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、明金沢市は120年前、明治22年(1889年)の4月1日に当時の金沢区(大区小区制)は全国35の都市とともに全国でもっとも早く市制化されて金沢市になり、4月1日で120年を迎えた。
120年前(明治22年4月1日市制施行日)の日本の総人口は大よそ4000万人で人口は都市に集中せず当時の人口ランキングは下図の様であった。
・日本の人口は1888年12月31日現住人口[1]
・都市の名称および人口は1889年12月31日時点のもの。
・太字 : 1889年4月1日市制施行の都市。(Wikipedia)
江戸時代の行政区画は旧国名に郡・町と村があり町は城下町・宿場町や北前船の寄港するのが町でそれ以外は農漁村の集落だと思うのですが間違っているかもしれませんが次のことが解りました。
明治以前の金沢の人口は名古屋と同じ程度で4.5番目を争っていたようです。 江戸時代最大の大名であった前田氏の城下町であった金沢は隆盛を極め、江戸時代の大都市でした。 当時、横浜・神戸・川崎・千葉などは田舎の漁村かちょっとした港町程度で、札幌は存在しません。
一方で、名古屋・金沢・仙台・広島といった交通の要衝にある大大名の城下町には武士・町人が暮らし人口は多かったようです。 また、この時代は農村人口が非常に多くて、都市に人口が集中していなかったのが特徴です。
江戸が百万人を超えていた他は、大阪で30万人、京都で20万人程度の人口で、次が金沢・名古屋の10万人前後です。 人口は時代が古いほど金沢が優勢で、幕末に近くなるほど名古屋の人口が増えていきます。 明治に入ると都市への人口集中と大規模な港や鉱山の開発が始まり、太平洋側の都市の人口爆発が起こります。 特に大阪などは幕末から大正にかけて人口が4倍になっていす。
120年以前の金沢の町は加賀百万石の名とおり大都市だったとうかがえます。 現在の行政区画制度の都市の人口ランキングでは金沢市が約46万人で37位、富山市が約43万人で40位、福井が約27万人で83位となっています。
「平成の市町村大合併」の時、新潟市は日本海側で最大の行政区画都市を目指し日本海側で初めての政令都市となりました。 我が直系のご先祖は新潟県西蒲原郡岩室村にありますが、同じ明治22年の市制施行で隣接4村を合併し新しい岩室村(現在9千人強)となりましたが平成の市町村大合併で村は新潟市西蒲区です。 新潟市西蒲区は“越後米”の大生産地ですが新潟市(78万)は大田園(田圃)の政令都市となりました。
以前、地方の大都市広島(115万)・仙台市(105万)・静岡市(70万)も政令都市を目指し大合併して政令都市となりましたが、今度は岡山市(68万)が政令都市として誕生するようです。 政令都市が良いのかどうか分かりかねますが120年後の政令都市はどのような都市になっているでしょう。(日本が道州制になった時の首都を目指しているようですが)
金沢市は「平成の市町村大合併」の時は隣接する町の意見を重んじ無理な合併はしませんでした。 現在の首長は「和協一致」「温故知新」をモットーに金沢を質実をともなった文化都市を目指しているように思われます。
人口増による政令都市は国の行政を県庁同様代行するそうですが、金沢には主務省庁の出先機関が昔から多くある都市です。 新幹線が開通したら人口の制限に係わりなく道州制の首都にふさしい都市となるとおもう。
今日の午前中は冬型の気圧配置で冷たかったが、午後から西から高気圧が張り出してきて明日から本格的な春の陽気となるようだ。 Walking途中、白い花が咲いていたので聞いてみると“スモモ”だそうで初めて見る花だった。
・9007歩
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