碧川 企救男・かた のこと

二人の生涯から  

西田 税(みつぎ)のこと (73)

2019年09月28日 13時20分25秒 | 西田 税のこと

 ebatopeko

         西田 税(みつぎ)のこと (73)

       ( 『無 眼 私 論』 5)  

 米子ゆかりのジャーナリストの碧川企救男は、民衆の立場から権力への抵抗、批判をおこなった。それは、日本中が戦争に狂喜した「日露戦争」のさなかに、この戦争が民衆の犠牲の上におこなわれていることを新聞紙上で訴えたことにも表れている。

 一方、同じ米子に生まれ育った西田税(みつぎ)は、碧川企救男とまったく別の角度から権力批判をおこない、結果その権力に抹殺され、刑場の露と消えたのである。この地に住む者として、西田税のことを調べてみたい。

  西田税に関する文献は多岐にわたる。米子の山陰歴史館の発行された『西田税資料』を基本資料とした。

 さらに高橋正衛『二・二六事件』中公新書、小泉順三『「戦雲を麾く」西田税と二・二六事件』)、須山幸雄『西田税 二・二六への軌跡』、澤地久枝『妻たちの二・二六事件』なども参考にした。

 また、最近発刊された、堀真清『西田税と日本ファッシズム運動』(岩波書店)は、西田税に関する現在の到達点と言える研究である。実に教えられるところが大きかった。きわめて大冊であるが、関心のおありの方は是非ご覧いただきたい。

  ここではこの著をもとに記していきたい。但しあくまで私の主観で解釈し取捨選択しており、堀氏の著作をないがしろにするものではありません。堀氏の著作の価値は実際に原著をお読みいただければ十分に納得いただけます。

  はじめに西田 税の自叙伝である「戦雲を麾く」を中心に彼の道筋をたどる。「麾く」は「さしまねく」と読む。

 西田税は、明治三十四年(1901)十月三日、米子市博労町に父久米造、母つねの二男として生まれた。

 当時の歴史的資料も扱っているので、今からみると差別的な部分もありますが、ご了承をお願い致します。

  西田税が、書に秀でていたことは、小学校六年に筆で残した「整頓掃除和楽育児交際慈善」の端正な肉太の字に明らかである。私などは足許にも及ばない。

 そして彼の文章力が素晴らしいものであることは、『戦雲を麾(さしまね)く』を読めばよく理解されるところである。ところが彼の遺したまとまった著作は自伝といえる『戦雲を麾く』と『無眼(むがん)私論』の二冊しかない。

 しかし『戦雲を麾く』はわりあい知られているが、『無眼私論』はほとんど知られていない。そこで、ここでは『無眼私論』を『現代史資料5』「国家主義運動(2)」(みすず書房)にもとづいて紹介したい。

 そこには昭和維新の大立者というイメージからはほど遠い女々しい面も見られると言われる。大正ロマンチシズムもみられるとも。次の詩にはそれがよく現れている。

 「詩と死と、   死は詩なり、   死は人生生存の終焉にして永遠に生存すべき発路(ママ)なり、   ー人生の光彩は実に此間に見るべし、   死は美し、   吾人は吾人の死をして真に美しからざしめるべからず」

(以下今回)

  (友に与ふ)

現時の青年学生の脳中より利己と虚栄と恋愛とを除きて残るもの何ぞ、 虚飾醜行(しゅうこう)を感ぜしめ、放言汚穢醜陋(おあいしゅうろう)を感ざしめ頭中些(いささか)の知見を有せず胸裡(きょうり)熱烈の意気なく腹中平静不動の信念なし

堕落ー堕落、眼中国家なく人類なく勃々(ぼつぼつー盛んなさま)たる気運亦(また)望むべきにあらず

以て天下を次代に託(たく)する能わず(次代に任せることが出来ない)以て国家社会ー民族ー人類の発展を期する能わざるなり(期待することが出来ない)

 噫(ああ)、現時の日本青年ー何ぞ思はざるの甚だしきや、方今(ほうこんーただ今)字内(じないー日本の意味か)人類の中に在りて最も重大なる使命を負ふものは実に汝等(なんじらー君たち)にあらずや、   鉄血宰相ビスマルク曰(いわ)く「汝の青年を示せ然からば汝の将来を卜す(ぼくー中国古代の殷の吉凶を占うこと)せむ」と宜(ぎ)なる哉言(やげんー言いきった言葉)や         熱血燃ゆる意気と乾坤(けんこんー天地)を呑まむ気概と熾烈(しれつー激しい)なる忠君愛国の誠とに疑れる青年は出でずや

而(しか)して理想の大旆(たいはいー大旗の意)を掲げて天下の大道を邁進(まいしんー進め)せよ是(ぜ)くして初めて茲(ここ)に価値ある美しき人生の輝きを認むべく生存の意義を知るべく幽源(ゆうげんー奥深いの意)の哲理に触るるを得(う)べきのみ                                              利己と享楽ー更に自覚なき生活は哲理に背くのみならず自己及人類を滅亡せしむる因子なることを思はざるべからず、

                      (二五八二、三、十五)  (注:二五八二は皇紀年号で、神武天皇即位を皇紀元年とする。皇紀年号は明治五年に定められた。西暦では1922年にあたる)             


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