きのう(1日)、この春初めてポカポカ陽気。急いでジャガイモ(男爵)を植付けました。全部で8列、120玉。昨年より2列多くしたのは、迫り来る食糧難に備えて、と言えばカッコイーが、実は種芋が余ったため。もっと遅く植えつける家も多い中、ウチがいつも早いのは、病害虫対策で、梅雨の時期前に収獲しようって魂胆で、例年だと6月半ばには堀り上げるんだけど、今年は6月末になりそうで、ちょっと心配でやんす。
数日中にはカボチャやカブの種蒔きもしなきゃならんし、こりゃチト忙しくなったなあ。
「ごしたい」---懐かしいことば。他国で言う「しんどい」に近いらしいが、外国語(?)じゃピンと来ない。ほかに何もできないくらい疲れた、疲れる、という状態を表わすことばは「ごしたい」しかない。ネットで調べたら、信州特有のことばだそうだ。ごしたい仕事を嫌うやつを「ずくなし」と言うのも、同じようなお国ことばだそうだけれど、どちらも言い得て妙じゃないですか。
老境(耄碌)が進むにつれ、子供のころのことばが自然に出てくる。薄皮がむけるようにと言うか、厚化粧がはげるるようにと言うか、大きくなってから覚えたことばがどんどん剥落して、芯がむき出てくる。付け焼刃は所詮付け焼刃、本来の自分が戻ってくる気分は悪くない。
いよいよ春。最高気温が週明けから連続5日間10度を超え、日陰の雪もほぼ消え、畑の土が乾き、人は野良で草を取る。春ですなあ。3月に入れば、石灰を撒いたり、ガートラで耕したり、ジャガイモの畝立てをしたり、大根の種蒔き床を作ったり、農作業が本格化、忙しいけれど楽しい季節が始まりました。
ひとはみな土から生まれ、土に生き、土にかえる。「不耕者」はいけませんよ。
7月に入って4週間、からっと晴れたのは3日だけ。こりゃー、ひょっとすると冷夏になるかも。東北北海道に「やませ」が吹けば飢饉(けかち)飢渇(けかつ)で珍しくはないが、日照不足による西国の不作となると深刻。馬鹿のひとつおぼえで、米しか作らない日本の農業。「お米」が不足すれば、不況どころの騒ぎじゃなくなる。さーどうする、どうする。
畑を耕すひとはジャガイモやサツマイモがあるから大丈夫。(「不耕者」が飢えるのは自業自得)。もしその上、アフリカやラテンアメリカの人々にならって、モロコシがあれば鬼に金棒。というわけで、昨日モロコシを1本ほぐして粉にし、小麦粉を少し混ぜ、味噌で味付けしたせんべい(このあたりで所謂「うすやき」、昨今はやりのことばだと「パイ」)を作ってみました。初めてでしたが、案外「いける」ことが分かって安心しました。よーし、飢饉への備えがまたひとつふえたぞ。来年はもっと作付けをふやそう。
モロコシで問題なのは、粉にするのが楽じゃないこと。実がカチカチになると、小石をつぶすぐらいの力がいる。道具(機械)がないととても無理。食糧援助の一環としてアフリカにトウモロコシを送ったら、現地では粉にする機械がなく、せっかくの援助物資が雨ざらしになってしまった、という話をどこかで読んだけれど、確かに固くなったモロコシは手を焼かせる。以前アメリカ製とかいう手廻しの「モロコシ粉砕機」を、知り合いの「あんこ屋」さんに借りて使ってみたことがあるけれど、ガリガリバリバリ物凄い音をたてるのに閉口して、一度使ってみたきりでお返ししたっけ。
今回はまだ半乾きの粒だったせいか、あり合わせのコーヒーミルで少々強引に粉にはしましたがね、これじゃあ大量に挽く役には立たない。もっといいテはないものか。
町なかから果樹が消えて既に久しい。年寄りの繰りごと(またまた!)ながら、昭和30年代初めまでは、市街地でもさまざまな果物がたっぷり楽しめたなあ。りんご・柿・いちじく・ざくろ・さくらんぼ・すもも・はたんきょう・桃・梨・びわ・ぶどう・栗・くるみ・にわうめ・すぐり・くわぐみ・たわらぐみ、何故か家によって別の木が植えられていたっけ。子供も沢山いた。どの家の庭に何があるか、みんな知っていた。季節季節、垣根ごし、垣根をくぐって、塀をよじ登って、枝にすがって、棒で叩き落して、有刺鉄線の間から手を伸ばして、家人のスキを見計らって、とにかく無断有断、ガキドモが群がったものさ。
子供がいない年寄りの場合は追いかけてくる家もあったけれど、たいていはどの家にも子供が何人もいたから、お互いさま、「ウチのだいじなザクロ、よくも黙って盗んでいきゃーがったな」なんて不粋なことを言う親は(たぶん)いなかった。今にして思えば、町なかの狭い敷地でも、果樹の1本や2本、必ずと言っていいほど植えられていたなあ。貧しい長屋もあちこちにあったけれど、敷地内には果樹が植わっていた。食糧難の時代だったからか。それでも、売り物じゃないってことからか、ガキドモに盗られないようにと必死で防衛している様子はなかったんじゃないかな。もっとも、いくら守ろうとしたって、攻めるほうが断然優勢だったから、無駄な抵抗さ。
いつごろから町なかの果物が姿を消したのだろう。昭和32年(1955)年、高校の文化祭準備で校内泊り込みをしていたら、どこかのクラブの部員が近くの畑からぶどうをもいでいったとかで、持ち主が学校に怒鳴り込んできた、それで「ヒトサマのものをとってはいけない」旨のお達しが回ってきたことがあったが、たぶんあの頃が「時代の変わり目」だったのかも。
