養鶏の現場ですが、現在行われている一般の養鶏法はとても恐ろしくて見ていられません。これは完全に虐待なのです。一般の人には、衛生のためと言って中に入れません。例え入れても人間に消毒を吹き付けて、しかも一部しか見せません。消費者の大多数は飼育の実情を知らないので安心して、一般の卵は安いからと言いながら食べていますが、食べた人が健康である事事態が、異常だと言っても過言ではないのです。しかし、この様な問題は卵だけではありませんので、何を信じて良いか分らないのが現状です。なんだかやっている事が原発と瓜二つ。人民がこの調子では、(すぐごまかされて、熱しやすく醒めやすい)多分原発もなくなりませんね。だから私がいっも言っていますが、重要な事は我々の生活態度を今すぐ、確実に変えることです。これならだれにも迷惑がかかりませんし。今すぐ出来ます。これが本当の民主主義なのです。政府に、政治家に頼まなくてもいいのです。私どもでは、養鶏小屋をいっでもご覧いただけます。何も囲いがありませんので道路からでも誰でもいつでもご覧いただけます。お気軽においでください。
そもそもケージ養鶏の鶏があのように一日じゅう、騒音公害になるほど鳴きわめいているのは(元気がある故では決してなく)実に欲求不満の悲痛な訴えにほかならないのである。彼女たちは、新しい空気が欲しい、大地へおりたい、日光が見たい、繊維が足りない、緑餌が食べたいーと絶叫し続けているのである。しかし、私の平飼の鶏は(決して100%満足しているわけではあるまいが)、一日じゅうきわめて静かでおとなしいのである。時々卵を産んだ鶏の一部が、産卵宣言の鳴き声をあげるぐらいのもので、多くは黙々として大地をつつき、砂浴びをし、、日光浴を楽しんでいるのである。
ケージの鶏が夏、息も絶え絶えの荒い呼吸をしたり、流れるような軟便をしたり、糞の臭いがはなはだしかったりするのは、体液が酸性に傾いている証拠である。濃厚飼料は酸性飼料であるから、そういう飼料ばかりを与え続けているとやがて酸毒症に陥り、慢性病の誘因となるのである。体液が酸性に傾くと、それを中和する為自然の摂理ー天与のサーモスタットが働いて、先ず鶏の呼吸が荒くなる。ついでさかんに水を飲み、さかんに排泄をするようになる(夏はことにカルシュームが不足し酸性化が進むので、これらの現象がいちじるしい)。いずれも天の配剤による酸毒化防止の自然現象である。だから軟便は、酸性体質に起因する必然的現象と受け取らねばならない。然るに人間どもは、軟便の原因は単に暑さのため水を飲みすぎるからだと早合点し、制限給水などと言う難しい技術を用いるのであるが、これは鶏の焼け付くような水の渇望(酸毒化防止の整理的欲求)を断ち切る、残酷養鶏法に他ならない。軟便がいやであったら、水を制限するよりも、先ず鶏に草を与えるべきである。草はアルカリ飼料であるから、これを多給すれば鶏の体液は弱アルカリ化され、軟便はぴたり止む。緑餌多給の平飼いの鶏は、夏場、気温が三〇度以上になっても、あまり荒い呼吸を示さないし、軟便をする事も全くないのである。
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ケージの鶏が夏、息も絶え絶えの荒い呼吸をしたり、流れるような軟便をしたり、糞の臭いがはなはだしかったりするのは、体液が酸性に傾いている証拠である。濃厚飼料は酸性飼料であるから、そういう飼料ばかりを与え続けているとやがて酸毒症に陥り、慢性病の誘因となるのである。体液が酸性に傾くと、それを中和する為自然の摂理ー天与のサーモスタットが働いて、先ず鶏の呼吸が荒くなる。ついでさかんに水を飲み、さかんに排泄をするようになる(夏はことにカルシュームが不足し酸性化が進むので、これらの現象がいちじるしい)。いずれも天の配剤による酸毒化防止の自然現象である。だから軟便は、酸性体質に起因する必然的現象と受け取らねばならない。然るに人間どもは、軟便の原因は単に暑さのため水を飲みすぎるからだと早合点し、制限給水などと言う難しい技術を用いるのであるが、これは鶏の焼け付くような水の渇望(酸毒化防止の整理的欲求)を断ち切る、残酷養鶏法に他ならない。軟便がいやであったら、水を制限するよりも、先ず鶏に草を与えるべきである。草はアルカリ飼料であるから、これを多給すれば鶏の体液は弱アルカリ化され、軟便はぴたり止む。緑餌多給の平飼いの鶏は、夏場、気温が三〇度以上になっても、あまり荒い呼吸を示さないし、軟便をする事も全くないのである。
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「緑餌不可欠」の法則は不滅 「自然卵養鶏法より」
法則は永遠に不滅である。五十年前の養鶏に緑餌は不可欠であった。1日一羽十匁(約四十グラム)というのがその頃の養鶏の鉄則であった。養鶏家はその給与量を確保するのに懸命であり、緑餌給与量にけん制されて飼育規模が左右されるほどであった。緑餌不可欠ー五十年前のこの法則は、今でも不滅でなければならない。鶏の生理は五十年前も今も変わりがなく、五十年前、鶏が緑餌を必須としたならば、今も依然として必須でなければならないのである。故に私は営々として五十年、鶏糞で草を育て、その草を刈って鶏に与え続けてきたのである。鶏もまた連綿として、(同じ生理的欲求から)緑餌をむさぶり食い続けてきたのである。緑草を細切りしてエサに混ぜ与えると、一番先に食い尽くすのは緑草である。草を刈ってそのまま土間へ放り込むと、鶏たちは目の色変えて殺到し、たちまち食い尽くしてしまうのである。ところが近代養鶏では、この緑餌を全廃してしまったのである。彼らは言う。「鶏は緑餌なしでも卵を産み続けるのである」と。なるほどケージ養鶏の鶏が緑餌なしでも生きている事は確かであるし(薬漬けは別として)そして卵を産み続けているということも確かであるが、(鶏は少々の障害を乗り越え、身を削ってでも排卵作用を行うように義務付けられているのだが)、しかしそうだからといって、緑餌は不要であるという答えにはならないのである。

