時代はの変革は凄いと思います。

物販商品販売・
ラクマ・ペイペイ・メルカリ・にも投稿してます。
インスタには動画を投稿してます。

豊洲市場の粉じんから高濃度の重金属 タイヤ・路面がすり減り滞留か

2019-03-12 23:56:56 | ブログ

豊洲市場の粉じんから高濃度の重金属 タイヤ・路面がすり減り滞留か豊洲市場(東京都江東区)で採取された粉じんから、有害な重金属が高濃度で検出されたことが、東京農工大の渡辺泉教授(環境資源学)の分析で判明した。小型運搬車のタイヤや路面がすり減り、建物内に滞留した可能性があるという。長期的に吸い込むと、肺炎などを起こすアンチモンの濃度も高かった。渡辺教授は「換気や床の洗浄を徹底すればリスクは抑えられる。都は早急に対策を取るべきだ」と話している。

【ターレに乗って記念撮影する男の子】

 12日の都議会予算特別委員会の質疑で共産党がこの分析を取り上げた。都側は、法令に基づく市場内の空気調査や清掃状況を踏まえ「衛生環境は良好だ」と反論した。

 築地市場(中央区)が移転し、昨年10月に開場した豊洲市場では小型運搬車・ターレが頻繁に走る通路の付近などで「黒い粉じんが積もっている」との声が市場関係者から上がっていた。

 渡辺教授は、水産仲卸売場棟4階の駐車場脇で昨年12月に採取された粉じんを分析。それによると、安いタイヤに多く含まれるアンチモンの濃度は一般道の粉じんと比べて8.1倍、路盤材などからも出るカドミウムは4.8倍だった。取材に対し「市場内で働く人たちへの影響が懸念される」と述べた。【市川明代】

M資金に「殺された」人気俳優

2019-03-12 23:25:11 | ブログ
M資金に「殺された」人気俳優



突然ですが、
常識を突き抜けた衝撃情報が入ってきました。
https://icckame.com/lp/23205/966469/

オカルトでも都市伝説でもないM資金の正体
~原爆投下の真相とHAARP計画~

です。

これから、上記ページの衝撃情報に関連して、
M資金に「殺された」人気俳優のお話をします。

1978年12月28日、
ある人気俳優が散弾銃自殺で亡くなりました。

田宮二郎(本名:柴田吾郎)、享年43歳。

代表作『白い巨塔』の収録を終えて間もなく、
自宅で壮絶な死を遂げました。

趣味のクレー射撃用の散弾銃を胸に向け、
足の指で引き鉄を引いたとのこと。

我が世の春を謳歌していたはずの田宮さんが、
極限状態まで追い込まれた理由とは?

そのひとつは、
M資金詐欺であると言われているようです。

1977年にある巨額融資を持ちかけられた田宮さんは、
たった数ヶ月で巨額の借金だけを背負うことになった
経緯があるそうです。

「詐欺にあった」と田宮さんが自覚した時には、
躁鬱病を患い、精神が壊れだしていたとのこと。

田宮さんの妻によると、
田宮さんは被害にあったことを恥じ、

「世間が笑っている。恥ずかしくて死にたい」

と漏らしたそうです。

結局、田宮さんの自殺によって、
詐欺被害の真相は闇に葬られてしまいました。

そうであっても、田宮さん自殺の原因は、
M資金詐欺被害説が最有力とされています。

そして、常識を突き抜けた衝撃情報とは、
まさしく「M資金の正体」です。

耳を塞ぎたくなる戦後日本の真の姿を
知ることになるそうです。。。

覚悟してこちらをお読みください。
https://icckame.com/lp/23205/966469/

情報は【3月17日(日)】に封印されますので、
どうしても気になる人はお急ぎください。

武豊さんの親戚かたり「勝つ馬わかる」 詐欺容疑で逮捕

2019-03-12 23:17:00 | ブログ

武豊さんの親戚かたり「勝つ馬わかる」 詐欺容疑で逮捕
 騎手の武豊さんの親戚をかたって「勝つ馬がわかる」とうそをつき、訪れた京都市内のすし店の板前から2万円をだまし取ったとして、京都府警は12日、住所不定で無職の菊本輝昭容疑者(72)を詐欺の疑いで逮捕し、発表した。府警には1月以降、同様の誘いを受けたという相談がほかに計7件あり、菊本容疑者は「ほかにもやった」と供述しているという。
 東山署によると、逮捕容疑は1月8日昼過ぎ、日本中央競馬会(JRA)の調教師になりすまし、板前の男性に「間違いなく勝つから代行して馬券を買ったる。いくら持ってる?」と尋ね、現金を詐取したというもの。日本中央競馬会の実在する元調教師の名前が書かれた偽の名刺を渡し、「武豊の親戚だ」と伝えたという。代行して買うとしたレースは架空のものだった。
 板前の男性は取材に「親戚だから『今度、豊をつれてくるわ』と言い、名刺も出してきたので信じてしまった」と話した。開店前の仕込み中に「予約がしたい」と来店し、雑談で競馬の話になったという。「競馬に詳しいので信じてしまった。絶対当たるなんて話はあるはずないのに」と悔やんだ。

