神社と狛犬見て歩き

主に北海道の神社巡り。最近全国の一宮巡りを始めた。

夷王山神社/北海道上ノ国町(Iouzan Jinja,Kaminokuni Hokkaido Japan)

2014年08月27日 | 神社と狛犬
夷王山神社/北海道上ノ国町(Iouzan Jinja,Kaminokuni Hokkaido Japan)
2014年8月16日(土)、上ノ国町字勝山にある夷王山(いおうざん)神社を訪問。標高159mの夷王山山頂にある小さな神社。山頂の鳥居を目指して草道を登る。快晴、青空が広がる。汗が出るが風強く涼しい。山頂から眼下には、無錨(むいかり)の古名を持つ大澗湾が広がり、海上には、奥尻や大島・小島、延々と続く海岸線は、熊石大成方面まで望むことができる。木の鳥居をくぐり草の参道。数段の石段を登り、暴風雪に耐えるように石垣と土塁に囲まれた小さな赤屋根の社殿がある。社務所なし。獅子狛犬も居ない。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
 〒049-0601 北海道檜山郡上ノ国町字勝山
☆祭神
・武田信広(たけだ のぶひろ)
☆由緒
 永禄元年(1558年)に創立されたといわれている。医王山神社・医王山薬師寺といわれていましたが、明治26年に子爵松前修広が許可を得て社名を「夷王山神社」、祭神を武田信広としました。武田信広が夷王山に埋葬されていると伝えられているが、未だにお墓は見つかっていない。
☆武田信広とは
 武田信広は、室町時代後期の武将。若狭武田氏の一族といわれているが、実際には源姓武田氏流は仮冒とする説も強い。また、陸奥国の南部氏の一族ともいわれる。1457年のコシャマインの戦いでコシャマインを討ったことで知られる。彼は勝山館に八幡宮を建立し、1494年に勝山館にて64歳で死去、夷王山に埋葬され、後の松前氏の祖の一人となった。
☆町名「上ノ国」の由来
 15世紀ころ、北海道(夷(えぞが)島(しま))南部の日本海側は、上ノ国(かみのくに)、太平洋側は下の国(しものくに)と称されていた。勝山館を擁し、日本海・北方交易の拠点として栄えたこの地に上ノ国(かみのくに)の名前が残ったことに由来。
---------------------------------------------------------------------------------