希望の光

2017年10月27日 | 神さまの言葉
「われかつてしかと歩みし所にてよろめき、
うれいの重みによりてくずおれ、
暗黒をとおして神に上りゆく。
大いなる世の祭壇のきざはしに伏し、
萎えたる信仰の手をさしのべて、
虚空をさぐる・・・」
  J・ベイリー(朝の祈り、夜の祈り)

今日のみ言葉(2017,10,21~)

2017年10月21日 | 神さまの言葉
<今日のみことば>
私たちが滅び失せなかったのは、主の恵みによる。
主のあわれみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です。」と
私のたましいは言う。
それゆえ、私は主を待ち望む。
エレミヤ哀歌3:22-24


<今日のみことば>
      「新しい天と、新しい地」
 また私は新しい天と新しい地とを見た。
以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、
夫のために飾られた花嫁のように整えられて、
神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
 
そのとき私は,御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。
「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともにすみ、彼らはその民となる。
また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかり拭い取ってくださる。
もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。
なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
 
すると、御座に着いておられる方が言われた。 
「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」
また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。
また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。
 最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、
値なしに飲ませる。 
勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼は私の子となる。」
         黙示録21章1-7
        

<新しい都>
 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。
それは神と子羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。
 川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。
また、その木の葉は諸国の民をいやした。
 もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊との御座が都の中にあって、
そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。
 また、彼らの額には神の名がついている。
もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、
彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。 
彼らは永遠に王である。
        黙示録 22:1-5


     <黙示録は希望の書である>
  主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン
         黙示録22:21
 黙示録は、キリストがすぐ戻って来るという約束と、
新しいエルサレムの大通りを流れているいのちの水を飲みなさいという申し出と、
この書を読む者に対する警告で終わる。
私たちもヨハネと共に、「アーメン。主イエスよ、来てください」と祈ろう。
イエスのみが、人間の歴史を制御し、罪を赦し、地を再創造して、
持続する平和をもたらすのである。
地上で何が起ころうとも、神が支配していることを示し、
悪が永続しないことを約束する。
 イエスキリストを救い主、及び主であると信じる者たちを待っている
素晴らしい報いを描いている。 
バイブル・ナビ注解 (2017:10/27)


strong>Kouko Egasira
2014年10月29日
今日のみことば
  <訓戒を手放すな>
わが子よ。私のことばをよく聞け。
私の言うことに耳を傾けよ。
それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。
見いだす者には、それは命となり、その全身を健やかにする。
力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。
いのちの泉はこれからわく。

偽りを言う口をあなたから取り除き、
曲がったことを言うくちびるを、あなたから切り離せ。

あなたの目は前方を見つめ、
あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。
あなたの足の道筋に心を配り、
あなたのすべての道を堅くさだめよ。
右にも左にもそれてはならない。
あなたの足を悪から遠ざけよ。
   箴言4:20-27



今日のみことば
 <都上りの歌>

主に信頼する人々はシオンの山のようだ。
ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。
山々が取り囲むように、
主は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。

悪の杖が正しい者の場所の上にとどまることなく、
正しい者が不正なことに、手を伸ばさないためである。

主よ善良な人々や心の直ぐな人々に、
いつくしみを施してください。
しかし、主は、曲がった道にそれる者どもを、
不法を行なう者どもとともに、連れ去られよう。
イスラエルの上に平和があるように
   詩篇125篇


主はいと高き方で、
高い所に住み、シオンを公正と公義で満たされる。
あなたの時代は堅く立つ。
知恵と知識とが、救いの富である。
主を恐れることが、その財宝である。
  イザヤ33:5-6


      <その広さ、長さ、高さ、深さ>
 こういうわけで、私はひざをかがめて、
天井と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。
 どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、
あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
 
こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、
あなたがたのうちに住んでいてくださいますように。
また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを
理解する力を持つようになり、
人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。
こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
 どうか、私たちのうちに働く力によって、
私たちの願うところ、思うところのすべてを超えて豊かに施すことのできる方に。
 教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。 
(エペソ書3:14-21)



 <今日のみことば>
「わたしは、律法や預言者と呼ばれる旧約聖書の教えを
不要なものとするために来たのだと思わないでください。
 むしろ、わたしは旧約聖書を行うために来たのです。
確かに、旧約聖書のすべてはたとい天地が滅んだとしても、
必ず実現します。
それほど確かなものです。
   マタイ5:17-18

アシュラムのスローガン

2017年10月21日 | 神さまの言葉

福江 義史

2015年10月20日 · Kōchi Prefecture高知県 高知市 ·

「アシュラムのスローガン」
アシュラムのスローガンは「朝の15分があなたを変える」です。朝起きてすぐに、5分祈り、5分聖書を読み、5分瞑想する。このわずかな時間の継続がどれほどその人の人生を変えることでしょう。
この15分は全能の神との深い交わりの継続です。人は誰かとの関係において、成長して行くものです。
赤ん坊として産まれた人間は主に母親や父親との関係において、知識、知恵などを蓄え、この世で生きて行く術を覚えます。
昔、世界の各地でオオカミやその他の動物に育てられた野生児の子供が発見されました。多くの場合、長い期間掛かっても、完全には人間性を取り戻せなかったようです。
「三つ子の魂百まで」のことわざ通り、幼児教育は生涯を決定する事が多いようです。
信仰も同じで、どのように神との関係を築いて行くかに、神の祝福にあずかるかどうかが掛かっているのです。確かに見えない神との関係は雲をつかむような話しです。しかし、見えない神をリアルに感じながら人生を歩むことが何よりも幸いなことです。
人間関係も多くの場合、言葉が中心です。ものの言わなくなった夫婦や親子ほどみじめなものは有りません。
神との関係も同じです。祈り、み言葉、瞑想という世界で関係を深め、確かなものにして行くのです。そうすれば、問題が問題になりません。悩みが悩みにならないのです。どんなことも感謝に変わって行きます。
クリスチャンの野生児ほどみじめなものは有りません。神様との親子関係をますます大切にしましょう。私たちは神様の子供ですから。

自分自身のコントロール

2017年10月20日 | 神さまの言葉

日のみことば
   <自分自身のコントロール>

「自分の心を制することのできない人は、
  城壁のない、打ちこわされた町のようだ。」
        箴言 25:28
 
 さてあなたは、自分の心をコントロールできますか。
意志の力が強く、自分でコントロールできているように
見える人もいます。
しかしたいていの場合、より強い欲望が、
他の欲望を抑えているにすぎません。

 なぜ盗まないか。なぜ暴力を振るわないか。
なぜ下品なことば遣いをしないか。なぜ強姦しないか。---
その理由は、人に分かったり、見られたりしたら、
恥ずかしいということです。
メンツがつぶれて、笑われ、侮辱されることを恐れるからです。
 人は恥を知る動物として、このみえを張ったりメンツを立てようと
する欲望が、他のもっと程度の低い動物的即物的欲望を
抑えているのです。
 しかし、これは結局、みにくいエゴの奴隷的圧制です。
そこには、自由も平安も喜びもないでしょう。

 しかし聖書は「神を恐れる」ことを教えます。
自分の全体を生かしコントロールしている神を、
神として尊敬し恐れかしこむ、つまり、神の中に身をゆだねる時、
清らかな新しい意味の自己コントロールができるでしょう。
 さらに聖書は、心の王座に神を迎えるという方面から、
このことを教えます
 キリストが心の王座に座り、自我が喜んで服従する時、
キリストの愛が私の愛となり、キリストの力が私の力になるのです。
 パウロは、「もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)、
「私の中に住みたもうキリスト、これこそ栄光の望みです。」
  (コロサイ1:27)と言いました。
     (箴言の恵み・羽鳥 明師)

