碧川 企救男・かた のこと

二人の生涯から  

西田 税(みつぎ)のこと (74)

2019年10月12日 20時27分01秒 | 西田 税のこと

ebatopeko

         西田 税(みつぎ)のこと (74)

       ( 『無 眼 私 論』 6)  

 米子ゆかりのジャーナリストの碧川企救男は、民衆の立場から権力への抵抗、批判をおこなった。それは、日本中が戦争に狂喜した「日露戦争」のさなかに、この戦争が民衆の犠牲の上におこなわれていることを新聞紙上で訴えたことにも表れている。

 一方、同じ米子に生まれ育った西田税(みつぎ)は、碧川企救男とまったく別の角度から権力批判をおこない、結果その権力に抹殺され、刑場の露と消えたのである。この地に住む者として、西田税のことを調べてみたい。

  西田税に関する文献は多岐にわたる。米子の山陰歴史館の発行された『西田税資料』を基本資料とした。

 さらに高橋正衛『二・二六事件』中公新書、小泉順三『「戦雲を麾く」西田税と二・二六事件』)、須山幸雄『西田税 二・二六への軌跡』、澤地久枝『妻たちの二・二六事件』なども参考にした。

 また、最近発刊された、堀真清『西田税と日本ファッシズム運動』(岩波書店)は、西田税に関する現在の到達点と言える研究である。実に教えられるところが大きかった。きわめて大冊であるが、関心のおありの方は是非ご覧いただきたい。

  ここではこの著をもとに記していきたい。但しあくまで私の主観で解釈し取捨選択しており、堀氏の著作をないがしろにするものではありません。堀氏の著作の価値は実際に原著をお読みいただければ十分に納得いただけます。

  はじめに西田 税の自叙伝である「戦雲を麾く」を中心に彼の道筋をたどる。「麾く」は「さしまねく」と読む。

 西田税は、明治三十四年(1901)十月三日、米子市博労町に父久米造、母つねの二男として生まれた。

 当時の歴史的資料も扱っているので、今からみると差別的な部分もありますが、ご了承をお願い致します。

  西田税が、書に秀でていたことは、小学校六年に筆で残した「整頓掃除和楽育児交際慈善」の端正な肉太の字に明らかである。私などは足許にも及ばない。

 そして彼の文章力が素晴らしいものであることは、『戦雲を麾(さしまね)く』を読めばよく理解されるところである。ところが彼の遺したまとまった著作は自伝といえる『戦雲を麾く』と『無眼(むがん)私論』の二冊しかない。

 しかし『戦雲を麾く』はわりあい知られているが、『無眼私論』はほとんど知られていない。そこで、ここでは『無眼私論』を『現代史資料5』「国家主義運動(2)」(みすず書房)にもとづいて紹介したい。

 そこには昭和維新の大立者というイメージからはほど遠い女々しい面も見られると言われる。大正ロマンチシズムもみられるとも。次の詩にはそれがよく現れている。

 「詩と死と、   死は詩なり、   死は人生生存の終焉にして永遠に生存すべき発路(ママ)なり、   ー人生の光彩は実に此間に見るべし、   死は美し、   吾人は吾人の死をして真に美しからざしめるべからず」

(以下今回)

  (窮天私記に補せむとて)

詩と死と、 死は詩なり、 死は人生生存の終焉(しゅうえん)にして永遠に生存すへき発路なり、ー人生の 光彩は実に此閒(このかん)に見るべし、 死は美し、 吾人は吾人の死をして真に美しからざしめるべからず

余想ふ、死を美しからしむるは人生生存の真意義なりと、

真を見、善を表はしたる死は最も美し、 而(しか)してこは哲理に順して(殉じて)人生を行くときのみ来る、 吾人は真に美しき死を冀(こいねが)はざるべからず、

真に美しき人生の行路を辿(たど)るものは真に美しき死を求め得(う)べし、 要は自然の哲理に融帰(ゆうきー落ち着くの意)するにあり、 余はかくの如き人生を詩的人生といふ、

※ ここに西田税が選択した次の第二外国語のフランス語がある。残念ながら意味がわからない。

  *La vie emue d'amour. La vie poetique.sang pur-consacre.