大地は呼吸しているその2
巣鶏に抱卵させるとき、底のある巣箱では孵化率は低いのであるが、底を取り払って大地の上に枠だけ置くと孵化率は高くなる。それは孵化の為に適当な湿気が大地から立ち昇ってくるからである。大地の上へビニールかガラスを置くと、たちまちその下側が水滴で曇ってくるのは、その間の事情が物語っている。大地は地表の雨水や湿気を吸収する能力を持つと同時に、地中の水分を地表へ放出する能力を併せ持っているのである。この絶妙のコントロール、大自然の摂理の完全さには人工のエアコンなどは遠くに及びも付かないのであった。大地から隔絶して鶏を飼い、鶏糞との苦闘に明け暮れる近代的人工コントロール養鶏、これを「あほの鶏飼い」といっては過言であろうか(昔から下手な管理で、糞だけが儲けの養鶏を行う者を冷笑して「アホの鶏飼い」といった)。
巣鶏に抱卵させるとき、底のある巣箱では孵化率は低いのであるが、底を取り払って大地の上に枠だけ置くと孵化率は高くなる。それは孵化の為に適当な湿気が大地から立ち昇ってくるからである。大地の上へビニールかガラスを置くと、たちまちその下側が水滴で曇ってくるのは、その間の事情が物語っている。大地は地表の雨水や湿気を吸収する能力を持つと同時に、地中の水分を地表へ放出する能力を併せ持っているのである。この絶妙のコントロール、大自然の摂理の完全さには人工のエアコンなどは遠くに及びも付かないのであった。大地から隔絶して鶏を飼い、鶏糞との苦闘に明け暮れる近代的人工コントロール養鶏、これを「あほの鶏飼い」といっては過言であろうか(昔から下手な管理で、糞だけが儲けの養鶏を行う者を冷笑して「アホの鶏飼い」といった)。

さて鶏は空を飛ばず大地と密着して生息する動物であるから、大地とは切っても切れぬ深いつながりがあるのである。鶏は大地をつついて食い、そこで砂浴びをし、そして大地の底から立ち昇る自然の息吹きを肌に吸収して、その健康を維持するのである。単に薬剤のミネラルを代替補給しさえすれば大地は不必要であるという考えは誤りであった。大地は生きて呼吸している。自然の霊気はその呼吸とともに地中不深くから地表へと立ち昇る。地中は恒度一三度、大地の呼吸と共に、地表との通気が行われ、鶏はそれによって夏は身体を冷やし、冬は身体を温める。その大地の息の根をコンクリートで止めてしまえば、鶏はいきおい不健康にならざるを得ないであろう。