慰めのことば

2017年10月17日 | 神さまの言葉

「なぐさめの言葉」

「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」と、
あなたがたの神は言われる。
「エルサレムに優しく語りかけよ。
これに呼びかけよ。
その労苦は終わり、その咎は償われた。
そのすべての罪に引き替え、
二倍のものを主の手から受けたと。」

荒野に呼ばわる者の声がする。
「主の道を整えよ。
荒野で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。
すべての谷は埋め立てられ、
すべての山や丘は低くなる。
盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。
このようにして、主の栄光が現わされると、
すべての者が共にこれを見る。
主の口が語られたからだ。」

「呼ばわれ。」と言う者の声がする。
私は、「何んと呼ばわりましょう。」と答えた。
すべての人は草、
その栄光は、みな野の花のようだ。
主のいぶきがその上に吹くと、
草は枯れ花はしぼむ。
まことに、民は草だ。
草は枯れ、鼻はしぼむ。
だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。

シオンに良い知らせを伝える者よ。
高い山に登れ。
エルサレムに良い知らせを伝える者よ。
力の限り声をあげよ。
声をあげよ。恐れるな。
ユダの町々に言え。
「見よ。あなたがたの神を。
見よ。神である主は力をもって来られ、
その御腕で統べ治める。
見よ。その報いは主とともにあり、
その報酬は主の前にある。
主は羊飼いのように、その群れを飼い、
御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、
乳を飲ませる羊を優しく導く。

だれが、手のひらで水を量り、
手の幅で天を推し量り、
地のちりを升に盛り、
山をてんびんで量り、丘をはかりで量ったのか。
だれが主の霊を推し量り、
主の顧問として教えたのか。
主はだれと相談して悟りを得られたのか。
だれが公正の道筋を主に教えて、
知識を授け、英知の道を知らせたのか。

見よ。国々は、手おけの一しずく、
はかりの上のごみのようにみなされる。
見よ。主は島々を細かいちりのように取り上げる。
レバノンも、たきぎにするには、足りない。
その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。
すべての国々も主の前では無いに等しく、
主にとっては
むなしく形もないものとみなされる。
   イザヤ40:1-17



「なぐさめの言葉」Ⅱ

あなたがたは、神をだれになぞらえ、
神をどんな似姿に似せようとするのか。
鋳物師は偶像を鋳て造り、
金細工人はそれに金をかぶせ、銀の鎖を作る。
貧しい者は、奉納物として、朽ちない木を選び、
巧みな細工人を捜して、動かない偶像を据える。

あなたがたは知らないのか。聞かないのか。
初めから、告げられなかったのか。
地の基がどうして置かれたかを悟らなかったのか。
主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。
地の住民はいなごのようだ。
主は天を薄絹のように延べ、
これを天幕のように広げて住まわれる。

君主たちを無に帰し、
地のさばきつかさを、むなしいものにされる。
彼らが、やっと植えられ、やっと蒔かれ、
やっと地に根を張ろうとするとき、
主はそれに風邪を吹きつけ、彼らは枯れる。
暴風がそれを、わらのように散らす。
「それなのに、わたしを、だれになぞらえ、
だれと比べようとするのか。」と
聖なる方は仰せられる。

聖なる方は仰せられる。
目を高くあげて、
だれがこれらを創造したかを見よ。
この方は、その万象を数えて呼び出し、
一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。
この方は精力に満ち、その力は強い。
一つももれるものはない。

ヤコブよ。なぜ言うのか。
イスラエルよ。なぜ言い張るのか。
「私の道は主に隠れ、
私の正しい訴えは、
私の神に見過ごしにされている。」と。

あなたは知らないのか。聞いていないのか。
主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、たゆむことなく、
その英知は測り知れない。
疲れた者には力を与え、
精力のない者には活気をつける。

