むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

1、革命とアリガタバチ ④

2022年06月17日 08時43分42秒 | 田辺聖子・エッセー集










・若い人たち、
それに専業主婦たちは、
「ぜいたくな徒労」に挑戦なさるのもいいのであるが、
これから先、
老人夫婦、あるいは老人の一人暮らしや共稼ぎが増えると、
インスタント製品がもっと質をよくして出まわってもいい、
と私は思う。

私は今のところまだ、
昆布とかつおぶしで日本料理のだしを取っているが、
それはインスタントの粉末だしを溶いたものでは、
舌が満足しないからである。

これももっと精製されれば、
私はインスタントの粉末だしに切り替えるつもりである。

着物もそう、
私は着物が好きなのであるが、
あとの手入れのことを思うと、
その煩雑さに気が遠くなる。

それから付属品の多いのにもおどろかされる。
これらは一面、女ならではの楽しみである。

帯締と帯揚の色を合わせたり、
着物を作るとき、
裾廻しの八掛の色をあれこれ考えたりするのは、
たぐいない楽しいことであって、
私はいっとき着物に凝ったことがあった。

しかし着物を楽しむのも、
私にとってはかなり人生的腕力の要ることを発見した。

洋服のようにハンガーにかけておけばすむのと違い、
たたまなければいけない。

汚れてもクリーニングに出せるというものではない。
胴裏の白い絹にシミが出来てくる。

金糸の刺繍が、紋がどうの、ということになると、
もう私はついに、つきあいきれない、
という気持ちになった。

それは仕事に時間を取られすぎて、
気持ちの余裕を失ったということかもしれないが、
私は着物も帯も箪笥にしまいこんだきりになった。

ただ、着物地は好きなので、
それでドレスを作るようになった。

腕のいいデザイナーの友人がいて、
着尺や羽尺でドレスを作ってくれる。
着心地よく、それに映えたつのでいい。

濃いピンク地の紅型の大振袖で、
私は袖の長いロングドレスと、
半袖のミモレのワンピースを作ってもらった。

これは着物の着心地も味わえる上に、
ウエストもしまらないので苦しくなく、
背中のファスナーを引き上げればしまいだから、
着崩れもしない。

年をとったら着物を着ようと楽しみにしていたが、
着物というのは、
若い頃にこそ着られるもので、
着物が日常着でない時代に育った私には、
かなり負担を強いられるものだ、
ということがわかった。

着物地でドレスを作って、
するりと着ている方がずっと自然で楽だ。

いや、それをいうなら、
私は年をとったら自然に恵まれた郊外で、
広い庭を持つ、日本家屋に住みたいと夢想していた。

そして、私も夫も和食が好きなので、
うすあじの和風料理を楽しみたいと思っていた。

しかしそれらは、今まで考えてきたように、
自分にかなりの腕力があるか、
人の力をあてに出来る場合である。

こうして考えてみると、
日本風生活様式というのは、
現代ではかなりぜいたくな暮らしであると、
思わざるを得ない。

そしてそれを支えたのは、
むろん、従来の家族制度で、
住むこと着ること食べること、
みな妻や嫁たちの労役によって可能だったのだ。

老人の一人暮らし、
あるいは老夫婦だけの所帯が増えている今、
私はこういう人々から、
日本風生活様式は崩れていくと思う。

老人には鍵一つで出入りできる、
コンクリートの部屋が便利だし、
自然に恵まれた郊外の不便なところより、
ターミナルに近い便利なところがにぎやかでいい。

食事はインスタントが手軽でいいし、
着る物も、脱ぎ着に便利で、
軽く暖か、または涼しく、
どこかしゃれたもの、
を追及して工夫すればよい。

何かの楽しみごと、生きがいがあれば、
人生はそれを中心にまわり、
おのずと自分にいちばん都合のいい、
生活様式を作り出していくことになるだろう。

新しい生活様式を創り出し、
発見してゆくのは、
これからは若い人より熟年世代の人、
ではないかと思う。

そういう人々は生活様式だけではなく、
心情もしだいに反日本風に染まっていくかもしれない。

革命はやがて、
熟年世代からゆっくりと始まるかもしれない。






          

(了)

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