むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

5、パリ ⑧

2022年10月09日 08時38分14秒 | 田辺聖子・エッセー集










・冷え込みのきびしい石造りのたてもの、
日照時間の短い日々は、本当をいうと、
人間が住むのにふさわしくないのかもしれない。

パリの郊外には美しい森がいくつもあるが、
パリっ子が休みになると、
飢えたように郊外へ出かけるはずである。

コレットからサガンにいたるまで、
フランスの「愛」の女流作家は、
自然描写が好きで巧みだが、
「愛」を書くのも感覚的な天分がないと出来ないので、
おのずから、自然を愛する気持ちと、
かかわりが深いのかもしれない。

私は、ボーボワールやデュラスより、
サガンやコレットが好きである。

私はホトトギス氏に頼んで、
プランタンのデパートの書籍売り場で、
『悲しみよこんにちは』や、
『水の中の小さな太陽』の新書版を買ってもらった。

ホトトギス氏は若いだけあって、
さっさと「サガンコーナー」をみつけてくれた。
(むろんフランス語である)

サガンは町の盛り場やサロンの会話、
パーティの華やぎも好んで書くが、
同じように、森のかぐわしさ、
雨のしずく、風の匂い、
郊外のレストランの庭での食事など、
楽しそうに書いている。

コレットの自然描写は、いうまでもない。

彼女らにとっては、
肌に感じる日光の熱さは、
耳元で聞く男の甘い言葉と同じくらい、
官能的な快楽であるらしい。

ラルチーヌ母さんの神経痛に悩んでいる姿なぞ見ていると、
パリのたてものは体に悪いんじゃないかと思われる。

パリの町には足の悪い人も多く、
杖をついて歩いているが、
これはパリ在住の日本人の考察によると、
足が細すぎて体重を支えきれないのではないか、
という。

胴長、短足の方が体のためにはよいかもしれない。

さて、かんじんの食べ物は、
仔牛のクリーム煮がやさしい味であった。

ソースが濃厚でなくてよい。

あとはアイスクリームに、
カシスという野イチゴのジュースをかけたもの、
それにコーヒーという段取り。

私はここでパルミエという椰子の芽に、
マヨネーズをかけたのが好きだった。

パルミエはこのごろ、
日本でも缶詰で売っているけれど。

私たちの横の一人者はゆっくりと料理を楽しみ、
一人でワインを飲んで飽きる風もない。
充分に一人の食事を楽しんでる風情。

日本だと、レストランへ入って一人でゆっくり、
ということがない。

たいてい、食べながらテレビを見たり、
新聞を読んだりしている。

フランスの中年一人者は、
黒髪黒眼、黒い服に赤いネクタイ、
目つきの鋭い、髭のそりあとも青々した、
堅気の勤め人といった男である。

いかにも独身者、という風情が身についているのは、
食事の仕方からわかる。

女房子供が里帰りしているあいだ、
食べに来ている、というていではないのである。

「独身というのはぜいたくなんですねえ。
税金も高いですし」

とムッシュ・フランソワーズはささやいた。

高い税金を払ってでも独身でいるほうがいい、
という人は、たいてい気むずかしい人である。

よって私は、
女の独身貴族は好きだが、
男の独身貴族は当惑するところがある。






          


(次回へ)

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