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どうせと思わずにいられない

2013-07-28 10:35:26 | 無題
大事なことを忘れていた。

友達に誘われてサービスをつくろうと、

コンサルティングの会社をやめたのに、

その友達が逃げてしまったのだった。


友達に誘われたのか、誘ったのかはわからないけど、

そのことが、

心に刺さることだったことは、

随分前に会社で2人きりで話したときに、

表情でわかったことだった。


言いづらそうに、

少しずつ話していた。


私にも話してくれるから、

きっと他の人にも話しているのだろうと、

一緒にお酒を飲んだり打ち上げも一緒にいる人に、

その話を流れで話したら、

「え?そうなんっすか?」と返された。

私は慌てて、え?いや、あれ?違ったかも。と言って、

流れだった話のつづきをして誤摩化した。


他の人には話してないのか

―と嬉しかったけど、

それほど深刻にダメージを与えたできごとだったのだとわかった。


私はそのことをすっかり忘れて、

昨日話しを聞きにいき、

不安になることはないかと質問すると、

目をそらしてせつない顔をするのに、

答えはいつもどの方角から聞いても、

楽天的だからとか、

失敗したことを後悔しない方だからとか、

やらないで後悔するよりマシとか、

ぜんぜん気になってないし不安がないようなはぐらかしているのか、

そんな答えだった。


だから私には話せないことなのかと、

今朝起きたときも、

頭を思いっきり鈍器で殴られたみたいに

―失恋したときみたいに、

気分が悪かった。


大学のゼミの友達とは女性を含めて、

よく遊びにいっているみたいなのに。

大学の友達の方が、社会に出てから知り合った人より、

気が許せるという通説があるのはわかっているけど、

それでも、同じ会社で働いていた人とも、

今も親しそうなのをSNS上で見かけると、

自分の位置関係がわかって、

切なくなる。


そんなにも私には心を開きたくないのかと、

そんなにもリラックスして一緒に楽しめないのかと。

私は役に立たないのかと、

無力さを感じて、

後味を悪くしていた。


でも、友達から裏切られた経験があるのに、

そのことを言わなかったのは、

今でもそのことで、

なにがしかの弊害があるから、

それでも前へ進まなければならないのが、

目の前でただ質問をしてくる人に、

見せる態度であることはわかる。


そのことをどう捉えて、

どう私の悩みや話し、質問に対してどう反応を感じたのかわからないけど、

冷静さをなくさせてどうでもいいような気分にさせただろうなと思う。


なにかいまいち聞き出せてない感じは、

これだった。


友達に裏切られたことが、

大きく全体に関わっているから、

節々をつまんでも、

成功しているわけではない模索中だから、

返ってくる答えたが、

慎重で端的で、

まるで私がすべてを秘密にしてすごしていた時期と

同じような感じだったんだ。


私も他の人ならざっくばらんに話すことも、

にごすように端的に具体性なく答えることが多かった。

今回入社したての頃でも、

ガツガツいろいろ聞かれて、

疲れたと思った。

何歳なの?どこに住んでるの?前はどんな仕事していたの?

みんながみんなこの質問をしてくるから嫌だった。

どの質問も私にとってあまり嬉しくないものだ。


何歳かなんて、もう若いピチピチではないんだから、

年を言ったところでどうなるというのかというのがあった。

それに年齢を気にした関係作りをした仕事をしたくない。


どこに住んでいるかなんて言いたくないのに、

面接をした人があちこちで言い触らしている。

自分の家の駅の近くなんだよと。

デリカシーがないなと思った。

やめてくださいと折りをみて伝えた。

実家なのに一人暮らしだなんて知れたら、

私の気持ちは無視で、

ひがみやねたみ、興味本位の言葉が投げかけられて、

そのあとの仕事がしずらくなるのは分かっていることだ。

いいね、お金かからないし、自由にできて。とか。

古い家だから思っている以上に補修費とかでお金がかかる。

光熱費も自分が払っているし、

1人がいいかといえば、いいときもあるけど、

一人暮らしでも家族と連絡を取り合ったり、

休みに田舎に帰って家族と合ったりするわけではないから、

すごく辛いとき、

無条件で受入れてくれる人がいないことは、

より孤独を感じさせられる。

防犯的にも危ないから、

詳しくも話せない。

私にはここしか帰るところがないから、

家バレ住所バレは怖い。

ストーカーまがいの人にあったこともあるし。


私が辛いのは、

心ここにあらずのその人と、

さらには誕生日にFacebookでだれからもお祝いのメッセージが来なかったことだ。

私はタイムラインに誰でも書き込める設定にしていないからかもしれないけど、

他にメルアドを知っている人は、メールからお祝いしてくれてもいいのにと思う。

この前お祝いのメッセージをFacebookに送ったのにと。

いつも優しいあの人からも来なかった。

誕生日ですよという通知メールがいかなかったわけではない。

だから、悲しい。

だから、“ひとり”を感じる。


住んでるところと自分の家の近くだといいふらした上司も、

誕生日のお祝いの言葉はかけてくれなかった。

結局みんな自分本位だ。

自分の家に近いということを言いたかっただけだ。


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