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朝日記210406 (続き 6)翻訳 マイノング 5.3 マイノング学派のカテゴリー表

2021-04-06 17:09:44 | 絵画と哲学

 朝日記210406 (続き 6)翻訳 マイノング 5.3 マイノング学派のカテゴリー表

 

5.3 マイノング学派のカテゴリー表

5.3.1 実在モードの境界線ケースとしての外側-実在

5.3.2  Meinongのカテゴリーに関する非-意図的テーブル

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5.3 マイノング学派のカテゴリー表

A Meinongian Table of Categories 

5.3.1 実在モードの境界線ケースとしての外側-実在

Outside-Being as a Borderline-Case of a Mode of Being

 

Meinongは、outside-being(;外側-実在)において、実在のさらなるモードがあるか、もしくはまさに実在の欠如であるのかの質問を繰り返し提出した(1904b, §4; 1910, §12; 1917, §2; 1978: 153–4, 261, 358–9, 377)。

彼は最終的にoutside-being(;外側-実在)をある種のborderline case(;実在の境界線)のケースとして翻訳したのである(1910: 80 [62])。

すべての対象は分かる(知覚)前に実在している、つまり、対象はこころにpre-given [vorgegeben];先入付与されている、そして この付与されていることが外側-実在の存在論的な地位を担うものである。

 

Meinongの判断の区分けとしてつぎのふたつの版がある;ひとつはなにかあるものがso and so [Soseinsurteile] (;“斯く斯く”ある)[1]という状態の判断、もうひとつは、mode of being of an object [Seinsurteile](;ある対象が実在するモード)[2]についての判断のである。 

そして斯く実在するもの[3]の最も一般的な決定は ひとつの対象として実在するもの[4]であることであり、そして これは実在のもっとも一般的決定はoutside-being(;外側-実在)である。

あるconcept of an object(;対象の概念)は認定された種属や差異の項目で定義されることはできない。

それはnegative counterpart(;否定的対抗相手)をもつものではない、そしてそれと対応するoutside-being(;外側-実在)も、またnegative counterpart(;否定的対抗相手)も持たないようにおもえる(1921a, Section 2 B: 102–7)。

 

しかしこの要求は1917/18 (1978: 377–8)からの講義ノートにおいて挑戦化されたものである、ここではMeinongは negative outside-being(;否定的な外側-実在)のケースを討論した、たとえば いわゆるdefective objects(;欠陥対象)である。この対象は嘘つきがのべるのような逆説、またはひとが分かることのできないような対象へののみこみを含む対象。

( 1917, §2: 22–4 [20–1]もまた見よ)ここには 彼は外側-実在を欠く何か典型的なケース、たとえば丸い四角を具体的に取り上げている。)

1910 (1978: 227)年からの講義ノートでは、Meinongもまたabsurdities馬鹿さ加減のもの;ナンセンス[Unsinn]の例についてのべている、そして、丸い四角のようなinconsistency [Widersinn](;非一貫性)のケースとナンセンスとを対比しようとした。 

Meinongは暫定的に そのようなinconsistency(;非整合性)をincompatible determinations [Unverträgliches](;非整合な決定)を含む何かがあるものとして定義した、しかし そこではナンセンスというものが全く、理解の不可能ななにかでるとして、そのまま理解可能としている。

“ピアノの上から奏が滴り落ちるイングの汚れ”、“緑の勇気”、そして“故あって舗装された自動車”はそのまま分かることのないナンセンスであるようにみえる。

終わりに、しかしながら、Meinongはnonsense(;ナンセンス)をmere inconsistency(;単なる非一貫性)[5]から区分けすることを断念した。

Meinongが指摘する点はむしろ、つぎのことである;最初の二つの例が異なるグループの決定を混同してしまっているにもかかわらず、彼の対象の理論はそれらの非整合性を基準にして記述する、そしてそれはこの種の不整合の結果を与えてしまうのである。最後の例は言語学的適正さのみであり、なんら対象の理論的な適正さを含まないのである(cf. also 1978: 385–6)。 

 

5.3.2  Meinongのカテゴリーに関する非-意図的テーブル

Meinong’s Non-Intentionalistic Table of Categories

 

もしひとがparadoxical and nonsensical cases(;逆説的なものおよび非感性的なケース)を除外するなら、modes of being(;実在のモード)にもとづくMeinongのカテゴリー表は以下のごとくになる;

 

(和訳表)

I.
Objects 対象

(すべてのものは対象である、そしてすべての対象は外側的存在であるoutside-being [Außersein])

