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ヘレン・ケラーはどう教育されたか

2016年10月27日 07時46分30秒 | 紹介します

 盲聾唖三重苦のヘレン・ケラーについて、知らない人はいない。そしてその家庭教師であるサリバン先生についても。「奇跡の人」という映画や劇を見たことがある人も多いだろう。ラストシーンはポンプからほとばしり出る水に手をかざしたヘレンが「W-A―T―E―R」と叫ぶ感動の場面だ・・・・
 しかし、そこに至るまでのサリバン先生とヘレンの苦闘、ああ苦闘と一言で片づけてしまうことは決してできない全身全霊をかけた二人の葛藤。
 ヘレン・ケラーの自伝「私の生涯」は広く読まれているが、ここにサリバン先生の側からの記録があるので紹介したい。

訳者である槇恭子氏のあとがきに
・・・ヘレン・ケラーの著書を読むと、精神の発達のある段階から次の段階への歩みが、多少とも思い出の甘い香りに包まれて、美化されている、という印象を受けます。けれども、サリバン女史の手紙を読むと、ほんの小さなステップにも多くの試行錯誤があり、ジグザグがあったことがわかります。特に、ごく初期の頃には、取っ組み合いのけんかをするような、赤裸々な魂のやり取りあったことがわかって、私たちに迫って来ます。感情が裸のまま飛び出る小さな野生が、服従ということを知るようになる過程も、結果からみればたったの一歩のように見えますが、その一歩は困難な長い、長い一歩でした。・・・ 

「奇跡の人、ヘレン・ケラー」として、大多数の人々はヘレン・ケラーが奇跡の人だと信じ、崇拝さえもしている。しかし、これを「奇跡を起こした人」と読めば、間違いなくそれはサリバン女史その人だ。映画の題名は[MIRACLE WORKER]である。・・・誰がアン・サリバンとヘレン・ケラーを結びつけたか。そのほかにも、誰が、数知れない無数の出会いを通して、この奇跡を現実へと導いたのだろうか?
「ヘレン・ケラーは1000年後も変わらず有名であり続けるだろう」と、マークトゥーエンは言っている。歴史のふるいにかけられてもなお光り輝く偉大な生涯をこそ、私たちは人生の目標とすべきであり、仰ぎ見るべきであろう。 

遠山啓氏の「はしがき」より引用すると
 ・・・本書を読めば、ヘレン・ケラーが決して奇跡の人などではなく、すぐれた教育の結果であることがわかるだろう。・・・そこでどのような教育が行われたかについて、私たちは次の二つの記録を持っている。一つはヘレン・ケラー著「私の生涯」であり、もう一つはここに訳出された「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」サリバン先生の記録である。前者は教育を受けた側の記録であり、後者は教育を授けた側の記録である。このように一つの教育の営みを両方の側から記録した例は珍しいことであるかも知れない。・・・また甘やかされていたヘレンをきびしく訓練するために家族から引き離して、一軒家に住むことにするというような、二十歳を越したばかりの若い娘にはなかなかできないことであっただろう・・・ 

以下本文からの抜粋
・・・アン・マンスフィールド・サリバンはマサチューセッツ州スプリングフィールドの、アイルランドから移民した貧しい家に生まれた。彼女は十歳の時に救貧院に入れられ、悲惨な少女時代を送った。さらに子供の時に目の病気を患って、ほとんど全盲に近い状態となり、そのため、1880年10月、十四歳の時に、パーキンス盲学校に入学した。幸い彼女の視力はその後いくぶんか回復した。1886年に卒業すると、アナグノス校長からヘレン・ケラーの家庭教師に推薦された。
 1887年1月までの約半年間の準備期間を経て、1887年3月よりサリバン先生によるヘレンの教育が始まった。ヘレンは1歳8か月の時にかかった重い病気のために聴力と視力を失い、この時まで何の教育も受けずにおかれていた。・・・
 以下ケラー家に到着後サリバン先生が、親友ホプキンス夫人(パーキンス盲学校の寮母)に宛てた手紙の抜粋。 

