良い本を電子化して残そう

管理人の責任において、翻訳、または現代語による要約を紹介しています。

砂漠の預言者 ベン・グリオン

2009年05月19日 22時29分44秒 | 紹介します。


砂漠の預言者 ベングリオン

ネゲブの砂漠を「緑の園」に!
この夢に生涯を懸けたイスラエル建国の父

 という副題で大西俊明氏が著した力作である。
 2000年以上にもわたって世界を流浪してきたユダヤ人の歴史の中で、20世紀においてユダヤ民族として決して忘れることのできない2つの事件が起こった。ひとつは全ユダヤ人の3分の1が殺されたと言われるホロコースト(大虐殺)であり、もうひとつは民族としての永年の夢であったイスラエル国家の建設である。この建国のために奔走し、志半ばで斃れたテオドール・ヘルツェルの理想を引き継ぎイスラエルを独立に導いたのが、後に初代首相となったダビデ・ベングリオンである。彼は独立戦争以来、二度にわたるアラブ諸国との戦争においてイスラエルを勝利に導き、全世界に離散していたユダヤ人の祖国への帰還を促進した。そして驚くべきことにその人口を開拓当初の10倍近くに増大させたのである。彼は小国イスラエルの首相ではあるが、どの大国の指導者以上に政治家としても素晴らしい業績を上げている。しかし彼の首相としての足跡以上に、その生き振りが、今私に強く訴えて来るのでここに紹介したい。
 それは、彼が67才にして、首相の座を捨ててネゲブの開拓キブツに移り住み、若者たちに挑戦する心を自らの行動を持って示したということである。
 この時の情景を本書から引用すると
 「1953年12月13日の日曜日に、国防省のトラックが、テルアビブにあるベングリオンの家から荷物を運び出し、スデーボケルに送り届けるために来ていた。多数の群集が集まっていた。目に涙を浮かべたり、ハンカチで目を押さえている人も多数いた。ベングリオンが車に乗る時に言った。『泣くのは止めて、私について来たらどうですか。』“Do not weep. Follow me.”(BEN-GURION. Robert ST. John, P246-249)
スデーボケルという砂漠に移り住むという彼の決意の背景、理由については色々言われているが、間違いなく言えることは、彼は自らそこに住むことによって、若者たちに範をたれ、自分について来いということを伝えたかったことである。彼は固い確信を持っていた。それは若者に挑戦する心を取り戻させたいという強い思いである。「今の若者にはこの挑戦する心、精神、パイオニアスピリットが弱くなってしまった。あの独立戦争の時の戦う意思、挑戦する心を取り戻せ」と強く思っていた。・・・p41
 彼はネゲブの砂漠という、1年のうちたったの5日間しか雨が降らない、乾ききった大地に水を引き、そこを緑の沃野に変えることによって、多くの人々が定住し豊かな生活を営めるようになることを夢見ていた。
 しかし、それは単なる夢ではなかった。現在イスラエルのネゲブ砂漠は北方のガリラヤ湖からのパイプラインを通して引かれてくる水と地下から汲み出す水によって、各種の野菜が生産され樹木が植えられているばかりか、その水を利用した大規模な養魚場まで建設されている。
 本書は多岐に渡ってこのベン・グリオンの業績を書き連ねており、是非とも一読をお勧めしたい。
 地球は年毎に砂漠化していると言うことを聞く。森林伐採の結果、気象条件が変わり、降雨量が減少したことが原因だ。地球温暖化もこれに関わっているらしい。
 ここからは私自身が感じていることなのだが、砂漠化は地球という外的環境にだけ起こっていることなのだろうか?それ以上に人間の心の中にはびこりつつあるのではないだろうか?現代は人間疎外による不信がはびこり、利己的にしか生きられない精神の荒野であり、生命が枯渇しつつある砂漠ではなかろうか?
 イギリスの思想家トーマス・カーライルはサーター・リザータスという、彼の代表的な著述の中の「永遠の肯定」という章の中で、キリストの公生涯最初の試練となった荒野の誘惑を回想しつつ次のように書いている。
<何とでもそれを名づけるがいい。目に見える悪魔を相手にしようと、そうでなかろうと、あるいは、岩と砂でできた、自然の荒野におろうと、大多数の人間の、私利私欲に満ちた道徳的荒野におろうと―そういう誘惑を受けるように、我々はみな、呼び出されているのである。・・・我らの荒野は無神論的世紀における広い世界であり、我々の四十日 は苦悩と断食の長い年月である。・・・>
つまり現代における砂漠は、大多数の人たちにとって精神的なものであり、私たちひとりひとりはこの荒野(砂漠)に挑戦することによってほんとうの生きがいが与えられるのではないだろうか?
 高齢化社会の中で人生の戦いを終え、今や悠々自適の生活を送り、残された人生を楽しもうとしている人たちを私の周りでも多く見受ける。それがその人にとっての人生の結論ならばそれも良いだろう。
だが、ベン・グリオンはそうではなかった。首相という名誉ある地位を捨てて67歳にして一介のキブツ労働者として砂漠に出て行ったのである。彼は言う。
「私について来なさい!」
 精神的荒野(砂漠)と言っても、それぞれにとっては具体的なものでなければならない。それは職場の人間環境であろうか、自分の住む社会の環境だろうか。渇いた心に注ぐべき生命の水は、何処から引いて来たらいいだろうか?何はともあれ、まず自分がその生命の水に潤されるところからすべてが始まる。
 行動せよ、行動せよ、生ける現在に!Act act in the Living Present!・・・人生の詩篇 ロングフェロー

 以下本書に紹介されているベングリオン語録よりの抜粋・・・
・「開拓者たることは、エリートと卓越した者の占有物ではない。それらは全ての者の魂に、生まれつき備わっているものである。そこには隠れた精神的な力と特性、そして財宝が存在しているのであるが、そのうちのごく限られたものだけが、現れているにすぎない。」・・・ 「イスラエルにおける勇気の召還」1951/52
・「この開拓者精神という奇跡の力によって、我々の国民は“離散”の中で身についてしまった習慣に抵抗し、根絶し、政治的困難に抵抗し、そして勝利し、我々の国の貧困と荒廃と戦い・・・そしてその荒廃した地域を立て直した。」・・・ 「イスラエル、挑戦の歳月」p203/4
・「若者の教育において、我々は我々の預言者によって伝達されてきた偉大な人類の理想を無視してはならない、すなわち正義と親切であること、人間の同朋意識、そして人類を愛することである。我々は子供の心に、欠乏と悪事と搾取がなく、平等と正義、創造的兄弟愛、自由そして相互の寛容性があるような、よりよい社会に向けての切望を植えつけなければならない。」・・・ 「ユダヤ人の存続」1953/4

*なお残念ながら本書は著者に問い合わせてみたところ、絶版状態であるとのことである。但し1年後に改正増補版を準備しているとのことなので、希望者は小生の方にメールで予約をお願いしたい。どうしても限定版になってしまうので予め冊数を把握しておきたいためである。小生のメールアドレスは以下の通り
oyamakuniopy@gmail.com