なるほど寒さの為えさ効率が悪くなったり、産卵が低下する事もあり得るかもしれない。しかし二グラムや三グラムの耐寒用のえさ、一%や二%の産卵低下は、防寒設備費や代替補給費や、消毒剤、予防剤、治療薬などの費用に比べたら物の数ではないと思うのだがー。私の地方では、かって十二月末から一月末までの一ヶ月間、毎朝の最低気温が連続してマイナス六~九度を記録したのであるが、それでも四面オール開放で平常の産卵を落とさなかったのである。鶏は吹雪の中で雪をつついて食い、水桶の氷を割ってやればその水を飲み、ノコクズや豆腐粕や雑草サイレージの混じった粗飼料を食い、呼吸器病などとは無縁にせっせと卵を産みとおしたのであった。暑さや寒さや吹雪や嵐は、鶏にとって抵抗力をつけるための天与の刺激に他ならない。これをストレスと考えて、鶏を過保護の環境に閉じ込めておけば、勢い鶏は弱体化せざるを得ないのである。

ケージでもコンクリートの上に糞を落とすより、大地の上へ落としたほうが糞の乾きがよい。大地は糞の湿りを吸収する作用を行うが、コンクリートはその作用を断ち切る役目しか持っていないのである。ちなみに大地の上に降る雨は、適度に土中に吸収されてそれは井戸水や谷水の源泉となり、日照りの時も序々に放出できるというように調節保管されるのであるが、コンクリートの上に降る雨は、一滴たリとも吸収されず一度に流亡してしまい、日照の時にはたちまち欠乏を告げるのである。セメントは建設の為の材料であるけれども、大自然の側から見ればそれは自然破壊の為の材料に他ならない。毎日毎日フル生産されるおびただしい量のセメントは、たとえひとすくいといえども大地との隔絶に役立つ以外には用途がないのである。それが建設に使用されようと、石垣や波止場に使用されようと、ヒューズ管やU字溝に作られようと、究極は大地と地上との遮断に役立つこととなる。かしてセメントが一袋生産されれば、確実にそれだけ大地が消されていくのである。

その意図するところは、寒さの為エサの効率が悪くなって産卵が低下するのを防ぐ為であったり、徹底した人工コントロールを行うため外気の影響(寒暑や自然光線)を排除するためであったり、直射日光や吹雪や嵐から鶏を守る為であったり(彼らは外気をストレスの要因と考えている)ウイルスなどの病原菌が風に乗って鶏舎へ侵入するのを防ぐためであったり、鶏が騒音公害や糞臭公害を出すのを外へもらさない為であったり、ということでなのである。だがあにはからんや、外気との遮断による空気の停滞、汚染は、そういうことの追及によって得られるメリットをはるかに越えて鶏から抵抗力を奪い、これを弱体化させ、薬漬け畜産の重大な原因を作っているのである。
大地と接触した糞は、雨水さえ入らなければ、そして収容密度が坪(3.3平方メートル)10羽ぐらいならば、必ずその糞は(勿論止まり木下の寝糞も)乾いて粉状となる。この糞は何年でもそのままにして、田畑へ使用するとき欲するだけ取ればよいのである。コンクリート上の糞のように、乾かし場とか、乾燥機だとか、粉砕機だとかいう代物は一切不要で、しかも人工で強制乾燥したものより、この自然乾燥の糞は(微生物が沢山いるので)作物によく効くのである。
鶏舎の床をコンクリートで固める人にその訳を聞くと、それは掃除に便利で、消毒を行うのに都合が良いから、と答えるのである。しからば、地球ができて大地が固まってからこの方、何十億年にわたって、大地が地上の汚物を浄化(即ち掃除と消毒)する事をやめたことが一度でも有るであろうか。大地は地上の全ての有機物(動物の排泄物や植物の落ち葉など)を、土壌中の微生物の助けを借りてこれを腐植土に化す作用を、十億年以上もの間休みなく続けてきたのである。