1887年3月6日
・・・私は家に近づいたとき、「ヘレンさんはどこですか?」とまっさきにたずねました。・・・戸口のところに立っている子供に気がつきました。ケラー大尉が「あれです。あの子は我々が誰かを一日中待っていることをずっと前から知っていて、母親が駅へあなたを迎えに行ってからというもの、ずっと手におえないくらい興奮していました」と話してくださいました。
 私が階段に足をかけるか、かけないうちに、ヘレンは私の方に突進して来ました。・・・彼女は私の顔や服やバッグにさわり、私の手からバッグを取り上げて開けようとしました。バッグは簡単に開かなかったので、かぎ穴があるかどうか見つけようと注意深く探ってみました。かぎ穴を見つけると私をふり返り、かぎを回すまねをして、バッグを指さしました。すると彼女の母が遮って、バッグに触ってはいけないと合図しました。ヘレンの顔はぽっと赤くなり、お母さんがバッグを取り上げようとすると、ひどく腹を立てました。私は腕時計を見せて、彼女の注意を引くようにし、ヘレンの手に時計を持たせてやりました。するとたちまち騒ぎは静まり、私たちは一緒に二階に上がりました。
 そこで私がバッグを開くと、彼女は熱心にバッグを調べました。おそらく友だちがおみやげのキャンディを入れて来たことがあるので、私のバッグの中にも何か見つけようとしたのでしょう。私は大広間のトランクと私自身を指さし、頭をうなづかせて、私がトランクを持っていることを理解させました。それから、いつも彼女が食べる時にする身振りをして見せ、もう一度うなづきました。彼女はすぐにそれを理解して、力強い身振りで、トランクの中におみやげのキャンディがあることをお母さんに教えるため、階下にかけ降りました。数分で戻って来ると、私の持ち物を片づけるのを手伝ってくれました。彼女が気取って私の帽子を斜めにかぶり、それからまるで目が見えるかのように鏡の中を覗くのは、とても喜劇的でした。
 これまで私はなんとなく青白くて神経質な子供を想像していました。・・・しかしヘレンは・・・大きくて丈夫そうで血色も良く、仔馬のようにたえず動いて、じっとしていることはありません。・・・ケラー夫人のお話だと、聴力と視力を奪われてしまったあの病気以来、一日も病気をしたことがないということです。彼女の頭は大きくて・・・顔つきは知的ですが、でも、動き、あるいは魂みたいなものが欠けています。口は大きくて、美しい形をしています。誰でも一目で、彼女が盲目であることに気づくでしょう。一方の眼は他方よりも大きく、目立って飛び出ています。彼女はめったに笑いません。私がこちらに来てから、彼女の笑い顔を見たのは、ほんの一度か二度です。また反応が鈍く、母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならないようです。ひどく短気で、わがままで、兄のジェイムスのほかは誰も彼女を抑えようとしませんでした。
 彼女の気質を損なわずに、どうやって彼女を訓練し、躾けるかがこれから解決すべき最大の課題です。私はまずゆっくり始めて、彼女の愛情を勝ち取ろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。
 ヘレンの疲れを知らない活動は誰をも感心させます。ここにいたかと思うとあそこというふうにどこにでも動き回り、一瞬たりともじっとしていません。手であらゆるものに触りますが、長い間彼女の興味を引きつけておくものは何もありません。
 かわいい子供です。彼女の休息を知らない魂は暗黒の中を手探りしているのです。教えられたことがなく、満足することのない彼女の手は、物をどう扱ってよいか分からないために、触るものは何でも壊してしまいます。
 私のトランクが届くと彼女は開けるのを手伝ってくれました。そしてパーキンス盲学校の少女たちが彼女に送った人形を見つけて喜びました。この時、私は今が彼女に最初の言葉を教える良い機会だと思いました。そこで彼女の手に、ゆっくりと指文字で、D-O-L-Lと綴りました。そして人形を指さし、うなずきました。(うなずくことは上げるという合図なのです。)彼女は誰かに何かをもらうときにはいつも、その物を指さし、つぎに自分自身を指さし、うなずくのです。・・・わたしはまた指文字をくりかえして綴りました。彼女はかなり上手に文字をまねて綴り、人形を指差しました。そこで私は人形を手に取りましたが、彼女が文字をうまく綴ったら人形をあげるつもりでした。ところがヘレンは人形を取り上げられてしまうと思ったのでしょう。たちまち怒りだして、人形をつかもうとしました。私は頭を振り、彼女の指で文字を綴ろうとしましたが彼女はますます怒ってしまいました。私はヘレンを力ずくで椅子に座らせ、押さえつけましたので、くたくたになるほどでした。こういう争いを続けることは無駄だと気づき、彼女の気をそらすようにしなければなりませんでした。そこでヘレンを放してやったのです。でも人形は渡しません。私は階下に行ってケーキを持って来ました。(彼女はお菓子がとても好きなのです。)私はケーキをヘレンの方に差し出しながら、手にC-A-K-Eと綴りました。もちろん彼女はケーキが欲しかったので、取ろうとしました。けれども、私はまたこの単語を綴って、彼女の手を軽く叩きました。彼女はすぐに文字を綴ったので、ケーキを与えました。ケーキを取り上げられるかもしれないと思っているらしく、大急ぎで食べてしまいました。それから私は彼女に人形を差し出して、もう一度単語を綴りました。そしてケーキの時と同じように人形を差し出したのです。彼女はD-O-Lと文字を綴ったので、私がもう一つLを綴ってから人形を与えました。ヘレンは人形を持って階下にかけ降りると、その日は一日中、どんなに誘われても私の部屋に戻って来ませんでした。・・・ 

