むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

2、ああせいこうせい ①

2022年06月18日 08時21分48秒 | 田辺聖子・エッセー集









・このあいだ、私は母と電話で言い合いをした。

母は七十六で、いまだにマンションでひとり住み、
いろんな習い事をし、交際好きで旅行好き、
(ヨーロッパは三べん、アメリカ、ハワイにも出かける)
目も見え、耳も聞こえ、足も達者、口も達者、という、
かくしゃくたる意気さかんな老マダムである。

そうしていまだに私に、
「ああせいこうせい」と命令を下す。

私の仕事のことにまで口を入れる。

私は昔はともかく、
こちらも中年過ぎているのだから、
とりあわない。

私が「女の長風呂」というエッセーを書いたのは、
もう十年も前であったが、
その時もお袋は人から、
こういうことが書いてありました、
と聞いたとみえ、さっそく、

「恰好わるい、もう町を歩けない、
ヘンなものを書かないでほしい」

と電話で怒鳴りこんできた。

出版社は私の本の広告に、
「エロチック・エッセー」なんて書いていたから。

なに、そういう仰々しいものとちがう。
私のはそんなお色気なんか、
ありはしない。

ほんのちょっとやわらかめ、
というだけである。

しかしお袋にそんなことをいっても通じない。

新聞に私の笑ってる写真が載った。

「口の開け方がわるい」と怒ってきた。

「もっとましな写真あれへんのかいな」

私はタレントではないのだから、
写真なんかどう写されようといい、
と言い返す。

(本当はきれいにとられた写真の方がいいのであるが、
その本音をいうのはいさぎよしとしない。
見栄ががある)

また新聞の写真は、
ことにぞんざいにとられた写真が載るような気がする。

自分で見ても女詐欺師みたいに写っている、
と内心クヨクヨしているのであるが、
お袋にいわれると腹が立つわけである。

お袋は私が、
「文車日記」など書くと、ご機嫌がいい。

「ああいう本なら品もよくて、
ひと様にもおつかいものに出来る」

お中元の石鹸なみにいう。

私がお袋の権威に服していたのは、
せいぜい結婚までであった。

それでも結婚が遅かったから、
かなり長いことお袋といた勘定になる。

結婚相手に係累が多い、というので、
お袋は結婚に大反対であった。

私はまだ芥川賞をもらったばかりで、
仕事が忙しくなり、
どうでも結婚したいというのではなかったが、
お袋に反対されると、してもよい、
という気になった。

そのころ美空ひばりが小林旭と結婚して、
たしか二年くらいで離婚したが、
小林旭がくやし泣きに泣いているニュース写真があり、
事情はわからぬながら、
美空ひばりはどうやら夫より母親をとったようである。

人それぞれとはいうものの、
私ならお袋より夫をとるなあ、
と思ったりした。

そう思うのは、
それだけお袋と私のつながりが強固だったので、
その反動かもしれない。

弟も妹も結婚して家を出ていたから、
私はお袋と二人暮らし、
物を書く女にとって、
これほど最適の環境はないわけである。

男性作家が、
奥さんに家事を任せて仕事に専念されるように、
独身の女の物書きはお袋に家の雑用を任せて、
奥さんがわりに使うのが一番便利なのだ。

しかし私は、
そういう生活より夫をとった。

夫との生活の方が「展望」がきくし、
面白そうだったからで、
その辺からお袋コンプレックスを脱しはじめた。

なんでそう密着したかというと、
私の家は昭和二十年以来母子家庭で、
終戦の年の十二月に父が死んで以来、
あの敗戦後の混乱時代を、
四十になるやならずのお袋が三人の子供を、
育ててくれたのだ。

六月の空襲で家は焼けて身一つであった。
焼け跡で戦災者母子が生きのびるだけでも、
たいへんな時代だったのだ。






          


(次回へ)

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