あなたがたの場所を備えに行くのです。

2017年04月29日 | 神さまの言葉

今日のみことば
   <あなたがたの場所を備えに行くのです>

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、
  またわたしを信じなさい。」
 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。
もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。
 あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」
トマスはイエスに言った。
 「主よ。どこへいらっしゃるのか、私にはわかりません。
どうして、その道が私たちにわかりましょう。」
 イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
 わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
     ヨハネ14:1-6

 まさしく、聖書に書いてあるとおりである。
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、
  そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。
 神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
     Ⅰコリント書2:9

もし主の愛を

2017年04月23日 | 神さまの言葉
<もし主の愛を>

光求めても見いだせない時
もし主の愛を知らなかったなら
待ち望むことは出来ませんでした
ああ愛の主は
  ハレルヤ ハレルヤ

こころみるものがおそいかかる時
もし主の愛を知らなかったなら
うち負かすことは出来ませんでした
ああ愛の主は
  ハレルヤ ハレルヤ

いつくしむものを失った時
もし主の愛を知らなかったなら
かたく立つことは出来ませんでした
ああ愛の主は
  ハレルヤ ハレルヤ
   (詩・水野 源三)

イースターおめでとうございます。

2017年04月16日 | 神さまの言葉
<イースターおめでとうございます>

「しかし、今やキリストは、
  眠った者の初穂として
 死者の中からよみがえられました。」
    Ⅰコリント15:20

「さて、週の初めの日によみがえったイエスは、
  まずマグダラのマリヤにご自身を現わされた。」 
        マルコ16:9

キリストは死を征服された

2017年04月16日 | 神さまの言葉

<キリストは死を征服された>

「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。
 わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。
 また、死とハデスとのかぎを持っている。」
    黙示録1:17-18

「父は、わたしが自分のいのちを捨てるから、
 わたしを愛してくださるのである。
 いのちを捨てるのは、それを再び得るためである。
 誰かが、わたしからそれを取り去るのではない。
 わたしが、自分からそれを捨てるのである。
 わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。
 これはわたしの父から授かった定めである。
    ヨハネ10:17-18

主はあなたを見守る方

2017年04月13日 | 神さまの言葉

今日のみことば
   <主はあなたを見守る方>

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこからくるのだろうか。
私の助けは、大地を造られた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
主は、あなたを守る方。
主は、あなたの右の手をおおう影。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、
夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、
あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、
今よりとこしえまでも守られる。
    詩篇121篇

祈り

2017年04月12日 | 神さまの言葉
<祈り>

 知恵と真理ときよさのすべての宝を内に保たれる神よ。
どうか、あなたとの絶えざる交わりをとおして、
キリスト者らしい真の得が私のたましいに増し加えられる
ことができますように。

 感謝の心と、不平を知らない心とを
 あなたの良しとされる時を忍耐強く待ち、
 あなたの召しに直ちに答える用意を
 
 苦難や、危険に対しては勇気を
 イエス・キリストの兵卒として辛苦にたえる力を
 正義の味方となる大胆さを
 試みに陥らぬような備えを
 肉体を従わせる修練を
 きびしい真実
 
 他人にしてもらいたいことを、人に対してすることを
 早まった判断で人をさばくことがないように、寛容の心を
 語ることを急がぬように。沈黙の美徳を
 私に悪をなした人々を赦す心を
 自分より弱い者に対するやさしさを
 
  そして、今こうして祈り求めることを
 常に変わらずに求める、かたい決意を
 いよいよ増し加えてください。
    J・ベイリー   (アーメン) 

聖書の中心はイエス・キリスト

2017年04月10日 | 神さまの言葉
今日のみことば
   <聖書の中心はイエス・キリスト>
 
 もしわたしだけが自分のことを証言するのなら、
わたしの証言は真実ではありません。
 わたしについて証言する方がほかにあるのです。その方のわたしについて証言される証言が真実であることは、わたしが知っています。
 あなたがたは、ヨハネの所に人をやりましたが、彼は真理について証言しました。といっても、わたしは人の証言を受けるのではありません。
 わたしは、あなたがたが救われるために、そのことを言うのです。
彼は燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしばらくの間、その光の中で楽しむことを願ったのです。 
 しかし、わたしにはヨハネの証言よりも優れた証言があります。
父がわたしに成し遂げさせようとしてお与えになったわざ、
すなわちわたしが行っているわざそのものが、わたしについて、
父がわたしを遣わしたことを証言しているのです。
 また、わたしを遣わした父ご自身がわたしについて証言しておられます。
あなたがたは、まだ一度もその御声を聞いたこともなく、御姿を見たこともありません。また、そのみことばをあなたがたのうちにとどめてもいません。
 父が遣わした者をあなたがたが信じないからです。
あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。
  その聖書が、わたしについて証言しているのです。
     ヨハネ5:31-39
 

”服従”:神の創り出すもの

2017年04月08日 | 神さまの言葉


小川 政弘
2016年4月7日 ·
..

