「覚えてますか。」
「覚えてるよ。」
「おれ、ここでバイトしてるんすよ。」
そのやり取りにどんな価値があるのか私にはわからなかった。
ただ店の奥に隠れる彼は私とは目が合わなかった。
580円が私から今彼にできるせめてものエールだ。
このパスタも彼が作ってくれたものかもしれない。言葉はない。彼とのやり取りを思い出そうとしてあまり浮かばなかった。
それでも彼のおかげだという人もいた。友人は多いのだろう。人間の感情をようやく掴みかけているらしい。
笑顔で話すウェイターの先で彼はどんな顔でなにを話していたのだろう。
どうせなら幸せでいてほしい。
あるときの講義室で隻腕の教授が繰り返し話す姿が浮かんだ。
ここで咲かなくていい。私でなくていい。
種を撒いて、どこかで花がひらけばいい。
なら種を撒くにしろ、土を耕すにしろ
あるいは鍬の手入れをすることにしろ。なんでもよいではないか。
私でなくてもいい。
よかった。
それから新しい場所へ
【おわり】