月曜日の午後
 
今朝、ヘレンと大ゲンカをしました。・・・ヘレンの食事の作法はすさまじいものです。他人の皿に手を突っ込み、勝手に取って食べ、料理の皿が回ってくると、手づかみで何でも欲しいものを取ります。今朝は私の皿には絶対に手を入れさせませんでした。彼女も後に引かず、そうして意地の張り合いが続きました。・・・私は食堂のドアに鍵をかけて朝食を続けましたが、食べ物はほとんど喉を通りませんでした。ヘレンは床に寝転がって蹴ったり、叫んだり、下から私の椅子の足を引っぱったりしました。30分もこんなことを続けてから、私が何をしようとしているのか知ろうとして、起き上がりました。私が食べていることを彼女にわからせましたが、皿の中には手を入れさせませんでした。すると私をつねりましたので、そのたびに私は彼女をぴしゃりと平手打ちにしました。彼女は誰かそこにいないかとテーブルの周りをまわりましたが、私のほかは誰もいないとわかると戸惑ったようでした。数分後自分の場所に戻ると、指を使って朝食を食べ始めました。私がスプーンを渡すと、それを床に投げましたので、彼女を椅子から降ろして、スプーンを拾わせました。それからやっとのことでもう一度椅子に座らせ、手にスプーンを持たせて、それで食物をすくって口に入れさせるようにしました。数分後にヘレンは負けて、穏やかに朝食を終えました。つぎにナプキンをたたむ段になってまたけんかになりました。彼女は食べ終わると床にナプキンを投げ、ドアの方へ走りました。ドアに鍵がかかっているとわかると、また蹴ったり、わめいたりし始めたのです。ナプキンをたたませるのに成功するまで、それからまた一時間もかかりました。それから彼女を暖かい日光の中に連れ出しました。
 私は自分の部屋に上がると、疲れ果ててベッドに身を投げ出しました。私は思い切り泣いて気分がさっぱりしました。私が教えることのできる二つの本質的なこと、すなわち、服従と愛とを彼女が学ぶまでには、この小さな女の子と今日のような取っ組み合いのけんかを何回もやることでしょう。・・・ 

3月11日
 
この前あなたにお便りしてから後、ヘレンと私は「つたみどりの家」と呼ばれているケラー家の屋敷から4分の1マイルばかりのところにある一軒家に二人だけで暮らすことになりました。なぜなら私は家族と一緒ではヘレンの教育はできないと考えたからです。・・・彼女はこれまであらゆる人たちに対して暴君のようにふるまっていました。・・・何が欲しいか分かってもらえないことが、いつも感情の爆発のきっかけとなりました。そして成長して欲求が強くなるにつれて、癇癪もひどくなりました。
 彼女を教え始めた時、私はさまざまな困難につきまとわれました。彼女はどんなことも、苦い結果を生ずるまで争うことなしには一歩も譲りませんでした。彼女をなだめすかしたり、妥協することはできませんでした。たとえば、髪をとかしたり、手を洗ったり、靴のボタンをかけさせたりする、ごくごく簡単なことをさせるにも力ずくでしなければなりませんでした。・・・彼女の過去の経験や連想は、すべて私と対立しました。彼女が私に服従することを学ぶまでは、言語やその他のことを教えようとしても無駄なことが、私にははっきりとわかりました。・・・服従こそが、知識ばかりか、愛さえもがこの子の心に入っていく門であると確信するようになりました。・・・
 この一軒家には大きな暖炉と広々とした出窓のある真四角の広間があり、食事は母屋から運ばれて私たちはいつもそれをベランダで食べます。
 初めヘレンはひどく興奮して蹴とばしたり、ぎゃあぎゃあ泣いたりして、あげくの果ては混迷状態に陥ったりしました。しかし夕食が運ばれた時には、大いに食べて元気そうでした。それから夜の2時過ぎまで、取っ組み合い、つかみ合いをした挙句、ようやくのことで一緒にベッドに入って寝ることができました。
翌朝には、ヘレンはとても素直になっていましたが、ホームシックにかかっているようでした。彼女は母親を求めて何度も戸口のところへ行きました。彼女は一日中何回も人形に服を着せたり、脱がせたりして、彼女の母や乳母が彼女の妹である赤ちゃんを世話するのと同じように人形の世話をしました。・・・
 ヘレンは今ではいくつかの単語を知っています。でもそれらの単語の使い方や、物にはそれぞれ名前があるということは分かっていません。