若者も疲れ、たゆみ、
若い者もつまづき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることが出来る。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
    イザヤ40:18-31

新しく造られた者

2017年10月17日 | 神さまの言葉

藤木 冨士子
2014年10月10日 ·
2014.8.13.祈祷会
聖書箇所 Ⅱコリント5:17

5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

信じたときこのみ言葉によって確信を与えられた人は多いでしょう。罪人の私が信仰により罪赦され、いのちを与えられ、神の子、御国の世継ぎとされ、新しいいのちと新しい人生に生きる者となりました。
神の前に進み出る神の子としての人生、これがクリスチャン人生のだいご味です。
罪にまみれ、神に反発してきた者が信仰により救われ、神の子とされました(ヨハネ1:12)。御国の世継ぎとされ、新しく造られました。新しくされたとは神の子どもとされたことです。
抽象的に新しくされたのではありません。
理性も、感情も、魂も180度新しくされたこと。
新しい目玉を与えられて、ものの見方が新しくなったということです。
耳も鼻も口も・・・すべて。
うわさ話を喜んで聞いていた耳が、神の御言葉を喜び、一言も聞き漏らすまいとする者となったのです。
人の悪口を言ってた口が、神様を喜び賛美するようになったのです。
自分の心の良い香りを喜び、罪の悪臭がするといち早く悔い改める者となったのです
周りの人間から見たら、見えない神の声を聞き、その神に従うことは狂気でしょう。おかしいと言われることでしょう。
しかし、人の目に見えなくても、神は見ておられます。
肉体の目だけでなく、魂でも見えなかったその神が、今、わかるようになった。
こんな私を愛して救い、愛して人生を新しくしてくださった。
この神を愛します。
神に応答します。
神との交わりを喜びます。
人がなんと言っても、狂っていると言われても。それが私の歩む道です。
まがい物でなく救われた者の道を歩みたい。キリストの身丈になるまで。
 

自然における神の働き

2017年10月16日 | 神さまの言葉
「自然における神の働き」

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
わが神、主よ。あなたはまことに偉大な方。
あなたは尊厳と威光を身にまとっておられます。
あなたは光を衣のように着、
天を、幕のように広げておられます。
水の中にご自分の高殿の梁を置き、
雲をご自分の車とし、風の翼に乗って歩かれます。
風をご自分の使いとし、
焼き尽くす火をご自分の召使いとされます。


また地をその基の上に据えられました。
地はそれゆえ、とこしえにゆるぎません。
あなたは、深い水を衣のようにして、
地をおおわれました。
水は、山々の上にとどまっていました。
水は、あなたに叱られて逃げ、
あなたの雷の声で急ぎ去りました。
山は上がり、谷は沈みました。
あなたが定めたその場所へと。
あなたは境を定め、
水がそれを超えないようにされました。
水が再びおおうことのないようにされました。


主は泉を谷に送り、山々の間を流れさせ、
野のすべての獣に飲ませられます。
野ろばも渇きをいやします。
そのかたわらには空の鳥が住み、
枝の間でさえずっています。
主はその高殿から山々に水を注ぎ、
地はあなたの実によって、満ち足りています。

主は家畜のために草を、
また、人に役立つ植物を生えさせられます。
人が地から植物を得るために。
また、人の心を喜ばせるぶどう酒をも。
油によるよりも顔をつややかにするために。
また、人の心をささえる植物をも。
主の木々は満ち足りています。
主の植えたレバノンの杉の木も。
そこに、鳥は巣をかけ、
こうのとりは、もみの木をその宿としています。
高い山は野やぎのため、
岩は岩だぬきの隠れ場。


主は季節のために月を造られました。
太陽はその沈む所を知っています。
あなたがやみを定められると、夜になります。
夜には、あらゆる森の獣が動きます。
若い獅子はおのれのえじきのためにほえたけり、
神におのれの食物を求めます。
日が上ると、彼らは退いて、
自分のねぐらに横になります。
人はおのれの仕事に出て行き、
夕暮れまでその仕事につきます。


