神社と狛犬見て歩き

主に北海道の神社巡り。最近全国の一宮巡りを始めた。

砂館神社/北海道上ノ国町(Sunadate Jinja,Kaminokuni Hokkaido Japan)

2014年08月26日 | 神社と狛犬
砂館神社/北海道上ノ国町(Sunadate Jinja,Kaminokuni Hokkaido Japan)
2014年8月15日(金)、上ノ国町字北村にある砂館神社を訪問。国道228号を海側100mほどの平地の林の中にある中くらいの神社。前は畑で遠くの山の上には風力発電の風車が10基ほど見える。灰色の第1鳥居をくぐりコンクリートの参道。鳥居の左には「史跡:須崎館跡」の立て札、右に「上ノ国小学校発祥の地、砂館小学校跡」の石碑あり。手水舎、資材庫あり。赤屋根木製の第2鳥居、左右に小さな社あり。石段を登り、黒瓦の社殿あり。社殿(拝殿)奥に、道指定重要文化財の本殿あり。これは武田信広が、長禄元年(1457年)に毘沙門堂として建てたと言う歴史のあるものだそうです。社務所なし。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は社殿(拝殿)前に居た。
阿吽は正常。逞しくガッチリ型だ。耳は水平、タテガミはアゴヒゲと連続し威容を増し、豊かな尾は反り返り斜めに背中に張り付く。奉納年は昭和8年5月(1933年)。
2対目は本殿前に居た。
阿吽は逆。小さな身体で地面に設置してある。風化が進み、かろうじて目鼻口が識別できる。垂れ耳、タテガミはおかっぱのようだ。尾はくるりと丸くなっている。阿像(左側)は、前両足が欠けていて石の台を添えてある。奉納年は不明。
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☆所在地
 〒049-0622 桧山郡上ノ国町字北村96番地
☆祭神
・須佐之男命(すさのおのみこと)
・火産霊命(ほむすびのみこと)
☆由緒
 寛正3年夏、武田信広が洲崎の館に旧称毘沙門天王社(毘沙門堂)を鎮祭し、円増院秀延が別当になった。創立の縁起は、先ず新羅之記録に現れた。本道の社寺のうちで、古文献に誌された最初のものであるが、この社の縁起は、松前諸社のうちもっとも名高く、福山祕府・松前旧事記・東蝦夷夜話・北海随筆等にも誌されている。4代季広がこの社に参詣した時、勝山城代崎基広の謀叛が発覚したので、毘沙門天王の示現なりとして、天文18年新堂を造営した。(新羅之記録)慶長9年11月造替(この年正月慶広が国政の墨付をもらった。)寛文4年5月造替(9代高広が、国政の印伝馬の令書をもらって5月に帰藩した)。天和元年造替(この年矩広が将軍に謁し、翌2年国政の朱印をもらって帰国した)。元禄16年7月造替安永7年12月社殿焼亡し、北村名主は責を怖れて自殺した。藩主道広はただちに造営に着手し、12月23日仮殿成就、翌々安永9年6月、本殿並びに拝殿成り、御神体を勧請して、遷座祭を執行し、棟札に天皇宝祚無窮玉体平全・征夷大将軍武運永久・源道広武運長久子孫繁昌と誌した。文久2年、雪のため拝殿が潰れたので、藩命により、江差奉行が検分し、ただちに工事にかかった。江差で切込みをし、上ノ国から人夫を出して建込をした。5月下旬新社殿落成し、8月20日遷座、江差奉行新井田浦人が代参した。上ノ国三社のうち、この社だけが古来から藩費による月次の神楽が行われていたことが、福山祕府近来寺社例部明和9年の条に誌されている。藩主の社参や代参も、上ノ国に落着くと先ず毘沙門天王社に参拝するのを例とした。明治4年神仏分離の際、砂館神社と改称、祭神を須佐之男命に改めた。
☆町名「上ノ国」の由来
 15世紀ころ、北海道(夷(えぞが)島(しま))南部の日本海側は、上ノ国(かみのくに)、太平洋側は下の国(しものくに)と称されていた。勝山館を擁し、日本海・北方交易の拠点として栄えたこの地に上ノ国(かみのくに)の名前が残ったことに由来。
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