3月13日
 
昨日、今日と、ヘレンと何のいさかいも起こしていません。彼女は新しい単語を3つ覚えました。私が物を示すと、彼女はその名前を覚え、迷わずにその単語を綴ります。

3月20日
 
私が手紙を書いていると、ヘレンは私のそばに座って、赤いスコットランドの毛糸で長い鎖編みをしています。彼女は今週ステッチを覚えました。そして仕上げることをとても自慢にしています。
 今では彼女は私にキスもさせますし、ことのほかやさしい気分の時なら、私の膝の上に1,2分の間乗ったりします。・・・大きな進歩、価値ある進歩をしました。この小さな野生児は、服従という最初の教訓を学び、そして拘束が楽なものだと気づきました。今や、この子供の中で動き始めている美しい知性を方向づけ、形作ることが、私の楽しい仕事となりました。
 ある日、ケラー大尉は、とてもご自慢にしているセッター犬のベルを連れて、私たちに会いに来られました。・・・犬が部屋に入って30秒とたたないうちにヘレンは臭いを嗅ぎだし、洗い桶に人形を投げ出すと、部屋を手探りしました。そして犬の首に腕をまわし、抱きしめました。それから彼女は犬のそばに腰を下ろすと、犬の足をいじり始めました。最初、私たちは彼女のしていることがわかりませんでした。でも彼女が自分の指でD-O-L-Lと綴っているのを見て、彼女がベルに綴りを教えようとしていることがわかりました。 

3月28日
 
私たちは昨日家に戻りました。・・・この2週間の間に、前進していく上での最大の障害は打ち破られました。私が頭を横に振ったり、うなずかせたりすることで表した「いいえ」と「はい」は、熱いと冷たい、あるいは痛みと喜びの違いのように彼女にとって、はっきりとした事実になったと思います。あれほどの苦しみと困難を通じて学んだ教訓が忘れ去られてしまうことは決してないでしょう。 

4月5日
 
・・・今朝顔を洗っているとき、彼女は水(WATER)という名称を知りたがりました。・・・朝食後井戸小屋に行って、私が水を汲みあげている間、ヘレンに水の出口の下にコップを持たせておきました。冷たい水がほとばしって、湯吞みを満たした時、ヘレンの自由な方の手にW-A-T-E-Rと綴りました。その単語がたまたま彼女の手に勢いよくかかる冷たい水の感覚にとてもぴったりしたことが、彼女をびっくりさせたようでした。彼女はコップを落とし、くぎ付けされた人のように立ちすくみました。
 新しい明るい表情が浮かびました。何度も何度もW-A-T-E-Rと綴りました。それから地面にしゃがみ込みその名前を訊ね、ポンプやぶどう棚を指さし、そして突然振り返って私の名前を訊ねたのです。・・・家に戻る道すがら彼女はひどく興奮していて、手に触れる者の名前をみな覚えてしまい、数時間で30もの新しい単語を付け加えることになりました。
 翌朝、ヘレンは輝く妖精のように目覚めました。彼女は次から次に物を取り上げてはその名前を訊ね、大喜びで私にキスしました。昨夜私が床につくと、彼女は自分から私の腕の中にすべりこんで来て、初めて私にキスしたのです。私の心ははりさけるようでした。 

