共存共栄主義を世界中に広めよう

世界中の人間同士の共存共栄だけでなく、地球上のすべての生物との共存共栄を求めていくのが、今後の私達人間の役割なのです。

イエス・キリストの嘆き(なげき)

2007年10月17日 05時16分06秒 | Weblog
もしも、イエス・キリストが現在のキリスト教信徒達(主に白人)の行う行為を、生きて目撃することがあれば、嘆き(なげき)と悲しみの果てに、自ら死海(しかい=中東地域にある湖の名前)に飛び込んで自殺を選ぶに違いない。

(仮にイエス・キリストが死海に飛び込んで入水自殺しても、死海は海水よりも塩分が濃くて人間の体は沈まないのでおぼれ死ぬことはないが…)

はっきりいって現在のキリスト教は、イエス・キリストが生きていた当時に布教(ふきょう=教えを説いて各地を回る事)を行ったとされる宗教とは、まったくの別物である。

現在のキリスト教は名前としては一応はキリスト教なのだが、神からのメッセージを伝える役目の伝道師に過ぎないイエス・キリストを、この世で唯一絶対の神として崇拝(すうはい)し、イエス・キリストが権力者に逆らった罪として、手足に釘を打たれて十字架(じゅうじか)に磔(はりつけ)にされて処刑された姿を、肖像画(しょうぞうが)にして教会に飾ったり(かざったり)、首からぶら下げるネックレス型のお守り(自分はキリスト教徒であるという証明のために身につける装飾品)を大切にしたり、墓や協会や家の中の至る場所に十字架をキリスト教徒の証(あかし)として、飾ったり描いたり(かざったりえがいたり)している。

またイエス・キリストが処刑された死後、数百年も経った時のキリスト教の宣教師(せんきょうし)に過ぎない信徒が、各地の教会に送った文書の内容が聖書とされたりする。

どこのまともな思考を持つ人々の世界に、自分が崇拝(すうはい)する教祖(きょうそ)が権力者に逆らった罪人として処刑されたミジメな姿を、信徒の証やお守り代わりにして身につけたり、教会や家の中や墓に飾ったりするのだろうか?

キリスト教が破壊を目的とした宗教であり、世の中の終わりとそこからの復活を求める破滅宗教(はめつしゅうきょう)だからこそ、こうした

明日へ続く