倶知安神社/北海道倶知安町(Kutchan Jinja,Kutchan Hokkaido Japan)
2014年6月21日(土)、倶知安(くっちゃん)町にある倶知安神社に参拝。国道276号沿いの平地にある中くらいの神社。道路向かいは、八幡地域センターと消防団機械器具置き場、その隣は八幡保育所。白い第1鳥居の手前に、左に社号、右側に末社:蝦夷富士羊蹄山神社の社号と尊農開基の石碑あり。鳥居をくぐると砂利の参道。左側に資材庫、右側に大きな社務所あり。更に行くと右側に羊蹄山から流れる水を引いた手水舎、その奥に倶知安小学校発祥の地の石碑あり。石段を登り赤い第2鳥居をくぐり砂利の参道を歩く。木々の中に神門鳥居がある。珍しい。くぐると奥に赤い屋根の社殿あり。左側に神楽殿、御札授与所、資材庫あり。右に末社:蝦夷富士羊蹄山神社あり。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は第1鳥居前に居た。
阿吽正常。重量感のある丸い体型。たれ耳で、尾は丸く垂直。奉納年は昭和46年(1971年)。
2対目は神門鳥居の前に居た。
阿吽正常。彫りの浅い石のカタマリのような体型。横から見ると鼻も口も分からないくらい彫りが無い。尾は小さく背中に張り付いている。奉納年は不明。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒044-0072 虻田郡倶知安町字八幡476番地
電話 0136-22-0666
FAX 0136-23-4820
【例祭日】
7月28日
☆祭神
・誉田別尊(ほんだわけのみこと)
・安倍比羅夫将軍(あべのひらふしょうぐん)
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)
・大山祗神(おおやまつみのかみ)
・保食神(うけもちのかみ)
・菅原道真公(すがわらみちざねこう)
・大国主命(おおくにぬしのみこと)
・事代主神(ことしろぬしのかみ)
・天之鈿女命(あめのうずめのみこと)
・大山咋神(おおやまくいのかみ)
☆由緒
クッチャン原野に入植した縫部兼次郎・萬代佐太郎・山本保次郎・山本弥平は、明治29年4月2日入植者達と協議し、開拓の守護神として石清水八幡宮より誉田別尊の御分霊を勧請、ブイタウス(現豊岡)の小祠に祀ったが、同年9月3日に現在地に遷座した。翌年9月1日に、八幡神社の創立を出願。翌年1月24日に許可される。大正7年、村社に昇格し、神饌幣帛料供進神社に指定される。大正11月、郷社に昇格。同14年に社務所焼失。翌年再建。昭和17年、石造大鳥居を建設し、斉明天皇の御代に「安倍引田臣比羅夫、後方羊蹄に郡領を置く。」とあることから、後志開拓の祖神、安倍比羅夫将軍を増祀する。昭和22年、北4西1に頓宮氏子集会所設置、同社殿他を30年迄に建設、34年に南1東2に移設。27年、倶知安八幡神社に改称。40年11月5日、浮浪者の焚火不始末で社殿を全焼失したが、48年に再建。41年、現社名に改称した。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
比羅夫神社 大山祗神、天照大御神、保食神 明治31年頃創祀 昭和41年10月27日合祀・天満宮 菅原道真公、天之鈿女命 明治31年頃創祀 昭和41年10月27日合祀・山陰神社(後に出雲神社) 大国主神、事代主神 明治31年9月創祀 昭和41年10月27日合祀
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2014年6月21日(土)、倶知安(くっちゃん)町にある倶知安神社に参拝。国道276号沿いの平地にある中くらいの神社。道路向かいは、八幡地域センターと消防団機械器具置き場、その隣は八幡保育所。白い第1鳥居の手前に、左に社号、右側に末社:蝦夷富士羊蹄山神社の社号と尊農開基の石碑あり。鳥居をくぐると砂利の参道。左側に資材庫、右側に大きな社務所あり。更に行くと右側に羊蹄山から流れる水を引いた手水舎、その奥に倶知安小学校発祥の地の石碑あり。石段を登り赤い第2鳥居をくぐり砂利の参道を歩く。木々の中に神門鳥居がある。珍しい。くぐると奥に赤い屋根の社殿あり。左側に神楽殿、御札授与所、資材庫あり。右に末社:蝦夷富士羊蹄山神社あり。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は第1鳥居前に居た。
阿吽正常。重量感のある丸い体型。たれ耳で、尾は丸く垂直。奉納年は昭和46年(1971年)。
2対目は神門鳥居の前に居た。
阿吽正常。彫りの浅い石のカタマリのような体型。横から見ると鼻も口も分からないくらい彫りが無い。尾は小さく背中に張り付いている。奉納年は不明。
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☆所在地
〒044-0072 虻田郡倶知安町字八幡476番地
電話 0136-22-0666
FAX 0136-23-4820
【例祭日】
7月28日
☆祭神
・誉田別尊(ほんだわけのみこと)
・安倍比羅夫将軍(あべのひらふしょうぐん)
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)
・大山祗神(おおやまつみのかみ)
・保食神(うけもちのかみ)
・菅原道真公(すがわらみちざねこう)
・大国主命(おおくにぬしのみこと)
・事代主神(ことしろぬしのかみ)
・天之鈿女命(あめのうずめのみこと)
・大山咋神(おおやまくいのかみ)
☆由緒
クッチャン原野に入植した縫部兼次郎・萬代佐太郎・山本保次郎・山本弥平は、明治29年4月2日入植者達と協議し、開拓の守護神として石清水八幡宮より誉田別尊の御分霊を勧請、ブイタウス(現豊岡)の小祠に祀ったが、同年9月3日に現在地に遷座した。翌年9月1日に、八幡神社の創立を出願。翌年1月24日に許可される。大正7年、村社に昇格し、神饌幣帛料供進神社に指定される。大正11月、郷社に昇格。同14年に社務所焼失。翌年再建。昭和17年、石造大鳥居を建設し、斉明天皇の御代に「安倍引田臣比羅夫、後方羊蹄に郡領を置く。」とあることから、後志開拓の祖神、安倍比羅夫将軍を増祀する。昭和22年、北4西1に頓宮氏子集会所設置、同社殿他を30年迄に建設、34年に南1東2に移設。27年、倶知安八幡神社に改称。40年11月5日、浮浪者の焚火不始末で社殿を全焼失したが、48年に再建。41年、現社名に改称した。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
比羅夫神社 大山祗神、天照大御神、保食神 明治31年頃創祀 昭和41年10月27日合祀・天満宮 菅原道真公、天之鈿女命 明治31年頃創祀 昭和41年10月27日合祀・山陰神社(後に出雲神社) 大国主神、事代主神 明治31年9月創祀 昭和41年10月27日合祀
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