4月10日
 
ヘレンが1日ごとに、というより一時間ごとに進歩しているのが私にはわかります。ヘレンにとっては今やものはすべて名前を持っていなければなりません。どこに行っても、家では聞いたことのない物の名前を熱心に訊ねます。・・・言葉を使うことができるようになると、今まで使っていた合図や身振りをやめてしまいました。そして新しい単語を覚えることはヘレンの無上の喜びとなりました。私たちは彼女の顔が日毎に表情豊かになっていくのが分かります。
 ・・・私は赤ちゃんの耳に話しかけるように、ヘレンの手に話しかけることにします。彼女も普通の子供のように真似をする能力があると思います。彼女に正しい文で話しかけ、必要な時には、身振りや彼女特有の合図で補うことにします。でも、私は何かひとつのことに彼女の心を留めて置こうとするつもりはありません。彼女の心を刺激して興味を起こさせるために全力を尽くし、結果を待つことにします。 

4月20日
 この新しい計画は素晴らしくうまく行っています。今ではヘレンは百以上の単語の意味を知っており、現在自分が大変難しいことをやってのけているのだということはつゆ知らず、毎日新しいことを学んでいます。ちょうど鳥が飛ぶことを学ぶように、彼女もそうせずにはいられないから学んでいるのです。・・・ヘレンも一つの単語で全部の文章を表現します。・・・でも私がヘレンの手に「私にパンを下さい」と綴ると、彼女は私にパンを取ってくれますし、「帽子を取っていらっしゃい。お散歩に行きましょう」と言えば、すぐにその通りにします。・・・一日の内に何回となくこれを繰り返すことによって、時が経てば、文章全体が彼女の頭に印象づけられるでしょう。また、やがて自分で文章を使うようになるでしょう。・・・ 

5月8日
 
・・・子供は好きなようにさせておくと、たとえ目立たなくても、より多く、より良く考えるものです。・・・子供を自由に行ったり来たりさせたり、実物に触れさせたり、自分で感じたことをまとめさせるべきです。・・・

5月16日
 
・・・散歩のあと私たちはいつも夕食の頃には家に帰ります。帰ると、ヘレンは自分の経験してきたことをすべてお母さんに話したがります。自分に話されたことを他人に話したいという欲求は、著しい知的な進歩を示していますし、また言葉の習得にとってはかり知れない刺激になっています。・・・このことは、他人に誉められることを喜ぶ子供の心を満足させ、物事への興味を長続きさせます。これが真の意志交換の土台となります。・・・ 

5月22日
 
・・・ヘレンは素晴らしい子供で自分から熱心に学ぼうとしています。彼女が最初の単語を覚えてから、まだ3か月もたっていませんが、今では300ほどの単語と、とてもたくさんの慣用語を知っています。活発な精神の目覚めと成長、そして最初のかよわい苦闘を見守ることができるのは滅多にない私の特権です。・・・そしてこの輝かしい知性を呼び覚まし、導くことが私に委ねられているのです。・・・ 

6月2
 
・・・ヘレンは話すのと同じくらい読むことに熱中しています。彼女が文脈からまだ知らない単語の意味をつかみ、全体の文章の趣旨を把握してしまうのが分かります。彼女の熱心な質問は、彼女の心の成長やその非凡な能力を示しています。・・・すでに皆がヘレンに深い関心を抱いています。ヘレンに会った人は誰でも感動します。彼女は普通の子供ではありません。・・・でも、できることなら、私の美しいヘレンはいわゆる神童なんかにしたくありません。 

7月31日
 
・・・彼女は今疑問を出す時期にさしかかっています。一日中「何か?」とか、「なぜ?」とか、「いつ?」、特に「なぜ?」の連発で彼女の知能が発達するにつれて質問もより執拗になってきます。・・・これらの質問は子供たちが物事の原因について興味を持って来たことを示しています。「なぜ?」という問いは、理性と内省の世界に入る扉です。・・・ 

