主はわたしの羊飼い

2017年01月28日 | 神さまの言葉
<主は、私の羊飼い>

主は私の羊飼い。私には足りないものはありません。
主は、私を青々と草の生い茂った牧場に連れて行き、また、水辺に伴って、いこわせてくださいます。
主は、私の魂にいのちを与え、主の御心にかなった道に導いてくださいます。
たとい死の危険のある所を歩いても、私は少しも恐れません。
あなたがいつも一緒にいてくださるからです。
あなたは私を守り、導いてくださいます。

あなたは敵の面前で、私のためにごちそうを用意し、
主の戦士として、頭に油を注いでくださいます。私の胸はもう一杯です。
生きている限り、主の恵みといつくしみは、私の上にあり続けます。
私はいつでも、主のおそばで暮らします。

   詩篇23篇

              
                           

善悪を知る木

2017年01月28日 | 神さまの言葉

善悪を知る木(人間の堕落)   
  さて、主なる神が造られた動物の中で、蛇が最も賢かった。

蛇に身をやつした悪魔は、女の所に来てこう言った。

「神様はあなたがたに、園にある木からは、どれも食べてはいけないと、ほんとうに言われたのですか。」

女は蛇に答えた。「いいえ、園にある木は食べてもかまいません。
ただ園の真中にある善悪を知る木の実については、

『それを食べてはいけない。それにさわってもいけない。その禁を犯せば、あるいは死ぬかもしれない』と、神様は仰せられました。」

 すると蛇に身をやつした悪魔は言った。

「死ぬなんてことはありませんよ。それを食べたら、今まで見えなかったものが見えるようになりますし、

あなたがたが神様のようになって、善悪を知ることができるようになることを、神様はご存知ですよ。」

 そこで女が見ると、その木は実に魅力的で美しかった。

そのため、女はその実を自分で取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べてしまった。

確かに彼らは今まで見えなかったものが見えるようになった。しかし、それは自分たちが裸であることがわかっただけであった。

 そこで、彼らは、恥ずかしさのあまり、いちじくの葉をつなぎ合わせて、腰の周りを覆い隠した。

       創世記3章                                                 

「神を恐れなさい」

2017年01月26日 | 神さまの言葉
 <今日のみことば>
    「神を恐れなさい}
  
 神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、
 どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
 
  神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。
罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、
 いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、
 私たちのためにとりなしていてくださるのです。
 
  私たちをキリストの愛から、引き離すのはだれですか。
 患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
 旧約聖書の詩篇にはこう書かれている。
「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」
 と書いてあるとおりです。
 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、
 圧倒的な勝利者となるのです。
 
  私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、
 私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。         (ローマ8:31-39)
 
「体を殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。
 そんなものより、たましいも、体も、ともにゲヘナで滅ぼすことの出来る方を恐れなさい。」 
       (マタイ10:28)

イエスさまの言葉

2017年01月25日 | 神さまの言葉

今日のみことば
 
  ”イエス・キリストは言われました” 

「地上に宝をたくわえてはならない。
  天に宝をたくわえなさい」
「まず神の国と神の義とを求めなさい」
「人に良くしてやり、また何も当てにしないで貸してやりなさい」
「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい」
「恐れることはない。ただ信じなさい」
「心を入れかえて幼子のようにならなければ
 天国に入ることはできないであろう」
「求めよ、そうすれば与えられるであろう。
 捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
 門をたたけ、そうすれば、開けてもらえるであろう」

 「天にましますわれらの父よ
 願わくはみ名をあがめさせたまえ
 み国を来たらせたまえ
 み心の天になるごとく地にもなさせたまえ
 われらの日用の糧を今日も与えたまえ
 われらに罪をおかす者をわれらが赦すごとく、
  われらの罪をも赦したまえ
 われらを試みにあわせず悪より救い出したまえ
 国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり」
      J・ベイリー

朝の祈り

2017年01月24日 | 神さまの言葉
「朝の祈り」
  
   神よ、きょう私の生活をとりまくすべてのものを用いて、
  罪の実ではなしに聖い実を結ばせることを教えてください。
 
 失望を、忍耐の契機として用い
 成功を、感謝の契機として用い
 不安を、不屈の契機として用い
 危難を、勇気の契機として用い
 非難を、忍苦の契機として用い
 賞賛を、謙遜の契機として用い 
 娯楽を、節制の契機として用い 
 苦痛を、堅忍の契機として用いることができますように。
      (ジョン・ベイリー) 

<主にあって喜び歌え>

2017年01月23日 | 神さまの言葉

今日のみことば
  <主はご自分の民を喜ばれる>

「ハレルヤ。主にあって新しい歌をうたえ。
聖徒の集まりで主への賛美を。
イスラエルは、おのれの造り主にあって喜べ。
シオンの子らは、おのれの王にあって楽しめ。
踊りをもって、御名を賛美せよ。
タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。
主は、ご自分の民を愛し、
救いをもって貧しい者を飾られる。
聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。
おのれの床の上で、高らかに歌え。」
   詩篇149:1-5

        

古い聖餐式の杯

2017年01月23日 | 神さまの言葉

     「古いものは過ぎ去って、
       見よ、すべてが新しくなりました。」
         (Ⅱコリント書5:17)


 <古い聖餐式の杯>
  「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
   古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」 (Ⅱコリント書5:17)
 
 以前私は古物商の店に行ったことがあります。
そこには色々な種類の使い古しの物がいっぱいありました。
それは貧しい人のための店で、そこで人々はコーヒー茶碗とか使い古した肘掛け椅子を
ただで貰うことが出来ました。
その人たちは生活を保つ計画もなく生き、外部の忙しい生活とは無縁のように思えました。
 
 店の中の一つの棚のそばを歩いていた時、私は古い、曇って汚れた聖餐式の杯が目に止まりました。
私はそれを買って、磨き上げようと決めたのです。
私はポケットにある2-3枚の硬貨でそれを買いました。その値段は市バスの切符より安かったのです。
 その盃を磨き始めると、輝く銀が見えてきました。少し経つと私の前に、
聖餐式で使うことの出来る美しい聖餐式の杯が現れました。それは金銭的な価値があるだけでなく、   イエスが、私の罪のために十字架上で血を流されたことの象徴でもありました。
 
 私は、ひょっとしたら私が納める税金を除いては、今の社会にあまり価値はないのかも知れません。私はぼろのように汚れていましたが、イエスによって清められたのです。
 私がこの世の上流クラスに属していなくても、そして貧しい人のための店を訪れる者であっても、  私は神の目には尊いのです。
 私たちの旅路で身についた汚れは、神に対する私たちの価値を下げるものではないのです。               (アパルーム 2011:1月)