主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。
あなたは、それらをみな、
知恵をもって造っておられます。
地はあなたの作られたもので満ちています。
そこには大きく、広く広がる海があり、
その中で、はうものは数知れず、
大小の生き物もいます。
そこを船が通い、
あなたが造られたレビヤタンも、そこで戯れます。
彼らはみな、あなたを待ち望んでいます。
あなたが時にしたがって、食物をお与えになることを。
あなたがお与えになると、彼らは集め、
あなたが御手を開かれると、
彼らは良いもので満ち足ります。
あなたが御顔を隠されると、彼らはおじ惑い、
彼らの息を取り去られると、
彼らは死に、おのれのちりに帰ります。
あなたが御霊を送られると、彼らは造られます。
また、あなたは地の面を新しくされます。


主の栄光が、とこしえにありますように。
主がそのみわざを喜ばれますように。
主が地に目を注がれると、地は震え、
山々に触れられると、山々は煙を上げます。
わたしは生きているかぎり、主を歌い、
いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう。
私の心の思いが神のみこころにかないますように。
私自身は、主を喜びましょう。
罪人らが地から絶え果て、
悪者どもが、もはやいなくなりますように。
わがたましいよ、主をほめたたえよ。
ハレルヤ。
     詩篇104篇




神をほめたたえよ

2017年10月14日 | 神さまの言葉

「神をほめたたえよ」

ハレルヤ。
神をほめたたえよ。
御力の大空で、
神をほめたたえよ。

その大能のみわざのゆえに、
神をほめたたえよ。
そのすぐれた偉大さのゆえに、
神をほめたたえよ。

角笛を吹き鳴らして、
神をほめたたえよ。
十弦の琴と立琴をかなでて、
神をほめたたえよ。

タンバリンと踊りをもって、
神をほめたたえよ。
緒琴と笛とで、
神をほめたたえよ。

音の高いシンバルで、
神をほめたたえよ。
鳴り響くシンバルで、
神をほめたたえよ。

息のあるものはみな、
主をほめたたえよ。
ハレルヤ。
   詩篇150篇

神のことばを賛美して

2017年10月14日 | 神さまの言葉


今日のことば
  <神のことばを讃美して>
     <いろは歌>
 ダレト(D)
私のたましいは、ちりに伏しています。
あなたのみことばのとおりに、私を生かしてください。
私は私の道を申し上げました。
すると、あなたは、私に答えてくださいました。
どうか、あなたのおきてを私に教えてください。
あなたの戒めの道を私に悟らせてください。
私が、あなたの奇しいわざに、
思いを潜めることができるようにしてください。
私のたましいは悲しみのために涙を流しています。
みことばのとおりに私を堅くささえてください。
私から偽りの道を取り除いてください。
あなたのみおしえのとおりに、私をあわれんでください。
私は真実の道を選び取り、
あなたのさばきを私の前に置きました。
私は、あなたのさとしを堅く守ります。
主よ。どうか私をはずかしめないでください。
私はあなたの仰せの道を走ります。
あなたが、私の心を広くしてくださるからです。
 ヘー(E)
主よ。あなたのおきての道を、私に教えてください。
そうすれば、私はそれを終わりまで守りましょう。
私に悟りを教えてください。
私はあなたのみおしえを守り、心を尽くしてそれを守ります。
私にあなたの仰せの道を踏み行かせてください。
私はその道を喜んでいますから。
わたしの心をあなたのさとしに傾かせ、
不正な利得に傾かないようにしてください。
むなしいものを見ないように私の目をそらせ、
あなたの道に私を生かしてください。
あなたのことばを、あなたのしもべに果たし、
あなたを恐れるようにしてください。
私が恐れているそしりを取り去ってください。
あなたのさばきはすぐれて良いからです。
このとおり、私は、あなたの戒めを慕っています。
どうかあなたの義によって、私を生かしてください。
 F(ワウ)
主よ。あなたの恵みと、あなたの救いとが
みことばのとおりに、私にもたらされますように。
こうして、私をそしる者に対して、私に答えさせてください。
私はあなたのことばに信頼していますから。
私の口から、真理のみ言葉を取り去ってしまわないでください。
私は、あなたのさばきを待ち望んでいますから。
こうして私は、あなたのみおしえを、
いつも、とこしえまでも、守りましょう。
そうして私は広やかに歩いて行くでしょう。
それは私が、あなたの戒めを求めているからです。
私はまた、あなたのさとしを王たちの前で述べ、
しかも私は恥を見ることはないでしょう。
私は、あなたの仰せに手を差し伸べ、
あなたのおきてに思いを潜めましょう。
   詩篇119:25-48


