グレゴリーペックのある日あの時

還暦を過ぎた極真空手家の人生のつぶやき

梅原龍三郎

2014年12月22日 | 日記
斎藤明美著「高峰秀子との仕事」より

高峰秀子
「初めて私が梅原先生のモデルになったのは、『カルメン故郷に帰る』(木下恵介監督による日本初のオールカラー作品)という映画の撮影をしていた昭和25年の夏。ちょうど梅原先生も夏の浅間山をお描きになるために軽井沢の別荘にいらしたんです。
ところがお天気が悪くて浅間山が姿を現さず、先生は絵を描くことができないし、私もロケが中断。
そんな時、先生から宿にお電話があって『秀子さん、今日撮影がないなら、ちょっと座ってくれますかね?』と。
『座って』というのはモデルになってくれという意味なのね。
以来いつも先生は『座ってくれますかね?』という言い方だった。
先生が亡くなられるまで40年近く、近しくさせて頂きましたが、先生の人としての大きさ、正直さにどれほど影響を受けたかしれません。私の人生の師です」

梅原のほうも、36歳下の高峰さんに「君は男でも女でもない、僕にとって無二の親友だ」というほど厚い信頼を置いていた。

画壇の巨星と大女優の麗しい関係
〈箱には白い紙が巻かれて、先生の自筆なのだろう、赤の水彩で水引が描かれ、梅原龍三郎と署名があった(略)
梅原先生のお手紙がそえられていた。

「この絵をあなたに進呈したいと思います。ただし、この絵をお受け取りになることに、あんたがいささかでも負担をお感じになるならば、あえて進呈はいたしません」

簡潔だが、人の心を思いやる優しさの溢れたお手紙で、私は感激した〉

これは、高峰さんが師への敬愛を込めて綴った『私の梅原龍三郎』の一説だが、礼節を弁え、それでいて互いに限りない親愛を抱き合う画壇の巨星と大女優との麗しい関係が窺える。


大好きなソファーの上でくつろぐラッシー

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