雨竜神社/北海道雨竜町(Uryu Jinja,Uryu Hokkaido Japan)
2015年4月11日(土)、雨竜町満寿にある雨竜神社(うりゅうじんじゃ)に参拝。国道275号沿いの中くらいの神社。雨が降る。カメラが濡れない様に傘を差す。赤い第1鳥居、長いアスファルト参道、オンコ(イチイ)並木は一直線に続く。道路を横切り赤い第2鳥居、アスファルト参道が続く。左に社務所、大きな手水舎、成功紀念碑、由緒看板あり。参道を小川が横切って流れ、それに架かる小さな橋を渡ると砂利参道となる。御札授与所、百度石、神輿庫あり。奥に赤屋根の社殿がある。社殿両側に残雪あり。社殿の左奥に、雨竜町戦没者顕彰之碑、忠魂碑あり。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は、第2鳥居の後ろに居た。阿吽は正常。逞しく均整の取れた体型だ。顔や尾に苔が生えている。タテガミは豊か、耳は水平で、丸く大きな尾は直立している。奉納年は昭和16年10月(1941年)。
2対目は、第2鳥居と社殿の中間に居た。阿吽は正常。角ばったガッチリとした体型。タテガミは少なく、耳は後ろに引かれ、3段こぶのある尾は、後ろ半分を切り取ったようになっている。奉納年は大正15年9月(1926年)。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒078-2600 雨竜郡雨竜町満寿32番地
☆祭神
・蜂須賀家政公(はちすかいえまさこう)
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)
・松平康長公(まつひらやすながこう)
・応神天皇(おうじんてんのう)
☆由緒
雨竜神社は、開拓の初期明治22年組合華族農場設立に発し、その後蜂須賀農場の移住氏が協議し、蜂須賀農場中興の祖家政侯を祭神とする徳島県徳島市鎮座の県社・国端彦神社の御分霊を明治29年9月27日境内地に奉遷し、蜂須賀農場守護神として祭儀を執り行ったのが本社の創祀である。明治14年4月4日公認を得て、更には大正4年主神を天照皇大神とし、又戸田農場の戸田家中興の祖松平康長侯を増祀し、当時の村社雨竜神社と改称され大正34年に郷社に昇格され今日に至っている。
☆地名の由来
・雨竜町:雨竜(うりゅう)とは、アイヌ語の地名「ウリロペツ」(鵜の多い川という意味)より転訛しもので、雨竜川の河口に多くの鵜が生息していたことから、このような名が付けられたといわれている。
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2015年4月11日(土)、雨竜町満寿にある雨竜神社(うりゅうじんじゃ)に参拝。国道275号沿いの中くらいの神社。雨が降る。カメラが濡れない様に傘を差す。赤い第1鳥居、長いアスファルト参道、オンコ(イチイ)並木は一直線に続く。道路を横切り赤い第2鳥居、アスファルト参道が続く。左に社務所、大きな手水舎、成功紀念碑、由緒看板あり。参道を小川が横切って流れ、それに架かる小さな橋を渡ると砂利参道となる。御札授与所、百度石、神輿庫あり。奥に赤屋根の社殿がある。社殿両側に残雪あり。社殿の左奥に、雨竜町戦没者顕彰之碑、忠魂碑あり。
獅子狛犬は2対居た。
1対目は、第2鳥居の後ろに居た。阿吽は正常。逞しく均整の取れた体型だ。顔や尾に苔が生えている。タテガミは豊か、耳は水平で、丸く大きな尾は直立している。奉納年は昭和16年10月(1941年)。
2対目は、第2鳥居と社殿の中間に居た。阿吽は正常。角ばったガッチリとした体型。タテガミは少なく、耳は後ろに引かれ、3段こぶのある尾は、後ろ半分を切り取ったようになっている。奉納年は大正15年9月(1926年)。
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☆所在地
〒078-2600 雨竜郡雨竜町満寿32番地
☆祭神
・蜂須賀家政公(はちすかいえまさこう)
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)
・松平康長公(まつひらやすながこう)
・応神天皇(おうじんてんのう)
☆由緒
雨竜神社は、開拓の初期明治22年組合華族農場設立に発し、その後蜂須賀農場の移住氏が協議し、蜂須賀農場中興の祖家政侯を祭神とする徳島県徳島市鎮座の県社・国端彦神社の御分霊を明治29年9月27日境内地に奉遷し、蜂須賀農場守護神として祭儀を執り行ったのが本社の創祀である。明治14年4月4日公認を得て、更には大正4年主神を天照皇大神とし、又戸田農場の戸田家中興の祖松平康長侯を増祀し、当時の村社雨竜神社と改称され大正34年に郷社に昇格され今日に至っている。
☆地名の由来
・雨竜町:雨竜(うりゅう)とは、アイヌ語の地名「ウリロペツ」(鵜の多い川という意味)より転訛しもので、雨竜川の河口に多くの鵜が生息していたことから、このような名が付けられたといわれている。
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