今日のことば
  <神のみことばを讃美して>
      <いろは歌>
 ザイン(G) 
どうか、あなたのしもべへのみことばを、思い出してください。
あなたはそれを待ち望むようになさいました。
これこそ悩みの時の私の慰め。
まことに、みことばは私を生かします。
高ぶる者どもは、ひどく私をあざけりました。
しかし私は、あなたのみおしえから、それませんでした。
主よ。わたしは、あなたのとこしえからの定めを思い出し、
慰めを得ました。
あなたのみおしえを捨てる悪者どものために、
激しい怒りが私を捕えます。
あなたのおきては、私の旅の家では、私の歌となりました。
主よ。私は、夜には、あなたの御名を思い出し、
また、あなたのみおしえを守っています。
これこそ、私のものです。
私があなたの戒めを守っているからです。
 ヘト(H)
主は私の受ける分です。
私は、あなたのことばを守ると申しました。
私は心を尽くして、あなたに請い求めます。
どうか、みことばのとおりに、私をあわれんでください。
私は、自分の道を顧みて、
あなたのさとしのほうへ私の足を向けました。
私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました。
悪者の綱が私に巻き付きましたが、
私は、あなたのみおしえを忘れませんでした。
真夜中に私は起きて、あなたの正しいさばきについて感謝します。
私は、あなたを恐れるすべての者と、
あなたの戒めを守る者とのともがらです。
主よ。地はあなたの恵みに満ちています。
あなたのおきてを私に教えてください。
 テト(I)
主よ。あなたは、みことばのとおりに、
あなたのしもべに良くしてくださいました。
よい分別と知識を私に教えてください。
私はあなたの仰せを信じていますから。
苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。
しかし今は、あなたのことばを守ります。
あなたはいつくしみ深くあられ、いつくしみを施されます。
どうか、あなたのおきてを私に教えてください。
高ぶる者どもは、私を偽りで塗り固めましたが、
私は心を尽くして、あなたの戒めを守ります。
彼らの心は脂肪のように鈍感です。
しかし、私は、あなたのみおしえを喜んでいます。
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました。
あなたの御口のおしえは、私にとって、
幾千の金銀にまさるものです。
   詩篇119篇49-72

わたしはまことのぶどうの木

2017年10月11日 | 神さまの言葉

日のみことば
 「わたしはまことのぶどうの木」

 わたしはまことのぶどうに木であり、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、
実を結ぶものはみな、もっと多くの実を結ぶために、刈込みをなさいます。
あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
わたしにとどまりなさい。
わたしもあなたがたの中にとどまります。
枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。
同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、
実を結ぶことはできません。

私はぶどうの木で、あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、
そういう人は多くの実を結びます。
わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。
人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

あなたがたがわたしにとどまり、
わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、
何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。
そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、
わたしの父は栄光をお受けになるのです。

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを
愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。
もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、
あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。
それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、
わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。

わたしがこれらのことを話したのは、
わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、
あなたがたの喜びが満たされるためです。
   ヨハネ15:1-11

