・若い人たち、
それに専業主婦たちは、
「ぜいたくな徒労」に挑戦なさるのもいいのであるが、
これから先、
老人夫婦、あるいは老人の一人暮らしや共稼ぎが増えると、
インスタント製品がもっと質をよくして出まわってもいい、
と私は思う。
私は今のところまだ、
昆布とかつおぶしで日本料理のだしを取っているが、
それはインスタントの粉末だしを溶いたものでは、
舌が満足しないからである。
これももっと精製されれば、
私はインスタントの粉末だしに切り替えるつもりである。
着物もそう、
私は着物が好きなのであるが、
あとの手入れのことを思うと、
その煩雑さに気が遠くなる。
それから付属品の多いのにもおどろかされる。
これらは一面、女ならではの楽しみである。
帯締と帯揚の色を合わせたり、
着物を作るとき、
裾廻しの八掛の色をあれこれ考えたりするのは、
たぐいない楽しいことであって、
私はいっとき着物に凝ったことがあった。
しかし着物を楽しむのも、
私にとってはかなり人生的腕力の要ることを発見した。
洋服のようにハンガーにかけておけばすむのと違い、
たたまなければいけない。
汚れてもクリーニングに出せるというものではない。
胴裏の白い絹にシミが出来てくる。
金糸の刺繍が、紋がどうの、ということになると、
もう私はついに、つきあいきれない、
という気持ちになった。
それは仕事に時間を取られすぎて、
気持ちの余裕を失ったということかもしれないが、
私は着物も帯も箪笥にしまいこんだきりになった。
ただ、着物地は好きなので、
それでドレスを作るようになった。
腕のいいデザイナーの友人がいて、
着尺や羽尺でドレスを作ってくれる。
着心地よく、それに映えたつのでいい。
濃いピンク地の紅型の大振袖で、
私は袖の長いロングドレスと、
半袖のミモレのワンピースを作ってもらった。
これは着物の着心地も味わえる上に、
ウエストもしまらないので苦しくなく、
背中のファスナーを引き上げればしまいだから、
着崩れもしない。
年をとったら着物を着ようと楽しみにしていたが、
着物というのは、
若い頃にこそ着られるもので、
着物が日常着でない時代に育った私には、
かなり負担を強いられるものだ、
ということがわかった。
着物地でドレスを作って、
するりと着ている方がずっと自然で楽だ。
いや、それをいうなら、
私は年をとったら自然に恵まれた郊外で、
広い庭を持つ、日本家屋に住みたいと夢想していた。
そして、私も夫も和食が好きなので、
うすあじの和風料理を楽しみたいと思っていた。
しかしそれらは、今まで考えてきたように、
自分にかなりの腕力があるか、
人の力をあてに出来る場合である。
こうして考えてみると、
日本風生活様式というのは、
現代ではかなりぜいたくな暮らしであると、
思わざるを得ない。
そしてそれを支えたのは、
むろん、従来の家族制度で、
住むこと着ること食べること、
みな妻や嫁たちの労役によって可能だったのだ。
老人の一人暮らし、
あるいは老夫婦だけの所帯が増えている今、
私はこういう人々から、
日本風生活様式は崩れていくと思う。
老人には鍵一つで出入りできる、
コンクリートの部屋が便利だし、
自然に恵まれた郊外の不便なところより、
ターミナルに近い便利なところがにぎやかでいい。
食事はインスタントが手軽でいいし、
着る物も、脱ぎ着に便利で、
軽く暖か、または涼しく、
どこかしゃれたもの、
を追及して工夫すればよい。
何かの楽しみごと、生きがいがあれば、
人生はそれを中心にまわり、
おのずと自分にいちばん都合のいい、
生活様式を作り出していくことになるだろう。
新しい生活様式を創り出し、
発見してゆくのは、
これからは若い人より熟年世代の人、
ではないかと思う。
そういう人々は生活様式だけではなく、
心情もしだいに反日本風に染まっていくかもしれない。
革命はやがて、
熟年世代からゆっくりと始まるかもしれない。
(了)