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イエス・キリスト 封印の聖書 /Forbidden Bible /Sadhu Sundar Singh 林 陽・編訳

2016年07月13日 15時25分20秒 | 紹介します

見過ごされている一番大きな危機は霊性の危機である。

 

序文(一部まとめてあります。)

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 「現代は、政治、経済、教育、宗教、環境、エネルギーなど、あらゆる面で危機的な状況が叫ばれているが、見過ごされている一番大きな危機は『霊性の危機』である。

 物質面ではこれほどに発達し、科学の進歩が神のように崇められるこの時代に、まるでその進歩と反比例するかのように、心の病が増加の一途を辿っている。科学は人間の頭脳の結集だが、頭脳によっても解決できないのが、この心の病である。

 イエス・キリストは「人間は二人の主人に兼ね仕えることはできない」と言われ、さらに「見ずして信じる者は幸いである」と、仰っている。

 現代人は目に見える物質の科学の恩恵を昨今溢れるばかりに受けて来たが、それと引き換えに、目に見えない霊魂の科学―聖なるものを感得し、それによって生きる『霊的生活』―を犠牲にして来た。その結果として、倫理は蝕まれ、周囲を見回すと、常識では到底考えられない犯罪が激増している。犯罪の低年齢化は進むばかりだ。

 便利で何不自由ない時代にあって、これほどまで人間の心が荒廃してしまったのは何故だろうか。

 問題の根幹は、人間が存在の拠りどころである神を捨て去ったことにあると私は思う。無宗教という言葉が美しく聞こえるこの病める時代に、人間はすべての法と倫理の創造者である神を捨て、人間自身を神の座に置いてきた。そのため、神の数は人の数ほど多くなり、現代は神と神とが争い合う時代だとも言える。しかし、すべてを創造された神は一つである。人間同士が真の平和を得ようとすれば、誰もが自分を真の神に譲り渡さなければならない。

 人の霊魂は、神の似姿に創られた。しかし、罪は霊魂を黒いベールで分厚く覆い、周囲を闇一色にしてしまう。周囲が真っ暗になれば、どれほど神が近くにいようが、存在しないのと同じことになる。「霊魂の闇」とはこのようなものである。肉眼しか使っていない人間は、24時間人工照明の下で明るくしていられるが、霊においては一寸先も見えない真っ暗闇に閉ざされていることを知らずにいる。人類の大部分は、今もこの闇の中に閉ざされているのである。(中略)

 しかしそんな中にあって、近代インドの聖者サンダーシング(スンダル・シング)は、全世界が危機的状況に置かれていた大戦の激動期に、わずか15歳にして・・・インドの神々ではなく、自分が敵視してきたイエス・キリストとの衝撃的な出会いを体験した。霊眼が開け、生きながらにして天上界と地上界の間の懸け橋となった。

 彼の行くところ、どこでも不思議な奇跡がついて回り、誰もが彼の聖なる姿にイエス・キリストの面影を見た。

・・・サンダーシングの言葉は、心の平和を求めながらも見出せずにいる現代人に霊の渇きを潤す泉である。・・・彼は東洋人独特の深い情感に訴える美しく解りやすいたとえ話によって神と霊魂についての深遠な問いを説き明かす。千ページ読んでもわからなかった神についての素朴な問いが、たった一つの例話で直感的に解される。それはあらゆる宗教宗派を超えて霊魂そのものに働きかける救いの水、生けるキリストの実証なのである。・・・

以下サンダーシング自身の言葉より、

p136

「アメリカドルに印刷された「我々は神を信じる」(We trust God)という標語だけを見ると、アメリカ人はいかにも宗教的国民のようだが、これはむしろ「我々は、金を信じる」(We trust gold)と読み替えたほうがいい。アメリカ人が求めているのは全能の神ではなく、全能の金だ。」

p137

「私はどこの教派にも属さない。私はただのクリスチャンである。教派主義が争い事を呼ぶ。」

p140

「・・・このような歓迎には耐えられない。主のために投獄され、飢えているほうがまだ楽だ。」

p157

「・・・このように苦しみを忍ぶことは大いなる特権でありますから、私は何とも思っていません。自分を低くし、祈りととりなしの機会を与えてくれるため、これは私にとっては祝福なのです。たとい両眼を失うとも、悲しくはありません。神は決して曇ることなき霊眼を開いて下さっているからです。・・・」

p206

「キリストのために死ぬことはたやすいが、キリストのために生きることは難しい。死ぬには1,2時間しかかからないが、キリストのために生きることは、日々死ぬことを意味する。人とキリストに仕える特権を手にできるのは、この短い生涯だけである。・・・自分が地上にいるからには、働く義務がある。・・・私はすべてが善であると考えている。それは天の父の財産であり、もし私がそれを捨てれば父が与えて下さった賜物を捨てることになる。この世は苦難と誘惑だらけとはいえ、本質的に悪なのではない。」

p209

「・・・神があなた自身のものとなれば、天地にわたる一切があなたのものとなる。神はあなたの父であり、あなたにとってすべてである。・・・」

p213

「私とともにたった1時間も目を覚ましていることができないのか、誘惑に陥らないように目を覚まして祈りなさい。とキリストはペテロに言われた。・・・ペテロはキリストを否定しようとしていた。このような大きな誘惑に陥ることがないように、キリストは彼に祈りを求められたのだ。だが、彼はその時間を浪費し、キリストを否定した。・・・キリストはこの時間を祈りに費やした。彼の祈りは聞かれ天からの御使いが彼を強めた。こうして十字架上で死ぬのに必要な力を得られたのである。ペテロがこの時間を祈りに使っていたなら、自分の誘惑に打ち勝つ力を得ていただろう。」

p236

「・・・罪の許しではなく、罪からの解放が救いである。・・・」

p238

・・・ある時、片手に獣糞の塊を載せて運ぶ清掃員を見た。その悪臭は吐き気を催すほどひどいものだった。だが、清掃員はすっかり慣れ親しんでいたため、空いているほうの手で食物を握り、口へと運んでいた。これと同じく、我々はこの世の罪悪に慣れ親しんでいるがために、それに生きることに何の呵責も覚えなくなっているのだが、キリストは清掃員が横を通り過ぎた時に私が感じたのと同じ気持ちを、この世の罪の中にあって覚えたにちがいない。・・・

p271

・・・キリスト・イエスについて知っている人は何億人といるだろう。だが、時空を超越して今も生き給う個人的イエスを知っている人は、どれほどいるだろうか。何十年に及ぶ宗教書の研究も、たった数分間に体験する生けるキリストの臨在に較べれば無に等しい。・・・そしてその体験を通して、自分がただの罪人の一人に過ぎなかったことを悟らされる。・・・かつては「自分に生きる」ことが生命の道だった。だが今やそれは死への旅路であり、キリストにあって死ぬことを通して、人は永遠の生命を新たに受けるのである。・・・

 


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