1歳3か月の双子ちゃん 会うたびに成長している姿を見せてくれます。
近頃は、たいてい立つことが多くなっています。
1歩、2歩というのはもう少しかかるかもしれませんが、物や大人の膝とかちょっとしたところに軽く触っては、立ち上がっています。
先日までは、立ったものの「そこから どうする??」と言った具合で、立ち往生したまま、どうにもできずに泣いていましたが、毎日の繰り返しから、立った👉ドスン座ったり、方向転換しています。
出来なかったことができるようになる。
なにかの力を得るというのは、画期的なことなんでしょう
その画期的なことを、今見せてくれているな~~と思うと、小さいながら懸命に黙々と取り組んでいるのは「やっぱり 神様がいらっしゃるのだな」と思えます。
絵本を読んでいると、語尾の言葉を、言ってみたり(書き留められないような喃語ですが)、まねっこをしたりすることが多くなりましたね。
👆私の好きなおもちゃがありまして、それは「曲や音や面白い言葉」が出てくるものですが、曲に手拍子して喜んでいると、やっぱり神様たちもお手拍子で、ノリノリです。
先日、娘が「食事時になると、マー マー」と催促がうるさくてね・・・と言ってましたが、私といる時も同じ。
娘が用意した食事を温めたりして、神様たちから台所へ移動していると「お!! ごはんかも」と察知し出入り口用の柵につかまって
「マー・マ―」「ちょっとまってね~~~」の繰り返し。
ようやく子供用の椅子にすわり、エプロンをつけるのですが、ここに座るとこうなるんだなと理解しているのでしょう。
椅子に点ける(転落防止も兼ねています)テーブルの流れが分かっているようで、こちらがつけやすいようにしている姿がみえてきます。
なんて賢いんだ!!
娘とは、そんな話ばっかり😍 😝
「わかいい~~」
「こんなことが分かる!かしこい!!」
これですから、娘満足。私も満足
言えばいうほど、楽しくなるんですよね。
出来ないことに
(こうなったらいいなの期待が大きすぎて)
つい「~~~ができない」とか「どこかおかしいのと違うかも?」なんて・・・
以前、娘の口から聞いたことがありました。
が、「さっちゃん。この子たちが双子で生まれたことで、どこかおかしい(一般的な成長が遅い。と思うのかもしれないけど、(思いたいのかもしれない?)
この子たちは、良くミルクも飲み。表情も豊かなんだから、親のあなたが「異常」探ししなくていいよ。
あなたがそんなことに気を注いでいると、それしか見えてこないからねと。
「今のこの子たちには、何の心配もいらないよ」
「しっかり、飲める力」もあり
「本が大好きですごく集中して聞いてる力」は、普通ではない素晴らしい力なんだよと。
娘をいさめようとか苦言を聞かせる気は全くありません。
子どもを心配するのは、親だからこそ感じる大切な感情。
こどもは大切だからね
写真撮ったのですが、転送がうまくいかず、ここに貼れないのが残念です。
頭の中は素晴らしい回路が出来上がってきているはず。ご飯の催促、ここで黙られているようではです。すくすく成長なさってると拝察します。嬉しいですね~。
おはようございます
共感してくださりありがとうございます。
同じ体験をしないと分からないとは思っていません。人には「想像の翼があり それに乗ってその世界に行けるから」
悲しい事件は、その悲しことに直面しないと分からないのは一面そうだなと納得しますが、
子どもをなくして(事件や事故)、はじめてその気持ちが分かるのではありませんし、わかるためにそんなことを経験する必要もありません。
それは、大切にしているという気持ち
それがなくなった時に猛烈に湧き上がってくる気持ちのようなきがします。
ペットロス。耐え難い悲しみでしょう。そういうことがあれば、人様のことでも同じように理解ができる。・・とまぁ。そんなところです。
それに、子供がいるから、いないから
分からないというのは、
まるで「いないんだから・・」と自分を優位づけているような発言にとれて、私は嫌いです。
思い合うことこそ、大切。そうおもっています。
想像の中の双子。一瞬を楽しんでくださりありがとう
「子供がいるから、いないから」「結婚もしないなんて」「おとこだから」「おんなだから」
それらの言葉は、ほんとうに人をいじめる言葉です。
勇気くじきととらえています。
以上です