碧川 企救男・かた のこと

二人の生涯から  

西田 税(みつぎ)のこと (72)

2019年09月22日 14時32分17秒 | 西田 税のこと

ebatopeko

         西田 税(みつぎ)のこと (72)

       ( 『無 眼 私 論』 4)  

 米子ゆかりのジャーナリストの碧川企救男は、民衆の立場から権力への抵抗、批判をおこなった。それは、日本中が戦争に狂喜した「日露戦争」のさなかに、この戦争が民衆の犠牲の上におこなわれていることを新聞紙上で訴えたことにも表れている。

 一方、同じ米子に生まれ育った西田税(みつぎ)は、碧川企救男とまったく別の角度から権力批判をおこない、結果その権力に抹殺され、刑場の露と消えたのである。この地に住む者として、西田税のことを調べてみたい。

  西田税に関する文献は多岐にわたる。米子の山陰歴史館の発行された『西田税資料』を基本資料とした。

 さらに高橋正衛『二・二六事件』中公新書、小泉順三『「戦雲を麾く」西田税と二・二六事件』)、須山幸雄『西田税 二・二六への軌跡』、澤地久枝『妻たちの二・二六事件』なども参考にした。

 また、最近発刊された、堀真清『西田税と日本ファッシズム運動』(岩波書店)は、西田税に関する現在の到達点と言える研究である。実に教えられるところが大きかった。きわめて大冊であるが、関心のおありの方は是非ご覧いただきたい。

  ここではこの著をもとに記していきたい。但しあくまで私の主観で解釈し取捨選択しており、堀氏の著作をないがしろにするものではありません。堀氏の著作の価値は実際に原著をお読みいただければ十分に納得いただけます。

  はじめに西田 税の自叙伝である「戦雲を麾く」を中心に彼の道筋をたどる。「麾く」は「さしまねく」と読む。

 西田税は、明治三十四年(1901)十月三日、米子市博労町に父久米造、母つねの二男として生まれた。

 当時の歴史的資料も扱っているので、今からみると差別的な部分もありますが、ご了承をお願い致します。

  西田税が、書に秀でていたことは、小学校六年に筆で残した「整頓掃除和楽育児交際慈善」の端正な肉太の字に明らかである。私などは足許にも及ばない。

 そして彼の文章力が素晴らしいものであることは、『戦雲を麾(さしまね)く』を読めばよく理解されるところである。ところが彼の遺したまとまった著作は自伝といえる『戦雲を麾く』と『無眼(むがん)私論』の二冊しかない。

 しかし『戦雲を麾く』はわりあい知られているが、『無眼私論』はほとんど知られていない。そこで、ここでは『無眼私論』を『現代史資料5』「国家主義運動(2)」(みすず書房)にもとづいて紹介したい。

 そこには昭和維新の大立者というイメージからはほど遠い女々しい面も見られると言われる。大正ロマンチシズムもみられるとも。次の詩にはそれがよく現れている。

 「詩と死と、   死は詩なり、   死は人生生存の終焉にして永遠に生存すべき発路(ママ)なり、   ー人生の光彩は実に此間に見るべし、   死は美し、   吾人は吾人の死をして真に美しからざしめるべからず」

(以下今回)

  与 同 志 一自病臥辞塵寰心懐不滞自悠然休憂同感同士癒来捲土逐腐塵

  暁 想 夜来狂風荒病驅不為夢不覚想世紛床中焦々懐

  游 子 吟 游子自辞郷爾来七春秋今朝異夫病孤心羸驅擁

  月 と 心

今宵は円かである、而して朧である、 水の様に淡い月の光りは茲病窓の玻璃を漏れて余の白い病衣を照ら して居る

羸弱の驅に胸痛を悩むで病褥に仰臥した儘、起つことの出来ない余 が今宵中宵に朧ろな月を仰ぎ玻璃窓を漏れて沁む水の様なその光を 浴びて多感多涙な本性に立ち帰った今この胸裡の感懐は実に表はし難 いのである、

訳知らず涙は頬を流れる・・・熱い涙が

幾多の障碍を突破し幾多の煩悶を打破し幾多の困苦に堪へて来た二 十二年の過去 そして其変化の多かった丈けに追憶も又一入の感慨を伴ふのである ましてやこの月の色を添ふる今宵の心、 人を愛し、人を憎み山を慕ひ水を喜びたりし過去、 世を憂ひ国を慨げき熱烈の意気に紅涙を濺ぎたりし過去、 道を求め哲理を探り詩的人生を想ひ天に帰せむことを希ひたりし過 去、 而して幾年の漂泊ぞー心の漂泊は固より肉体の嘗めたりし幾年放 浪の旅の思出、 まこと深刻なる追憶は忘れ難く又となく慕はしいのである。

月の色は殊更に今宵物を思はせる、 ああ今宵この月を仰ぐものは独り余のみではあるまい、   骨肉が故山に仰ぐ月、   知友が仰ぐ月、   十七億の有生が仰ぐ月、   而も十億の同族が涙ににじむ今宵の月、   真理は今宵この月に永劫の光りを投げて居るであらうーみよ   この月の色を   哲人は真理を思ひ志士は義憤を濺ぎ游子は哀感に泣き弱者は零   丁を嘆かむ、

真理を求め理想を望むで進むで進む戦士は月に想を練るだらう、 国を憂ひ世を泣く志士はその狐心に月を仰いで感慨に耽るだらう、 游子は遣る瀬なき回憶の涙に咽ぶだらう、 そして疲れたる弱者は泣くだらう、

真理に徹し哲人を思ひ現実に理想を望み義憤の血潮に正義の確立を 期する士が幾年流離、狐心飄然として異郷の天に月を仰いだ時その 感慨は奈辺を馳するぞ   ー病驅仰臥して今宵の月に対する余がかかる境涯に流れ入ら   ぬとは期せられぬのだ、

 長い長い夢だ、ー幻想の中に転変した夢だ、そしてこの長い夢 は将に覚めようとして居る。

      仰 臥 書 懐      病弱臥褥復値春 今宵月輪仰朧円   欲起不能懐更悩 独撫痩腕見天心

     同   時艱滞心不為眠 焦慮床中幾転々   三更独仰幽窓月 月隔暗雲影凄然

     与 同 志   慨世憂国幾春秋 盟誓報効一毫誠   巳棄栄辱杷天心 勿因環境負理想

  病 中 愁 辞

 笑はむか狂にー近し泣かむ又愚にー近かれ吾れ如何にせむ、  慷慨の憂国の意気寂しくも病衣装ひ臥せるなりけり、  経世の大志今果た何かせむ敗れゆく身は寂しかりけり、  真白なる病衣悲しも装ひて敗れゆく身を唄ふなりけり、  世を人を国を民族を今は果た消ゆべき夢か其上思ふ、

 溌剌の意気に大陸の土を踏みし昔想ほゆ病中のわれ、

 春なれや庭の青みに和けく南より来し風そよぐなり、  麗けき春の日影を窓越の病驅に浴びて庭の青みる    終日炊事場の煙出しを眺めて人生観を思ふ  煙の如く流れて消えてあとかたのなかるべき身の運命(サメ)に泣くを、

   病 中 吟 

 幾年来濺憂国涙 平生常説尊皇道  可憾今日在病褥 何時奮起清汚世

   春日在褥(示楠美子)

   病弱白衣容 黙々倚牀頭    無聊見庭青 春日何遅々

   (二五八二、三、一四 集録) (注:西暦では1922年にあたる)


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