりに会うことが出来たが、
貴子の上は、
中宮や姫君と共に几帳の彼方、
奥深いところに居られ、
私のような新参者には、
お顔を見せられない

夜までいらしたが、
お顔はおろか、
われわれにはお声を、
かけられることもなかった

弁のおもとの話から想像する、
お人柄と印象が違うので、
私は少し面食らった

弁のおもとには悪いが、
貴子の上はすこし、
つんとしていられて、
いい感じではなかった

道隆公の気取りない、
お振る舞いとは、
対照的である

女ながらに、
「才あり」と評判高い貴子の上に、
よそながら敬愛をささげていた私は、
はぐらかされた思いだった

しかし、中宮にとっては、
久々の家族団らんで、
お心がくつろがれるらしく、
嬉しげな笑いを洩らされる

主上からのお手紙は、
毎日来る

こんなに愛されていらっしゃる、
中宮のことを私まで、
誇らしげに思うのであった

二十日の盛儀の日は、
せまってくる

その日は女院方の女房も、
参集されるので、
装束にひときわ、
心を配らねばならない

扇も新調しなくては

みな、その準備のために、
夜になると実家へ退出する

こういう時なので、
中宮もおとどめにならない

私も帰らねばならなかった

棟世が見事な唐の綾を、
手に入れて贈ってくれていた

それを仕立てに出してある

「お役に立てば、
と思って、
お届けいたします
お使い捨て下さい
棟世」

という手紙が添えられていた

その手紙の使いが、
二条邸に来たことで、
右衛門の君に知られてしまい、
何かあるように、
思われたかもしれない

いまは何もないが、
しかし人の行く末は、
わからない






            


(了)

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