今日は東京。
お昼に新宿中村屋でインドカリー。
自宅で、ここのカリーの味をどんなに真似て作っても、当たり前だか、やはり、本物には到底かなわない。
本物は、まろやかで、奥深い味だ。
「みなさん、新宿に行ったらぜひ中村屋のカリーを食べてください」
と、
若い時に、
ある著名彫刻家の講演で新宿中村屋の歴史の味のことを聴いたことがあり、
その講演がきっかけでこの店を知り、
新宿中村屋の創業者の娘とインドの独立運動家との恋愛が始まりのカリーを食べるようになった。
そう、
いわゆる「恋と革命の味」だから、
あたりまえだが、
ふつうの家庭では、作れるわけもない。
ここのインドカリーは、甘く切ないスパイスの味なのだ。
寺山修司も、ある雑誌で、自殺願望の読者からの投書に対して、「中村屋のカリーを食べたことがあるか?なければ、食べてから再考しろ」と言ったらしいが、なんか、頷いてしまう。
ところで、今日は、新宿尽くしだ。
自宅に戻った後、新海誠監督の「
言の葉の庭」を観た。
タイムリーにも、新宿が舞台、特に新宿御苑が主な舞台だ。
普段何気に見過ごしているような、日常の何気ないひとコマが、新海監督のアニメーションにより、焦点が当てられ、ひとコマひとコマがため息出るほど美しい。
見慣れた場面も、アニメーションによりスポットが当てられると、急に鮮やかなものとなり、そして、新鮮な輝きをみせるから不思議だ。
雨の降る、木々の緑に溢れた新宿御苑を歩いてみたいと思った。
恋に移っていく前の淡い想いをアニメーションこその美学を用いて描いていた。
このアニメーションで描かれてるようなピュアな部分、そう、若い頃思い悩んだ切ない想いを、決して忘れたくないと思った。
短歌も効果的だ。
雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ
雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて 降らずとも われは留らむ 妹し留めば
今日、
中央線に乗っている時に、
「当電車は、新宿駅の線路内に、人が入ったため、しばし停車します。」と、
アナウンスが流れた。
溢れかえる人混み。
そりゃ、これだけたくさんの人がいれば変なことを考えるひともいるだろう。
こんな暑い日には、
まして都会の、むっと、うだるような熱風の中では、おかしくなる人も出るだろう。
まともでいることが、当たり前だって考えているが、
よくよく
このアニメーションのセリフであったように、
「どうせ人間なんて、みんな、どっかちょっとずつおかしいんだから。」
と、思えば、
ひとの奇異な行動も少しは理解できるかも。
自分は、やはりちょっとおかしいと、自分で気づいたら、
次のどれかをしたらいい。
自然と向き合ってみるか、
誰かに恋してみるか、
いや、新宿中村屋のカリーを食べてみるか。