岩見沢神社1 :岩見沢市 (Iwamizawa shrine, Iwamizawa city)
2009年12月20日(日)岩見沢神社を訪れた。約400坪もある大きな神社だ。全部で6対の狛犬が奉納されていた。東側の正規参道から社殿までに3対あった。一の鳥居から1対:昭和56年11月(1981年)奉納は、大きいが個性のない狛犬だ。2番目は、明治39年9月(1906年)奉納は、味のある狛犬だが大分崩れてきている。3番目は、大正2年9月(1913年)奉納も、とても個性的な狛犬だ。
北側の参道には、2対ある。1対は、奉納年月は不明であるが新しく個性に欠ける。2番目は、青銅製の狛犬で昭和47年9月(1972年)奉納。吽形(うんぎょう)には、しっかりと角が生えている。正式な狛犬だ。
もう1対は、横にある小さな社(水神龍神と書いてある)におある小さな狛犬で奉納年月は不明である。
ここれで計6対の狛犬があった。こんなに沢山狛犬に一度に出会ったのは、初めてだ。
-------------------ネットによると----------------------------------------------------
☆所在地
〒068-0032 岩見沢市12条西1丁目3番地
☆祭神
・天照大神(あまてらすおおかみ)
・大己貴神(おおなむちのかみ)
☆由緒
明治17・8年の両年にわたり、山口・鳥取等12県の士帰農者277世帯が開拓に入地、18年秋8月総入地を機会に今の元町幾春別川左岸に多数の村民が参加して神祭を行ったのが当社の始めである。翌19年小祠を建て心の寄り所として氏神祭を最大の年中行事とし、人心の安定の下に着々開拓の歩を進め今日隆盛の基礎をつくった。29年の大火により社殿も焼失したが翌30年敬神家石黒長平より1800坪の寄進を受け現在地に造営、9月14日2代目社殿の上棟祭を挙行、爾来9月15日を例祭日とす。明治39年に東向に新殿を造営境内も次々と拡張し、昭和7年県社に列格と共に4代目社殿の造営をみる。昭和56年創祀95年に際し北海道初の薪能を奉納、昭和61年創祀百年を奉祝し耐火構造の社殿・社務所を造営し盛大に奉祝祭を斎行し、その後手水舎・石玉垣も新造しいよいよ崇敬の実も上っている。
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2009年12月20日(日)岩見沢神社を訪れた。約400坪もある大きな神社だ。全部で6対の狛犬が奉納されていた。東側の正規参道から社殿までに3対あった。一の鳥居から1対:昭和56年11月(1981年)奉納は、大きいが個性のない狛犬だ。2番目は、明治39年9月(1906年)奉納は、味のある狛犬だが大分崩れてきている。3番目は、大正2年9月(1913年)奉納も、とても個性的な狛犬だ。
北側の参道には、2対ある。1対は、奉納年月は不明であるが新しく個性に欠ける。2番目は、青銅製の狛犬で昭和47年9月(1972年)奉納。吽形(うんぎょう)には、しっかりと角が生えている。正式な狛犬だ。
もう1対は、横にある小さな社(水神龍神と書いてある)におある小さな狛犬で奉納年月は不明である。
ここれで計6対の狛犬があった。こんなに沢山狛犬に一度に出会ったのは、初めてだ。
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☆所在地
〒068-0032 岩見沢市12条西1丁目3番地
☆祭神
・天照大神(あまてらすおおかみ)
・大己貴神(おおなむちのかみ)
☆由緒
明治17・8年の両年にわたり、山口・鳥取等12県の士帰農者277世帯が開拓に入地、18年秋8月総入地を機会に今の元町幾春別川左岸に多数の村民が参加して神祭を行ったのが当社の始めである。翌19年小祠を建て心の寄り所として氏神祭を最大の年中行事とし、人心の安定の下に着々開拓の歩を進め今日隆盛の基礎をつくった。29年の大火により社殿も焼失したが翌30年敬神家石黒長平より1800坪の寄進を受け現在地に造営、9月14日2代目社殿の上棟祭を挙行、爾来9月15日を例祭日とす。明治39年に東向に新殿を造営境内も次々と拡張し、昭和7年県社に列格と共に4代目社殿の造営をみる。昭和56年創祀95年に際し北海道初の薪能を奉納、昭和61年創祀百年を奉祝し耐火構造の社殿・社務所を造営し盛大に奉祝祭を斎行し、その後手水舎・石玉垣も新造しいよいよ崇敬の実も上っている。
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