深淵からの叫び

2017年10月09日 | 神さまの言葉

「深淵からの叫び」

主よ。深い淵から、私はあなたを叫び求めます。
主よ。私の声を聞いて下さい。
私の願いの声に耳を傾けてください。
主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、
主よ、だれが御前に立ちえましょう。
しかし、あなたが赦してくださるからこそ
あなたは人に恐れられます。

私は主を待ち望みます。
私のたましいは、待ち望みます。
私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、
まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、
主を待ちます。

イスラエルよ。主を待て。
主には恵みがあり、
豊かな贖いがある。
主は、すべての不義から
イスラエルを贖い出される。
    詩篇130篇

神の啓示

2017年10月06日 | 神さまの言葉

「神の啓示」

天は神の栄光を語り告げ、
大空は御手の業を告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、
夜は夜へ、知識を示す。
話もなく、こともなく、
その声も聞かれない。

 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、
そのことばは、地の果てまで届いた。
神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。
太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。
勇士のように、その走路を喜び走る。
その上るのは、天の果てから、
行き巡るのは、天の果て果てまで。
その熱を、免れるものは何もない。
    詩篇19:1-6


 「神の啓示Ⅱ」
主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、
主の証しは確かで、わきまえのない者を賢くする。
主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、
主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。

主への恐れはきよく、
とこしえまでも変わらない。
主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。
それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。
蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。
また、それによって、あなたのしもべは
戒めを受ける。
それを守れば、報いは大きい。

だれが自分の数々のあやまちを
悟ることができましょう。
どうか、隠れている私の罪をお赦しください。
あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。
それらが私を支配しませんように。
そうすれば、私は全き者となり、
大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。

私の口のことばと、私の心の思いとが、
御前に、受け入れられますように。
わが岩、わが贖い主、主よ。
   詩篇19篇7-14

「幸福への道」

2017年10月04日 | 神さまの言葉

幸福への道」

幸いなことよ。
悪者のはかりごとに歩まず、
罪人の道に立たず、
あざける者の座に着かなかった、その人。

まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、
水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。

悪者は、それとは違い、
まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、
罪人は、正しい者のつどいに立てない。
まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。
しかし、悪者の道は滅びうせる。
      詩篇1篇

希望

2017年10月04日 | 神さまの言葉

  <希望>

 失望落胆の反対語は希望です。
失望と希望を同時に持つことは出来ません。
希望を持つことが出来れば、失望落胆は逃げて行きます。
 信仰は今の状況に関して働かせるものですが、
希望は、未来に関して抱くものです。
 多くの人は悲観的な現状の延長線上に未来を思い描いて失望しています。
しかし、信仰の人は、神の約束しておられる未来を思い描いて、
希望を受け取ります。
 現状を見ると、望みを持てる材料が全くなくても、
希望を持つことが出来るのです。

彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。
それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、
彼があらゆる国の人々の父となるためでした。
   ローマ4:18
目に見える望みは、望みではありません。
だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
   ローマ8:24
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ
目を留めます。
   Ⅱコリント4:18
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを
確信させるものです。
   ヘブル11:1
しかし、神に感謝すべきです。
神は、私たちの主キリスト・イエスによって、
私たちに勝利を与えてくださいました。
   Ⅰコリント15:57
神にとって不可能なことは一つもありません。
   ルカ1:37
主に不可能なことがあろうか。
   創世記18:14
信じる者には、どんなことでもできるのです。
   マルコ9:23
私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。
患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、
裸ですか、危険ですか、剣ですか。
   ロマ8:35
私たちは、私たちを愛して下さった方によって、
これらのすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
   ローマ8:37
彼は、いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない。
公義を勝利に導くまでは。
異邦人は彼の名に望みをかける。
   マタイ12:20-21
 安川 圭吾宣教師(アンテオケ・タンザニア・ミッション)