美容に効果?肝臓病薬の不法所持容疑で逮捕 千葉の病院を家宅捜索

2019-03-12 23:11:46 | ブログ

美容に効果?肝臓病薬の不法所持容疑で逮捕 千葉の病院を家宅捜索 医薬品の販売許可がないのに肝臓病の処方薬を販売目的で所持したなどとして、千葉県警は12日、医薬品医療機器法違反の疑いで、埼玉県の男など5人を逮捕した。また、県警は男らに渡すために、薬を不正に処方した疑いがあるとして、医師法違反容疑で千葉県野田市二ツ塚の「野田中央病院」を同日、家宅捜索した。捜査関係者への取材で分かった。 捜査関係者によると、男らは今年1~2月、肝炎の治療薬「ラエンネック」を、無許可で販売する目的で所持した疑いが持たれている。
 ラエンネックは人間の胎盤を原料とした薬品。日本では肝機能障害や更年期障害の治療に用いられるが、中国などでは「美容に効く」として高値で取引されている。

江戸幕府3代将軍・徳川家光の寿命を縮めたのはお米だった!

2019-03-12 22:36:02 | ブログ
江戸幕府3代将軍・徳川家光の寿命を縮めたのはお米だった!


「日本人の体質」を科学的に説き、「正しい健康法」を提唱している奥田昌子医師。彼女の著書は刊行されるや常にベストセラーとなり、いま最も注目されている内科医にして作家である。「日本人はこれまで一体どんな病気になり、何を食べてきたか」「長寿を実現するにはどんな食事が大事なのか」日本人誕生から今日までの「食と生活」の歴史を振り返り、日本人に合った正しい健康食の奥義を解き明かす、著者渾身の大河連載がスタート! 日本人を長寿にした、壮大な「食と健康」の大河ロマンをご堪能あれ。
■白米で命を縮めた家光
 江戸時代は徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年に始まり、15代将軍慶喜が大政奉還する1867年まで、265年にわたって続きます。鎌倉時代は約150年間、室町時代は237年間ですから、これを上回る長期政権となりました。
 この間に家康の子孫14人が将軍の座につきましたが、このうち少なくとも4人が同じ病気で亡くなっています。当時は原因も治療法もわからない難病でした。その一人、3代将軍家光はもともと体が弱く、食が細かったと伝えられています。乳母である春日局は大層心配し、あれこれ手を尽くしました。その一つが七色飯です。「ただお命をつなぐものの第一は飯なり(生きていくうえでもっとも大切なのはご飯である)」と考えていた春日局は、麦、粟、抹茶、小豆などを炊き込んだ7種類のご飯を用意させ、家光が楽しく食事ができるようにはからいました。
 しかし家光は24歳で謎の病気を発症し、医師らの努力もむなしく48歳で亡くなります。
 その病気こそ脚気でした。疲れやだるさ、手足のしびれ、むくみなどが次第に強くなり、悪化すると心臓の機能が低下して心不全で死亡します。脚気の原因がビタミンB1の欠乏だと確認されるのは大正時代になってからです。
 世界でもアジアの稲作地帯に特有の病気で、患者の大部分が日本で発生していました。その犯人が白米です。ビタミンB1は玄米や雑穀に多く含まれ、玄米を精米して白米にすると大きく減ってしまいます。図11を見てください。当時の人々は米を一日に5合食べていました。玄米を5合食べるとビタミンB1を約3ミリグラム摂ることができますが、白米5合では0・6ミリグラムにとどまります。現代の摂取基準によると、18〜49歳の男性は一日にビタミンB1が1・4ミリグラム必要なので、白米5合ではとても足りません。玄米は白米とくらべて栄養成分が豊富です。100gあたりで比較する と、玄米には食物繊維が白米の6倍、不足すると脚気を招くビタミ ンB1が5倍多く含まれています。 ※mgは1000分の1g ※表示されている値は、可食部100gあたりに含まれる成分を表して いる。 (文部科学省食品成分データベースより)
 平安時代に貴族に広がった脚気は、室町時代には減っていました。武士は玄米を食べていたからです。それが江戸時代に入り、将軍や幕府の重臣が白米を食べ始めると、脚気が再び増加しました。家光の他に4代将軍家綱、13代将軍家定、14代将軍家茂も脚気で死亡したといわれています。健康のために麦ご飯を続けた家康の子孫が白米で脚気になるとは、家康が知ったら、さぞ残念がるでしょう。
■江戸の奇病「江戸わずらい」
 太平の世が続いて社会が安定すると、新田開発と稲の品種改良が進み、米の生産量が急速に増えました。また、それまで臼と杵で精米していたのが、中国大陸から足踏み式の唐臼という石臼が伝わり、さらに江戸時代中期になると水車を使うようになって精米効率が大きく高まります。これにより白米を食べる習慣が江戸、大坂など都市部の庶民に一気に広がりました。「大坂」は明治初期まで使われていた表記で、土がつくのは縁起が悪いとして「大阪」と書くようになったそうです。相撲で負けることを「土がつく」というからでしょうか。