詩とは何ぞや、 余を以て之を言はしむれば宇宙唯一の表現は真なるも其真の発する 処遂に詩のみ、

而して美しきものを詩といふ、

単なる感情を喜ばしむるのみならず実に正しき理性を喜ばしむるも のにして初めて真の美と称するを得(う)べし、

吾人は美しき死を求めむが為には凡(すべ)てを犠牲にするの意気なかるべ からず、然(しか)り美しき死は人生究竟(きゅうきょうー極み)の理想なればなり 単なるー所謂(いわゆる)生と死てふ問題の如きは末のみ、短き生も美しき死 によりて無窮の価値あり、長き生も醜(みにく)き死によりて其価値を無なら しむ、

要は哲理に殉じて人生を行き美的死を求来する殉道者の生命 は単に其年歯(ねんし)ー霊肉倶在(れいにくぐざいー霊と肉体がともにある)のーによりて長短あるにあらず、

凡(すべ)ての殉道者の生命は同一なり ー永遠の未来に亙(わた)りて朽(く)つることなき其存在は哲理の永劫(えいごう)に 不朽なると共に不朽なり、

何となれば哲理に融帰すればなり、 余が生存の永遠性を認むる実に茲(ここ)にあり、

背天(はいてん)の人、悖理(はいりー道理に背くこと)の人、是等は可能なる其永遠性を自ら抛棄(ほうき)せるものにして遂に生き得ざるなり

思へ、宇宙の悠遠無窮に対する人生の至瞬(ししゅん)なるを、吾人は茲(ここ)に於いてか必ず活き得(う)べき久遠の哲理に触れざるべからず

人生五十、之を換言すれば誠一瞬(せいいっしゅん)ならずや、背天その全行程を行 くとも究竟(きゅうきょう)の醜き死を招来し更に生存の永遠性に触れ得ざらば五十 亦(また)何するものぞ、

宇宙悠遠の哲理に対して無限の憧憬(しょうけい)を有する吾人は今や遂に死生に 何等の憂倶(ゆうぐー憂いおそれ)なく何等の疑義を抱かざるなり、 天に帰らむことを思ひ道に入らむことを希(ねが)ふ、生や死や論ずに足 らざるのみー遂に殉天の意気あり

幾年漂泊の心に触れたる最終の音律(おんりつー音の高さの相対的な関係)はまことこれなりき、

「聖賢の詩的道程」 今や吾人は熱烈の意気に現実慷慨(こうがい、世間の悪しき風潮や社会の不正などを怒り嘆くこと)の紅涙を濺(そそ)ぎかけつつ双の手をふるはせながら昂然として幽玄なる曲を奏でつつあるのである。

世人動(やや)もすれば(ともすれば)、「生きむがために」といふ 汝等の「生く」とは何の意ぞ、果たして久遠の生命を獲得せむの意にや

パンといひ食糧といひ、金といふ、汝等は生きむがために之等を要求すといふの真意にはあらざるか、 余常にこの声をきき疑なき能はざるなり   人生は死せむがための道程なり 人間は永遠性を求むるを終局の理想とするも 人生行路は死せむがための道程に過ぎざるなり

人生るとき已(すで)に死を有すー死に対って(むかって)進みつつあるなり 故に死せむがために進むべき行路はその終焉(しゅうえん)たる死をして最も意義 ある如く即ち美しいからしむるが如く進べきなり、

真なるもの独り美し、 而(しか)して真は宇宙唯一の原理なり 真に発して善を見る、

而(しか)して此二者は一者にして共に至上の美を思はしむ、 換言すれば美ー真に美なるものは真なり又善なり、要之 真は本体にして動くところ善となり之を見る処美となるのみ遂に 一者なるに過ぎず、

人界に真に表現するものは誠なり、 人誠なれば天に帰せるなり、道に殉ぜるなり、 而(しか)も生存の永遠性を獲得せしなり、 之(こ)の人を聖人といふ、

       (二五八二、三、一七) (注:西暦では1922年になる)

(注:ここには西田税の抑えきれない気持ちが記されている。「死は詩であると」、また「死は人生の終わりであり、また永遠の発露」であるとも。そして真に美しきものは、「詩」であると。殉道者の生命は永劫の哲理とともに不朽のものであると。宇宙の永遠性に対して人生の一瞬であること。そして「真」「善」「誠」の到達点として道に殉ずること、これを聖人というと)

 


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