I.A.
Objects that have being

実在を所持する対象

I.B.
Objects that do not have being

実在を所持しない対象

I.A.1.
Real Objects

現実的対象

(下位的存在であると同時に存在する)

I.A.2.
Ideal objects
理想的対象

(下位的存在としてのみ)

I.B.1.
Objects that have non-being

非-実在を所持する対象

I.B.2.
Objects that are not determined with respect to being

実在にかんして決定されない対象

I.B.1.a.
Noncontradictory Objects

非矛盾性対象

I.B.1.b.
Contradictory Objects

矛盾性対象

Complete objects

完全対象

Complete objects

完全対象

Complete objects

完全対象

Incomplete objects
不完全対象

その非実在は“明示的に予見されるもの“

([ausdrücklich vorgegeben], 1915: 740)

Complete or incomplete objects

完全または非完全対象

Incomplete objects that are not contradictorily determined and their non-being is not “explicitly presupposed”

非完全対象であるが矛盾的に決定されるものではなく、且つそれらを非事実性については“明示的に予見されるもの“ではないもの

例;ドーナツ

(私の目の前のテーブルの上のそのドーナツ)、星など;判断のよう事態、のぞみ 

例;

そのobjectives(

そのテーブルの上に実在する私のドーナツの事態);

冷蔵庫に実在いしない私のドーナツの事態; 私の目の前のドーナツの数

例;

そのテーブルの上のドーナツだがバニラではなくチョコレート製; 冷蔵庫に実在する私のドーナツの事態; (“ドーナツという一般”のプラトン的理念(プラトン主義は失敗なら)

例:ドーナツでできた山

 

; その黄金の山; 永久駆動機械

例:一つの穴のない輪の形状のドーナツ

;丸い四角

; すべての群からなる群; 最大の素数; tそのテーブルの上のドーナツだが、物性の完全な群をつくるためにあるある物性を付加する。

例:

斯くなるドーナツ:  (Sections 5.4.3 and 6をみよ)

私のドーナツ(Sections 5.4.3 and 6 を見よ); 唯一の物性が青い実在である対照; その三角形

 

 

 

 

 

 

 

 

Being実在はふたつのモードを持つ、すなわち existence;存在性)、これは時間とつながっている、そして mere subsistence(;,単なる付加的(存在))、これは非時間である(1910: 64 [52])。

さらにMeinongは言及する;existence(;存在性)はsubsistence(;付加的(存在))を含有する、そしてnon-subsistence(;非⁻付加的(存在))はnon-existence(;非-存在性)を含有する(1910: 64 [52])。 

(まず、すべてのobjects(;対象)はexist(;存在する)というa fortiori 的な前提を設ける)[6]、 下位的(存在)するすべての対象は完全に決定される、しかしすべてのcomplete objects(;完全対象)がexist(;存在)もしくはbeing(;実在)を持たない(1915, §§25–7: 169–202)。

 ideal–real distinction(;理念-現実区分)は以下の用語で説明されることになる;“existence(;存在性)”, “subsistence(;下位的(存在)”, そして“mere subsistence(;単なる下位的(存在))”。

 

1978年に, (252–3, 366–7), Meinongは、対象のreal (;現実性)についてつぎの二つを示した;

  •  Exist(;存在する)もの(=“externally real [äußerlich real](;外的現実”))、例として、わたしの椅子やわたしの願い
  •  それらの自然によって存在することができるであろうもの(= internal reality[innere Realität], ibid. (;内的現実))、例として わたしの黄金の椅子 。物理的および心理学区的ものはreal(;現実)である。

 

ある対象がsubsists(;付加的(存在))であって、かつ存在するなら、これは。real object(;現実的対象)である。しかしもしある対象がsubsists下位的(存在)であってcannot exist(;存在していない)なら、その対象はideal object(;理念的な対象)である。(これは merely subsist(;単なる下位的)存在としてのみの存在として位置づける、) 

 

かくして、ideal objects理想的対象は正しく、exist.存在するということは決して言えないものである。

下位的存在でない理想的対象は実在する、たとえば biangle(;角度を二重にもつようなもの)や 朝の星と夕べの星との間の非-同定性。

理想的対象のさらなる例をあげると、不在のもの、限界、椅子の数(存在、非存在とも含み)、相似性、そして objectives(;オブジェクティブ)である1899, §6; 1910, §12)。

 

[1] so and so [Soseinsurteile]

[2]  the mode of being of an object [Seinsurteile] 

[3] so-being

[4] being an object

[5] incompatibility

[6] a fortiori all objects that exist


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