児童文学作家を目指す日々 ver2

もう子供じゃない20代が作家を目指します。ちょっとしたお話しと日記をマイペースに更新する予定です。

永劫回帰の朝に

2015-12-23 | 物語 (眠れない日に読める程度)
胸につっかえたものとるために、私は枝を探していた。山は紅葉も終わり田園から望む景色にも退屈さがましていた。胸のつっかえというのはさながら、魚の小骨のようにチクチクを私を刺す。ひとつの失敗を思い起こされる。その度に嫌な記憶が喉仏の裏側に住み着いていつまでも駄々をこねるのだ。そのため私は頭を抱えるということはないのだが、とっさに叫びだしたい衝動に駆られる。冬の交差点や社内食堂の片隅で、私は野獣のような咆哮をあげたくなる。そうすればこの胸のつっかえもろとも吐き出せるのではないかと夢想するのだ。しかし現実は悲しいかな、怯えるような小声でちがうちがうと唱える他ないのだ。だから私は探していた。この胸のつっかえを掻き出すのに適した枝切れを。ある日、毎度のことながら朝の駅で小さな液晶画面を眺めているとひとつの記事が目に入った。それはどこかの国の曲芸師が数本の刀を丸呑みしてギネスを更新したとのことだった。これだと思った。私は早速出社すると昼休み時、いそいそとトイレへ駆け込んでごっそりとボールペンをとりだした。その中からまずは安っぽい黒ボールペンを取り出すとあの曲芸師のように顎を突き上げゆっくり丸呑みする。咽喉に侵入する異物を感じながら、ふとトイレの金具に写し出されたマヌケな影は見なかったことにした。
あぁ、私はいったいなにをしているんだろぅ。頭の隅にできたモヤを圧するようにグッとボールペンを押し込む。するといけないところに触れ、たちまち私は胃の中のものをぶちまけてしまった。さっきのアジフライ定食がミキサーされて床に広がる。驚いた拍子に握っていたボールペンもみなそこへ落としてしまった。酸っぱい臭いが充満し口内はヒリヒリと焼けついた。
ドア越しに声が聞こえる。声は数をましてゆき、やがて私は茫然としたまま個室のドアを開けた。

結局私の胸のつっかえはとれず仕舞いだった。私は本来なら絶対にあり得ない時間帯に家にいた。朝、いつもの電車に乗れなかったのだ。怖い。深い黒に私は沈む。もう立ち上がれないのではとさえ予感した。私の胸のつっかえは底を突き破りそこから汁がどくどく溢れだしていた。しかし、喉は依然つまったまま。ありもしないアジフライがそこにあるかのようである。私は枕に頬を擦りつけた。鼻水と涙がこねくりまわされ一体となりカヴァーに染み込む。もうなにもできない。もうなにもかもだ。母を求める赤子のように私は泣きじゃくっていた。日当たりの悪い1LDKには私と私を型どる雑多なゴミにまみれていた。


私には夢があった。それは今となっては夢現のようなそんな不確定なものであったけれど。私は学者になりたかったのだ。しかし、それはあまりにも世に価値のないもののようにみえた。私は研究に明け暮れたが、世間では無駄だと後ろ指をさされた。私は成果をあげられずにいた。いや、そもそも成果なんてものはない行き止まりの学問ではあった。恐らく偉大な賢人らはそれでもなお己を貫いたのであろう。私にはできなかった。私はどうやら「学者」になりたかったのだ。つまり研究者ではなくあくまで俗な理由で学者になりたかったのだ。故に私は続かなかった。至極当然であった。だから私は…




棄てよう。なにもかも。そう、なにもかもをだ。それから私は部屋にある一切合切をゴミ袋に詰め込んだ。私のお気に入りだったものはただのガラクタへとなりさがった。私はその度に涙した。今までの思い出が走馬灯となってゴミへと変わる。懐かしさが悪魔のように後ろ髪を引いた。やめてくれやめてくれ。私を止めないでおくれ。やがて私の部屋はものが消滅した。玄関には黒い塊が積み上がった。カビだらけの畳が姿をあらわす。重たい腰をおろすとそのまま仰向けになった。枯れ地のように荒れたイグサを頭部に感じる。ホコリが小さな天使と共に舞っていた。私を型どる、あるいは規定するものはどこにも存在しなかった。いよいよ、首を括るしかないと思った矢先。大きなくしゃみが出た。同時にポロンと異物が喉から転がり落ちた。なんだこれは。「それ」はとても形容し難い異形であった。唯一わかるのはこれを持ち続けることで私の心はどうしようもなく落ち着かなくなり、ふと何かの拍子に泣き出してしまいたくなるようなものだということだ。私はあわてて取りこぼしそうになりながらも「それ」をまだ空いていたゴミ袋へと放り投げた。たしかに入ったことを確認すると再びゴロリと横になってそのまま日が暮れてゆくのを待った。


そして一月が経ち。私は押入れの隅に捨て忘れた思い出の欠片がひとつ挟まっていた。一番のお気に入りでは決してなかったが中々に愛着を覚える物だった。当然手に取るとその物に纏わる記憶の波が奔流となって押し寄せてくる。私はしばらくその物をポケットに入れたり、玄関に飾ってみたりしたがやがて他の物物と同様にわざわざゴミ袋を用意して捨てた。否、棄てた。


それから、私はなにもかもを棄てた。
私を規定する物は内にも外にも失せ、
底を突き抜けていた私の生命力は限りなくゼロに近いマイナスへと引き上げられた。残るは僅かな違和感を消すばかりだ。

「おはようございます。」
私ははっと我に帰った。ここのところ家とゴミ捨て場を往復するばかりだったように思えた。「え、えぇ。…おはようございます。」いつものように私はゴミ袋に緑のネットを被せていると前から同じアパートのおじいさんに挨拶をされた。「いつも、朝お早いのですねぇ。」それは勤勉さを讃えたものだったのだろうが、生憎私は人目を憚ってのことだったのでこの場合よく切れた皮肉にも聞こえてしまった。「こんな網張ってもカラスは悪さしよるのにねぇ。」彼は独り言ともつかない調子で自分のゴミをネットにかけた。私はそのままそそくさと立ち去ろうと考えた。どうせ私は日陰者なのだ。こんなとるにたらない、ちまいコミュニティーですら私に生きる権利などないのだ。顔色は変えずただ目線だけは合わぬよう心得て足をもと来た道へと向ける。「でも、」後ろのしゃがれ声がつぶやく。「こうしていつもきっちり網をかけてくれる人がおるから後のもんは安心してゴミが出せる。」私はポストの投函を確認するふりをして階段をかけあがった。心臓が熱く脈打っている。なんだ。なんなんだ。玄関のドアを開けてこたつに潜り込む。中はちょうどいい温度に暖まっており、冷えた私の両足をむかえいれてくれる。私は先ほどの言葉を列に並べて何度も舌のうえでころがす。よくわからなかった。彼の意図も悪意もよくわからなかった。ただ、漠然と来週もネットをきっちりと下までかけようと心に決めた。私の部屋は東向きだ。部屋には唯一、やけに眩しい陽射しを遮るための長いカーテンがある。普段はきつく閉めているそれを何故かその日は開けて見ようとおもったのだ。 【おわり】