8月28日
 
・・・子供たちの観察力や識別力が高まって、物事についてよく知ろうという欲求が湧き上がってくる時に、彼らに虚偽やたわごとを言うのは、非常に大きな間違いだと思います。最初から私はヘレンの質問にはすべて、できる限り彼女にわかりやすいように、しかも真実を答えることを実行して来ました。・・・ある時、私はヘレンを連れ植物学の本、「いかに植物は成長するか」を持って、以前よく本を読み勉強した木の上に一緒に登って、植物の一生について、できるだけやさしい言葉で話してやりました。彼女が春に蒔いたトウモロコシや豆やスイカの種のことを思い出させ、庭に生えている背の高いトウモロコシや、豆やスイカのつるはみなその種子から育ったものだと教えました。大地はどのようにして種子に温度と湿度とを与え、やがて子葉が伸びて来て充分に強くなると地表から顔を出し、光と空気に触れ、そこで空気に触れ成長する、後に花を咲かせさらに種子を作る、この種子からまた新たに植物の赤ちゃんが育って来る、ということを聞かせました。植物と動物の類似性を引き合いに出して、種子はちょうど鶏や野鳥の卵に相当すること、そしてお母さんめんどりは、ひよこが生まれるまで卵を温め、乾かすことを話しました。そうして彼女にすべての生命が卵から生まれることを理解させました。母鳥は巣で卵を抱いてひな鳥が孵化するまで温めること、成魚は稚魚が孵化するまで湿気があって安全な場所に卵を生みつけること、卵こそ生命のゆりかごと呼ぶべきだと教えました。
 次に、犬や牛や人間やその他の動物は、卵を産まないが、自分の体の中で子供を育てるのだと話しました。もし植物や動物が子孫を後に残さなかったら彼らは生き続けることができなくなり、世界中のものは滅びてしまうだろうということを分からせるのは難しくありませんでした。けれども性の機能についてはできるだけ軽くしか触れませんでした。それでも生命を維持するには愛は重要な役割を果たすということは彼女に分からせようとしました。この問題は難しく・・・私の説明はつまづいたり、ためらいがちだったりして不十分ではありましたが、かわいい生徒の心の感じやすい糸に深く触れたと思います。・・・

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 こうしてサリバン先生の記録は連綿と続くのだが、最後にクリスマスの時の光景を綴ってみよう。
 ・・・誰もが、特にケラー大尉と夫人は、今年の素晴らしいクリスマスと昨年のクリスマスとの違いにとても深く心を動かされました。去年ヘレンはクリスマスに全く無関心だったのです。私たちが階下に降りて行くとケラー夫人は目に涙を浮かべて私におっしゃいました。「私は神様があなたを私たちのところへおつかわし下さったことを、毎日感謝しています。でも、今朝ほど、あなたが私たちにとって素晴らしい天のお恵みであると思ったことはありません。」
 大尉は私の手を取り、何もおっしゃいませんでした。でも彼の沈黙は言葉よりも雄弁でした。私も感激の気持ちと荘厳な喜びでいっぱいでした。・・・ 

 最後にヘレンの編集者であり、大いなる理解者の一人であった、ジョン・メーシ―のメモから引用する。
 ・・・ヘレン・ケラーの成功は、生まれつきの能力によるか、あるいは彼女の受けた教育方法によるものであるかという議論が何回もなされた。
 サリバン女史の10倍の能力のある教師でも、生まれつき知能障害のある子供を、ヘレン・ケラーのような素晴らしい生徒に育てることは不可能であるというのは確かである。しかしまた、ヘレン・ケラーの能力が10倍あったとしても彼女が最初から、そしてまさに最初に良い教育を受けなかったとしたら、今日ある彼女のようには成長しなかったであろうことも確かである。・・・その教育は健康だが耳の聞こえない子供の教育に応用することができるし、さらに広く解釈して、すべての子供の言語教育に応用することができるのである。
 *ブログ作者注・・・すべての人間の精神的発達のための教育?このことについては次のブログで論ずるつもりである。 

 参考文献、およびユーチューブなどでの紹介動画

・ヘレン・ケラーはどう教育されたか―サリバン先生の記録;アン・サリバン著、槇恭子訳/明治図書刊

・わたしの生涯;ヘレン・ケラー著、岩橋武夫訳/角川書店

・   https://www.youtube.com/watch?v=FBGjwMtxJyI 

  「奇跡の人 2000」日本語字幕付き The Miracle Worker with ... 

・     https://www.youtube.com/watch?v=zZsgEQaogVg

   「1962 ;The Miracle Worker」

・     https://www.youtube.com/watch?v=HGoYZ4oOmYU 

  「ヘレン・ケラー 輝ける魂

https://www.youtube.com/watch?v=DtwMLdyDn-M

その時歴史が動いた ヘレン・ケラー