むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「4」 ⑤

2024年09月15日 07時50分30秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・道兼公の不人気といえば、
父君、兼家公の喪中にも、
不謹慎なおふるまいがあった

道兼公は経を読むことすら、
なさらなかった

「だいたい、
父君のなされ方は腑におちない
おれが花山の院をだまして、
おろし奉ったから、
今上の御代が実現したのだ
それを考えれば関白の位は、
おれに譲られるべきだった
それを道隆に渡すなんて、
気にくわぬ
気にくわぬ親の法事なんか、
していられるか」

暑さにことよせて、
御簾をみなひきあげ、
親しい仲間を集めて、
遊びたわむれていられた、
そうである

兼家公が亡くなられたあと、
こんな風にさまざまあり、
年変ってから、
円融院も亡くなられた

円融院の女御であられた、
皇太后・詮子の君は、
ご病気になられて、
出家なされ女院と申しあげる

弁のおもとが、
軽い病で里下りしているので、
私は見舞いに行った

吉祥を連れて行った

この間出来上がった、
二冊目の「春はあけぼの草子」を、
たずさえて行ったのである

吉祥はおとなしい子なので、
よその邸へ連れて行っても、
恥をかくことはなかった

弁のおもとは病気ではなく、
歯痛だそうである

歯痛をよく診るという、
唐人の医者に、
抜いてもらったことで、
気分はよさそうであった

「春はあけぼの草子」を、
彼女は喜んで読んで、
定子中宮にもさしあげると、
約束した

中宮はお忘れではなく、

「元輔の娘は、
宮仕えを好まないのかしら?」

といっていらしたそうである

「中宮さまが・・・」

私はびっくりしてしまった

「あら、
そういうところが、
中の関白さまご一家の、
よそにないご気風なのよ
関白さまもそうだけれど、
北の方もお気軽、
だから定子姫もそうなの」

そして弁のおもとは、
東宮の女御の話をした

東宮は主上よりお年かさで、
十五、六

小一条の大将の姫君が、
美しいということで、
入内を希望された

大将は、
主上はまだお若い上に、
定子中宮がいられるから、
主上へ入内させるのはあきらめ、
東宮に奉ることにきめられた

この姫は十九ばかりで、
美しい方と評判である

いずれは后がねと思って、
大切に養育してこられた姫、
主上がだめなら東宮をおいては、
さしあげる方はない

東宮には麗景殿の女御が、
いられるが、この方は、
兼家公の庶腹の姫で、
もう兼家公も世におられぬ、
ことではあり遠慮すべき、
筋合いはない

それで急いで準備をさせて、
入内させられた

準備の品は、
由緒あるものが伝来されていた

大将の妹姫が、
その昔、村上帝の女御として、
上られたときの調度がそのまま、
あるのだった

その叔母君のお住まいのまま、
同じ御所の宣耀殿に住まれ、
ときめいていられるという

すべてにものものしく、
格式があって、
気の張る雰囲気であるらしい

「それが普通の、
上つ方の習いでいらっしゃるのよね
でも関白さまのところは、
全く別だわ
自由で生き生きしていらして」

弁のおもとはいうのだった

「定子中宮のご入内も、
派手やかに贅をつくされた、
ものだったわ
でも定子姫が、
内裏にお持ちになったものは、
宝物や金目のものでは、
なかったの
明るくて楽しい生き生きした気分、
気軽で親しみ深く、
それでいてこまやかに、
やさしい心づかい、
そういう空気を、
お持ち込みになったの」

「そうね、そういものは、
珍しい宝だわ」

と私はいった

私はもう二十七であった

女の世界では、
さだすぎた中年に、
なろうとしている

ついに人生のまぶしい、
いちばん光輝いているもの、
その瞬間を味あわずに、
終わるのではなかろうか

「あなた、
その気になれば、
上にお話するわ
上(貴子夫人)も、
あなたの本をお読みになって、
愛好者でいらっしゃるのよ
定子姫もおよろこびになるわ」

吉祥が絵巻物を、
静かにながめている

弁のおもとは声を低めた

「ねえ・・・
あなたほんとうに、
家庭婦人で納まってしまう、
おつもり?
お邸には毎日、
宮仕えしたいという女の人が、
紹介状を持ったり、
人に連れられたりして、
やって来るわ
ご主人のいる人も、
たくさんお仕えしているのよ
則光さんに理解して頂いて、
あなたもそうなさい・・・」

「こんな、
私みたいな年でも、
いいのかしら
みな若くて美しい方ばかり、
でしょう?」

「何をいってるの
あなたはまだ、
ご自分の美しさを知らないのね
才能が女を美しくする、
ってことが」

弁のおもとの父なる人は、
二、三年前に亡くなり、
邸はさびれていたが、
それだけに心おきない、
ところになっていた

ちょうど私が父からもらった邸が、
今は人の住まぬまま、
荒れてしまっている

帰りの車の中で、
吉祥は私に寄りかかっていた

「疲れたの?」

私は年にしては、
発育の悪い小柄な吉祥を、
抱いてやる

「お母さま、
お勤めに出るの?」

「どうして」

「さっきのおばさまは、
すすめていたでは、
ありませんか」

「吉祥は、
お母さまが出ていくと、
淋しい?
浅茅もいるし、
ばあやもいるから、
いいでしょう?」

「お父さまは?
いいとおっしゃったの」

吉祥は何気なく言ったが、
私はふいにかっとした

吉祥まで、
則光の意志を、
この上ないものに考えている

則光がなんだ

「お母さまはね、
自分がこうしたいと思えば、
お父さまがどういおうと、
したいようにするの」

私は意地悪くいった

「お母さまを決めるものは、
お母さまの心なのよ
だれも、
お母さまを止められはしない」






          


(了)

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