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朝日記231108 橘樹住香 秘帖ひすれかをりやまくさ(2023/11/14加筆版1)

2023-11-08 16:53:51 | 絵画と哲学

朝日記231108 橘樹住香 秘帖ひすれかをりやまくさ (2023/11/14加筆版1)

 

(初出し:  HEARTの会会報no.115 2023年秋季号 ISSN2186-4454)

―祕帖より―

ひすれしかをり やまとくさ

会員 橘樹 住香

 

 





 

 

 

 

室町 源義満

 

吉田秋光   住香庵

 

                        

清和帝のみこ みなもとをたまはり そのなかれに あの源

八幡太郎義家 源征夷大將軍頼朝は鎌倉府を開闢 弟の源義光

は三井寺にて 新羅明神の前にて元服 源新羅三郎義光を名のる


こから武田信玄へ 會員の青木保男はその流れをくむといふ

                             住 

會員の 大江敏行と七才の春から學ひ舎をともにし 十五の春 生物部に誘はれ 先生のちからそへにて 牧野富太郎植物圖鑑を 六十年も手もとに

 宿河原から化石の山の長尾へ   

胴亂を肩に先生とつれたち草草を集む 五十年をこゆる月日 草いきれにとけこみここに住まふ 草草の多様さは倭國の七番と 

 草花の神さま牧野富太郎は倭國原産の「やまとくさ」となつけ 初めて萬國にくり出す

住香庵

  

 

「水兵の亡びの鉄を洗い来し潮(うしお)のみどり生者のみどり」

昭和四十七年佐佐木幸綱『直立せよ一行の詩』青土社の「鉄」の一首

この歌集には愛唱されいる「竹に降る雨むらぎもの心冴えてながく勇気を思いいしなり」を巻頭に「直立せよ一行の詩 陽炎にゆれつつまさに大地さわげる」の題名ともなる歌のおさめらる あえてこの歌にひきつけらるるは 戰後78年をへ ますます風化される大東亜のいくさにおもひをはせ その風雲のなかに 少年の日々の佐佐木幸綱をおもふ

昭和18年の6月8日桂島の戰艦陸奥は主砲火藥庫から火を吹き 1474人の乗組員のうち1100余人は陸奥と運命を共にす 昭和45年その陸奥の40m主砲四番砲塔の引きあけらる

「海軍に憧れし少年期が錆びて沈める海を湛えし三十路」

「かつて戦艦陸奥と呼ばれし日のありて鉄が吐き出す水を」

「十年早く生まれ来しかばこの艦と共に亡びし夢疑わず」

廣い海原に偵察機は 飛へとも 々 何もみつけられぬも 敵は日本海軍の暗号解読と レーダーにて 人ころしの段取りを たんたんとすすめる 倭國の艦隊は双眼鏡 明け方のまっくらな闇の雨雲に三百数十機の戰鬪機をかくし しられぬやうに戰艦大和に襲ひかかる

   住香庵   

 

 

時の通信兵より おほつつを一発もうたぬ いくさとならぬ ひたすら味方のうたれ 死の淵をかひくくり くやしき思ひをかたる 

明け方 漆黑の海にまっ黑なたれ雲か 海原から戰艦大和におほひ いきなり戰鬪機の次から次へとまちかにおそひかかり ダダ々々とうちこむ 「艦長、大砲をうたせて下さい」という聲の いくとも々 指令室に鳴りひびき いまもその聲のなこりに ああ…ふかき慟哭に胸のさかれる日々を いくさののちは美濃の中學の校長になるも 海軍ののちは余生と こころにおさむ

くろかねは萬國をぬきん出るおほつつをつかはぬまま 撃沈となり 退避勸告の發 せられ 極限の恐怖にはりつめ 人をもとめ 甲板のひとつ所に 千人ほとのますらをの右往左往 その下は彈丸のむろ 魚雷の火藥庫に命中 次から次へと火を噴き 紅蓮のほのほに五軆炸裂 をしいかな なんと海軍兵學校 國立帝大なと このさき國をになふはすの ますらをたちそ 艦とともに指令室は最後に海原に沈み 大爆發となり40メートルのみなそこから空にふきとはされ この通信兵は息をふきかへす

大戰ののち かなしいかなや多くの秀才をなくし いきのこりの若者は夢と志をうしなひ ちんぴらとなってゆく いつれ復興に携わるも その流れはいまも ちんぴら国家へ続くやうに思へてならぬ

1945年2月ヤルタ會談の公文書にチャーチルとトルーマンは Germanではなく Japanではなく中性子をいくつ使ってもJapaneseをころせというやりとりのあるといふ チャーチルは自傳をかきノーベル文學賞なるも おのれは平和賞にふさわしいと…ノーベルのこころさしは人ころしなのか

日の本は大砲にまけしも 倭國の神々はまけてはいない しかし大戰ののちは鎮守の森の五百近く失はれ 町内會館や子供の遊ひ場やスポーツ廣場となってゆく 倭國はやほよろつの神々へのおそれをなくし 倭國の人の心もまけとなる

コロナにより國はまひし 烏露のいくさのいきつくところはみえぬ テレビをつけるとかたりは70年も日本は惡 いくさは惡と くりかえすうち しらぬまに あれゝ なんと中性子をきそふ世界 G7の廣島に集ふも おそましき戰の大將をまねくとは

日の本もきなくささへむかふのか いさ鎌倉に そしてまた若人のいのちもさらさる

              

・家守りし 妻のめぐみや 

わがまなび よのなかの 

あらんかぎりの スエコ笹

 

・草をしとねに きのねを枕     

花と恋して 五十年

        牧野富太郎

歴史資料 開戦詔書

 以下に拡大したコピーを掲載します。

朝日記231114 歴史資料 開戦詔書原文


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