◆チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”◆
Charles Spurgeon - The Prince of Preachers
―服従: 信仰が創り出すもの―

“信仰”は速やかな“服従”を創り出す。

【解説】 神様は、“無”から“有”を創造するお方です。(創世記 1:2) 「地は茫漠として何もなかった。」状態から、神様はこの世界の全てを、有形の物も、無形のものも、み言葉によって創られました。この”服従”もその一つです。天地も、全ての被造物も、そして最後に人間も、生きとし生けるものは、全て創造主のみ言葉「○○あれ」に“服従”することによって生み出されました。しかし人間は、与えられた自由意志を悪用して、初めて父なる神様の戒めに服従せずに、善悪の木の実を食べて、初めての罪を犯しました(創世記3:1-7)。その瞬間に、この“服従”という最も美しい徳も消えたのです。しかし神様もまた、その人間の堕罪の瞬間から、“信仰”による救いの道を備えてくださいました(同3:15 原福音)。こうして、罪のゆえに失われた”服従”は、”信仰”によって、再び信じる者の心のうちに創り出されるようになったのです。ですから、しかと覚えていましょう。神に逆らって罪を犯した人間の内に、まことの服従心はもはやありません。この世界の争い、混沌、無秩序は、全てここから生まれています。”服従”は、肉なる自分の内にはひとかけらもないもの、神様を信じた瞬間に、神様ご自身が再び創造してくださるたまものなのだということを―。この罪の世に、神様に服従することには、多くの困難と、戦いと、犠牲が伴います。でも、そのために支払われたみ子の十字架の犠牲に比べたら、何ほどのものでしょうか。私たちが神様への服従を貫くときに、神の被造物である私たちの住むこの世界の様々な秩序が、あなたの周り(家庭、地域社会、職場、教会)から回復していきます。私たちは、“服従”の生み出す大いなる祝福を、享受できるようになるのです。
(解説・聖句引用・訳 小川政弘)

何を大切にするか  羽鳥 明師

2017年04月08日 | 神さまの言葉
今日のみことば
      <何を大切にするか」>
   訓戒を大事にする者はいのちへの道にあり、
   叱責を捨てる者は迷い出る。
     (箴言10:17)
 叱ってもらえることを大切にしたいものです。
ある小企業の社長さんがこのように嘆いていました。
「この頃の若い者は叱れない。叱ると、反発するわすねるわで、
飛び出してしまう。自分が若い時は、叱られてしこまれてきた。
その時は確かにいやだけれど、今になってみると、
それがみんな身になっている。」
 もちろん、この社長さんが昔流そのままに現在行っても、
うまくいかないかもしれません。
しかし、どんなに時代が変わっても、目上の人に叱ったり注意して
もらえるのは素晴らしいことで、大切にすべきです。
 中学生に父親に望むことという作文を書かせたら、
「お父さん、ぼくを叱ってください。」と書いた子がいました。
 人間、自分で自分の顔が見えません。
同じように、自分のありのままの真実の姿は、自分では分からないのです。
 それを知るのには、他人の目、つまり他人のこごとや注意に照らして
みるのが一番です。人の言ってくださることを聞かずに、
反発したり聞き流していると、必ず、わがままになり、独善に落ち入り、
赤ちゃんのままの醜いエゴを増大して成長してしまいます。
人間として失格です。
 まさに「叱責を捨てる者は迷いでる」のです。
人のこごとには的はずれがあったり、不正確かもしれません。
とげがあったりもします。つまり、意地悪で愛がないことも多いのです。
 しかし、神のことばはいつも正確です。
一方的一面的ではなく、永遠の高い観点からのことばです。
 しかも、その中にはあなたを包み、あなたをとかし、あなたを変えていく
愛があるのです。
 その神の訓戒は、聖書の中に書いてあります。
神のことばを聞いていのちを得、生き生きと真実に生きてほしいのです。
神の目をもって自分を見ることができる人、そんな人になりたいものです。
   箴言の恵み 羽鳥 明

イエスさまの復活

2017年04月05日 | 神さまの言葉

イエスさまの復活
  <死は勝利にのまれた!>

 信者のみなさん。
よく言っておくが、肉体を持ったまま神の国に入ることはできない。
 朽ち行く肉体が朽ちない神の国に入ることなどできないのである。
私はあなたがたに神の隠された真理を教えてあげようと思う。
 私たちクリスチャンは、死んでそれでおしまいではない。
やがて栄光の体に変えられる。
 キリストが再び来られ、世の終わりのラッパが鳴ると、
たちまちにして、すでに死んだクリスチャンたちが復活し、
生き残っているクリスチャンたちは、栄光の体に変えられる。
 朽ちゆく肉体は、朽ちることのない新しい体に変えられる。
この時「死は完全に敗北させられた」という
旧約聖書のイザヤの預言が成就する。
 「死よ。お前の勝利はどこにあるのか。
死よ。お前の力はどこへ行ったのか。」というホセアの預言も実現する。
 死を来たらせるものは罪であり、罪は律法によって明らかにされる。
しかし私たちの主イエスキリストによって、
 私たちに勝利を与えてくださった神に、どんなに感謝したらよいだろうか。
    Ⅰコリント15:50-57
           (現代訳聖書)

とこしえの神

2017年04月01日 | 神さまの言葉

今日のみことば
  <とこしえの神>

主は、王として治められ、ご威光をまとっておられます。
また、力を持っておられます。

世界はこのお方によって造られ、揺らぐことはありません。
あなたの御座は昔から堅く立ち、
あなたは、とこしえからおられます。

主よ。海は声を上げ、鳴りとどろいて、賛美しています。
大波のとどろきに勝って、天の主は、力強いお方です。

あなたのみことばは確かです。
主よ。聖さは、とこしえに、あなたの家を飾ります。
   詩篇93篇
      (現代訳聖書)