通りがかりにりんごやぶどうをちょっと失敬、なんて日常茶飯事だったから、話を聞いたときは少し驚いた。しかし転んでも只では起きない。生意気にも阿部次郎『三太郎の日記』なんか読んでいたから、そこから「哲学的考察(?)」が始まる。食糧事情が良くなって、旅行や外食に際して『食糧手帳』を持ち歩かなくても済むようになった現今、くだものばかりじゃなく、いちごやトマトなどの野菜も含め、ヒトサマの畑のものを失敬する必然性(飢餓)がなくなった、世間様も大目に見てはくれなくなったんだ、世の中変わりつつある、大望のある身、つまらぬことで躓かないようにしなければ...。なーんて恰好のいいことまで考えたかどうか、記憶にはございませんがね。
還暦を過ぎて以来、物事に対する好みがどんどん昔に帰る。ことばも学校で習ったようなものより、子供の頃使っていた方言や訛りのほうが先に浮かぶ。タガメ・ゲンゴロウ・ミズスマシ・アメンボウ、懐かしいねえ。60年前に覚えたことばは即座に浮かぶけれど、10年前のものはほとんど忘れた。成人して以後覚えた知識なんか、所詮は付け焼刃か厚化粧のようなもの、日を追ってボロボロ剥げ落ちていく。外国語や学術用語、ひとや動植物の名前が特にひどい。よほど脳味噌をしぼらないと浮かんでこない。いくらしぼっても思い出せないものも多い、たぶん永久に失われたのだろう。
食べ物に対する好みの変化(退化?)なぞ、我ながら驚くほど昔に帰った。子供の頃うまいと思ったものがしきりに食べたい。2年前から春先の味噌玉を求めて『すや亀』に通うようになったし、今日は評判の醤油豆を聞きつけ、妻科(つまなし)の『井上醸造』まで、自転車で往復1時間かけて買いに行った。昔の味、本物の味、大感激。考えてみれば、『すや亀』も『井上醸造』も、生家から15分も歩けば行けるところにある老舗。このデンでいくと、「日本一の蕎麦屋」も、歩いて5分もかからないところにある『山屋』さんってことになるかも。ひとは土から生まれ、土に還える。どうやらこの身も、産土(うぶつち/うぶすな)に向って、暗黒星雲に吸い寄せられる星々のように、渦を巻きつつ近づいているのだろう。
黄河上流域(オルドス地方)は何年も前から大旱魃だとか。もともと乾燥地帯だから、今更驚くこともないけれど、そのおかげで中国が小麦不足になれば、オーストラリアの旱魃による麦飢饉も加わって、これから小麦の輸入量激減→価格高騰が一層激化するは必定。心配だなあ。パンが食べられなくなる、ラーメンが食べられなくなる、ウドンが食べられなくなる。農家の皆さん、せいぜい麦を作ってくだされや。
先日甲州往復、続いて北信濃→上越→安曇→筑摩と汽車でひと回りしていて、やや期待がもてそうに感じました。どこも大半の田んぼは相変わらず「寝かせた」ままとは言え、昨年よりは多少青々と麦が育っているところが増えたんじゃないかな。麦価上昇につれて、放っておいても麦栽培は増えるかも知れないが、そんなに悠長にもしていられないよ。いつぞやの「凶作」のときのように、大慌てで外米輸入なんてブザマな失敗をしないようにね。既に手遅れかも知れないけれど、ただただ手をこまねいているよりはマシ。どんどん麦作を奨励しなければいけないんじゃないかな。
ただ農家に期待なんて口で言うばかりじゃいけない。昔は二毛作が当たり前、寒冷地以外では黙ってたって冬は麦、夏は米を作っていた。農家が麦をやめたには、もちろんそれだけの理由があった。米豪の圧力(どれほどひとに迷惑をかければ気が済むんだ!)、大量に安価で麦を持ち込まれたんじゃ、零細な「三チャン農家」は太刀打ちできっこない。冬から春にかけての田園風景はずっと前に一変してしまった。麦畑が消えた。麦踏みの光景が見られなくなった。しかし状況は変わりつつある。麦も自給しなければ立ちゆかなくなってきている。さあ、どうする、どうする。
提案①: 麦の栽培面積に応じて、米の減反を免除する。栽培しない、もしくは寒冷地のため栽培できない農家には大幅な減反を課す。飼料用米・バイオ燃料用米ってテもあるそうだから、「それじゃあ一家心中せなならん」なんて泣き言は言わせない。
提案②: 「不耕者」(既述)には麦作を強制する。最低自分もしくは家族分の麦は自給すべし。麦が作れないときはジャガイモでの代替を認める。政財官学界のオエライサンなどで、どうしても「手が回らない」(そんなヤツいるかなあ)場合は、麦代の倍額を課税する。(アメリカとは違うんだから、「税率90%」みたいなことは言わない)。
輸入小麦にべらぼうな関税を課して、国内の生産農家を保護する、なんて姑息な手段はもはや通用しない。いくら金を出しても売ってくれる国がなくなってきてるんだから。マグロと同じさ。みんなが自分の食べる分は自分で作るようになれば、国内外を問わず、そもそもヨソから買う必要もなくなる。
オンモに出れなくて家に閉じこもってばかりいると、我ながら言うことが次第次第に過激になっていくなあ。気をつけなくっちゃ。